初恋

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「おーい、御影?大丈夫?」 「え?」 「もう講義終わってるけど。なんか後半、うわの空だったよな。ノートもほとんどとってないみたいだし」 室内に残っているのは、いつの間にか御影と吾妻の二人だけだった。 開いたままのノートはまだ書きかけで、黒板には記憶にない文字が並んでいる。 「課題出たの聞いてなかっただろ~」 意地悪く笑った吾妻の言葉は、御影の耳をすり抜けていった。 今はダメだ、と直感で開きかけていた口をきゅっと結んだ。 こんな思い詰めたような状態で口を開いてしまっては、ごちゃごちゃしている心の内がそのままに流れ出てしまう。 勢いに任せて話したら、良い方向へなんて進まない気がした。 (じゃあ、いつならいいんだ) ベストなタイミングがこの先やってくるのだろうか。 それとも、ずっとこのまま、何もなかったみたいに。 (俺はそれでいいのか・・・?) 一瞬の迷いか、大きな不安か。御影の結んでいた口が開いた。 「お前さ、なんで俺と一緒にいるの?・・・俺の手、振り払ったくせに」 その声はとても弱々しくて、でも吾妻の瞳がかすかに揺れたところを、御影は見逃さなかった。 吾妻は動揺した。覚えているということだ。 あまりに自然に振る舞うから、もしかしたら似ているだけの別人なのかとさえ、本気で考えたこともあった。 でもそんなことはなかった、忘れてなんていなかった。 そういえば、再会したあの日。 (お前、俺のこと下の名前で呼んでたな) もう傷つきたくはなくて、苦しいのも痛いのも嫌で。 深く考えずに、また記憶の隅に追いやろうとしていたけど。 「なんだよ。覚えてんじゃん、昔のこと全部。じゃあなんで声かけてくんだよ。一緒に飯食って、遊んで、なんでそんな楽しそうにしてられんだよ・・・。離れていったのはお前だろ。俺はお前が何したいのかわかんねぇよ」 泣くつもりなんてなかったのに、御影は目の奥が熱くなるのを感じた。 いつからか、気付けば姿を探していたし、名前を呼ばれると嬉しくもなった。 肩が触れるくらいの距離で胸が高鳴るのは、他の誰かでも同じではない。 何とかぐちゃぐちゃの感情を言葉にしたけど、御影の中ではまだ渦巻いて絡まった思いから、新たな選択肢が生まれてくる。 (からかわれてたか、都合良く使われてた?いや、罪滅ぼしのつもりか・・・) 何にせよ、やっぱり良い方向へなんて進まなかった。 何を間違えたんだろう。今も、あの時も。 ずっと黙ったままの吾妻と、御影は涙を堪えるのに必死でもう何も言えなくなっていた。 周りの教室は使われていないのか、やけに静かな空間が出来上がっていた。 でもすぐに、御影の向かいの席の椅子が引かれて音が響く。 逸らしていた視線は、自然とぶつかった。 話の途中から表情を確認するのが怖かった御影だが、滲んだ視界でもわかるくらい、吾妻は真っ直ぐに御影を見ていた。 「チャンスだと思ったんだ。やり直すチャンス」 吾妻の声は少し震えていた。 「あの日、あんなことがある前から、少しずつモヤモヤした思いみたいなのを感じてはいたんだけど。でも御影はいつも笑ってくれてたから、それでいいって思ってた。でもあの日、俺の気持ち全部暴かれたみたいに感じて、自分のことなのに自分がわかんなくなって、逃げ出した。お前の手、離しちゃった。その後もどうしたらいいのかわからないまんま、お前と疎遠になって、いっぱい後悔した」 吾妻の言葉を取りこぼさないように、御影は今度こそちゃんと耳を傾けているけれど。 (吾妻は何を言ってるんだ・・・?) 「だから大学でこうやってまた会えたときは、驚いたけど嬉しかった。それで思ったんだ、今度は間違えないようにって」 (お前は俺が嫌になったんだろ?だから離れていったんだろ?) 「ずっと謝りたいと思ってた。でも御影は全然昔の話しないから、もしかしたら忘れてるのかと思って」 「それはお前だって!」 「うん。むしろ忘れてくれてる方が好都合だと思った。一から新しい関係を築いていけるんじゃないかって、あえて昔のことには触れなかった。思い出した御影に拒絶されたら、俺きっと立ち直れない」 吾妻は寂しげに笑った。 「でも、それが御影を悩ませてるなんて思ってなかった。ごめん」 あのときもごめん、と付け加えて吾妻は頭を下げた。 (なんだ?つまり、どういう・・・) 御影の脳内は混乱を極めていた。 吾妻と再会してからというもの、ずっと御影の心も脳も忙しない。 今までの話やこれまでのことを、一つ一つ整理しながら、たまに自分自身を落ち着かせるため大きく吸った息を時間をかけて吐いて、それを一体何回繰り返しただろう。 色んな場面を思い出しては、点と点が線で繋がっていく感覚。 ようやく全てが繋がったとき、それは自然とこぼれた。 「お前、どんだけ俺のこと好きなんだよ」 まさかこんな言葉が出てくるなんて、二人とも考えてもいなかった。 それまで不安げに見守っていた吾妻が驚いた顔をして、御影もハッとした。 (おい!何言ってんだ、俺!) 焦る御影を前にして、吾妻はふっと優しく笑った。 それは今までで一番、幸せそうな顔だった。 「うん、好きだよ。だから今度こそ、大事にしたい」 真っ直ぐ伝えられた想いは御影の体中に響いた。響かないわけがない。 御影も何か言おうとしたけど声にならなくて、次に口を開いたのも吾妻だった。 「返事はまだいいよ。元々、長期戦は覚悟してたし。いや、もう離れるつもりないから、長期戦も何もないか」 そう言った吾妻は、本当にただ、気持ちを伝えられたことに満足しているようだった。 「でもいっこだけ聞いていい?」 「・・・何」 「少しは俺のこと、意識してくれてたって思っていい?」 吾妻が嬉しさを隠すことのない顔で少し前のめりになって、御影との距離が近くなる。 急に顔が熱くなるのがわかった御影は、吾妻から視線をそらすのと同時に、手が出た。 「痛い痛い痛い!!」 右手で思い切り、吾妻の顔を窓の外へと向ける。 「お前、調子に乗るなよ」 「ごめん、ごめんなさい、わかったから勘弁して~」 吾妻が手を何度か叩いたところで、御影はようやく右手をパッと離した。 「首もげるかと思った」 「そんなわけあるか」 首の後ろをさすりながら、吾妻はふふっと笑った。 「なんだよ」 「いや、楽しいなと思って。ね、勇太」 声変わりをしても懐かしさが残る響きは心地がいい。 そしてまた、鼓動は加速する。 「とりあえず、あの頃みたいに呼んでもらえるように頑張るよ」 試しに呼んでみる?と吾妻は軽い調子で言ってみたけれど、御影は首を振った。 「いやだ」 「え、なんで。試しに一回でいいから」 お願い、と想い人に頼まれれば、少し心は揺らぐけれど。 (呼べるわけないだろ。なんか色々、キャパオーバーなんだよ!) きっと吾妻もそれをわかっていてやっている節がある。 それが少し気にくわないなと思いながらも、また会えて良かったと、御影は心の底から嬉しく思っていた。 誰かが教室の窓を開けっぱなしにしていたらしい。 強い日差しとは裏腹に、爽やかで優しい風が吹きぬけていった。 机の上のノートがさらわれそうになって、二人は慌てて押さえこむ。 重なった手は温もりこそ懐かしいけれど、どちらも成長して大きくなっていた。 (これは・・・参ったな) 御影と吾妻は顔を見合わせて、笑い合った。 完
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