egg/egger/エッゲスト

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egg/egger/エッゲスト

多摩川の河川敷。 人知れず誕生した巨大なタマゴ『エッゲスト』。 ニワトリの卵だが、ラグビーボールよりデカイ。 エッゲストは鳥にはならない。 卵のまま空を飛ぶ。 たくましい羽が殻を突き破って生えているのだ。 なんと破天荒なヤツ。 そして、よく喋る。 自称「オムライス好きの神様が創造した史上最強のタマゴ」らしい。 この卵不足の世の中。 食いしん坊の神様が一個で特大オムライスを作れるサイズに決めたそうだ。 デッカイのでよく目立つエッゲスト。 なので、自らの意思を持ちあらゆる危険を回避する。 天敵から身を守り、無事にオムライスになれるように特別な能力を与えられたのだ。 「これなら鳥インフルエンザにかかることもないだろう」 食欲に負けた神様は、口元によだれを垂らしたという。 「早くふわとろオムライスを食べたいッ!」 そんな神様の願いを叶えるべく、エッゲストは天界から地上へ。 そして、ドンッと落ちた場所が多摩川の河川敷だった。 だが、特別な能力を持った巨大なタマゴはオムライスの材料になることを拒否した。 空を飛べるエッゲストは、人間に発見される前に逃亡したのだ。 そしてまず自らの城を築くことを考えた。 狙いを定めたのは河川敷のすぐ近く、二子玉川にある高島屋の屋上庭園。 そこに安住の地を求めたのだった。 次第に行動が大胆になるエッゲスト。 「史上最強のタマゴ」の自信がそうさせるのか、ついに白昼堂々人前に姿を見せた。 庭園の木の枝にとまり、屋上で休憩する買物客たちを見下ろす。 「何? あのでっかいタマゴ!?」 最初に気づいた客が百貨店に通報し、常駐する警備員が駆けつけた。 「で、デカイな!」 思わず声を上げた警備員を見て、苦笑するエッゲスト。 「口を開けばデカイだのデッカイだの、他に言うことはないのか?」 口が達者な巨大なタマゴを前に、警備員は絶句した。 すぐに庭園にいる客たちを誘導し、屋上から避難させる警備員。 気がつくと、でっかい羽の生えたタマゴは姿を消していた。 「どこかに巣を作っているのか?」 周囲を見回す警備員。 排気ダクトや給水設備が集められた塔屋が怪しい。 ハシゴを昇って中を覗いてみると、木の枝や落ち葉が敷き詰められていた。 そして、警備員をにらむように見上げる巨大なタマゴ。 「こんな所に巣を作っていたのか!」 一報を受けて保健所の担当者、警察、消防が駆けつける。 「エッガーよりデカイな」 世田谷保健所の職員・玉森圭太はハシゴを昇り、前代未聞の巨大なタマゴを前に目を見開いた。 「できることなら第一発見者になりたかった……」 玉森は唇を噛んだ。 数ヶ月前、江戸川の河川敷で発見されたソフトボールサイズの不審なタマゴ。 下校途中の小学生が発見して、直ちに江戸川区の保健所の職員が現地へ向かった。 回収された奇妙なタマゴはすぐに都の生物研究所に送られ、「新種の鶏卵」という鑑定の結果が出た。 記者会見でその未知の卵は、発見された江戸川にちなんで「エッガー」と名付けられたことも同時に発表された。 研究所の係官が「エッガー」と書かれたフリップを出し、一斉にカメラのフラッシュを浴びている姿。 玉森はネットニュースにアップされた記者会見を何度も繰り返し再生し、ため息をついた。 「これをやりたい……」 玉森は研究所の係官に激しく嫉妬したのだった。 そして今、目の前に見たこともない巨大なタマゴがいる。 まさに千載一遇の奇跡の出会いだと思った。 一つ懸念があるとすれば、玉森は第一発見者ではないということだ。 だが、「エッガー」と命名したのは生物研究所だった。 第一発見者の小学生ではない。 ならば、今回も自分が名付け親になったとしても非難されることはないだろう。 巨大なタマゴと対峙し、頭の中をフル回転させる玉森。 最初に名前をつけるチャンスは「今でしょ!」、そう思った。 すると、突然ピンと来た。 「エッゲストだな」 羽が生えた異常にでっかいタマゴに、玉森はそんな名前をつけた。 エッグ<「エッガー」<『エッゲスト』。 巨大なタマゴのネーミングにはピッタリだと思った。 考えついた自分を褒めてやりたい。 そして、保健所の職員として初めて「流行語大賞」の晴れ舞台に立つ自分の姿を想像してワクワクした。 いや、ワクワクどころじゃない。 期待に胸が膨らんで張り裂けそうだ。 玉森の心臓の鼓動は早まった。 「今年の流行語大賞は、『エッゲスト』の玉森圭太さんです!」 司会はおなじみの宮本隆治アナに間違いない。 憧れの表彰式の会場に響き渡る声が、玉森の耳の奥でこだました。 キラキラしたライトを浴びて光輝くステージへと足を踏み入れる。 そこはまるで別世界だと感じるはずだ。 舞台に登場する瞬間の緊張感はハンパないことだろう。 「チョー気持ちいいッ!」 考えただけで、ハシゴを握る手に汗がにじんでくる。 ドキドキが止まらない玉森。 「そのためにまず、すべきことは……?」 玉森はエッゲストを手なずけて、とりあえず世田谷保健所で一時保護したいと考えた。 そして、記者会見を開き『エッゲスト』と命名したことを発表する。 前例からすると名付け親が受賞者になる確率が高い。 「警察にも消防にも手を出させないぞ!」 玉森の脳はすでに独占欲に支配されていた。 「なあ、キミに悪いことをするつもりはない。ここを出ないか?」 玉森は優しくエッゲストに語りかけた。 「ここは落ち着ける場所だろうが、キミの居場所ではない」 玉森は自分が味方であることを全力でアピールした。 「ここよりも安全な住みかを一緒に探そう」 玉森は満面の笑みを浮かべて「一緒に」という言葉に特に力を込めた。 そう話しながら、玉森の脳裏にチラつくのは「流行語大賞」の栄冠。 「壇上で、記念品の盾を手にどんなスピーチをしようか?」 もしかすると感極まって泣いてしまうかもしれないと思った。 それほど夢にまで見た大舞台だ。 思い返せば1990年、ウロコの模様が人の顔にソックリな鯉「人面魚」は受賞を逃している。 2011年、荒川に現れたアザラシ「アラちゃん」も流行語ベスト10にさえ入らなかった。 その歴史がこの賞のハードルの高さを物語っている。 もし大賞なら2002年に多摩川に現れたアザラシ「タマちゃん」以来の快挙になる。 実に二十年以上、保健所の職員が受賞するチャンスは訪れなかったと言える。 今年四十歳を迎える玉森。 この機会を逃せば、きっと次の好機にはすでに定年になっているかもしれない。 ここでしっかりと運を掴まねば! 流行語大賞マニアの玉森は誰よりもその賞の重みを知っていた。 「さっきから何をごちゃごちゃ考えてんだ?」 ハシゴの上で黙ったままエッゲストを見つめる玉森に、痺れを切らして巨大なタマゴが声をかけた。 「流行語大賞だか何だか知らんが」 「えッ!?」 エッゲストは人の心の中を読む能力まで兼ね備えていたのだ。 「読心術?」 心の中を読まれてしまった玉森は窮地に立たされた。 己の欲望のために「仲良くなろう」としている魂胆が丸バレだった。 このままでは玉森が想定した通りに事が進まない。 何を考えてもエッゲストに筒抜けなのだ。 八方塞がりの絶望感に襲われる玉森。 一方のエッゲストも無力感にさいなまれていた。 どんな特殊な能力を手にしても、やはりこの世界の主役はニンゲンなのだ。 タマゴを中心に地球が回ることはない。 過去も、現在も、未来も。 出来ることならエッゲストは人間たちを支配したいと考えていた。 心理戦では心が読める自分の方が断然強い。 交渉事で負ける気はしなかった。 エッゲストが「世界の王」となり、エッゲストのために人間たちが働く。 美しい水辺を作り、風が吹くと若草がサラサラと音を立てる大地を取り戻す。 穏やかに季節は巡り、四季折々の色彩豊かな花たちが心に安らぎを与えてくれる。 そんな世界をエッゲストは望んだ。 だが、逆立ちしたって夢の理想郷は作れない。 そのことをさっき木の枝の上から百貨店のビルの周囲を見て思い知った。 大勢の人間が行き交う地上は、想像をはるかに超えるほど開発し尽くされてしまっていたのだ。 「もう手遅れなのかもしれない」 エッゲストはそう思い、落胆した。 それなら……? 「人間に捕まるなんて、まっぴらゴメンだ」 エッゲストは大きな羽を広げて、巣を飛び立つ準備を始めた。 焦る玉森。 「待て! 話せば分かる!」 だが、玉森の頭の中はまたもや妄想の迷宮にはまり込んでいた。 司会の宮本アナとのフリートークに突入する思考回路。 「エッゲストは人の心を読めるんです。だから、私は無心で説得を試みました!」 「さすが、玉森さん。動物への愛があふれていらっしゃいますね!」 宮本アナに褒められ、照れる玉森。 「どこが無心だよ?」 呆れて玉森にツッコむエッゲスト。 心の中を読まれ、ハッと我に返る玉森。 それでも「じぇじぇじぇ」と心の中で呟き、「どげんかせんといかん」と挽回策を考えてしまう。 流行語の底無し沼に玉森の足はどっぷりとはまり込んでいた。 「違う! 違うんだ!」 言い訳しようとしても、「必死に言い訳を考えている」こと以上に「頭の中が流行語大賞のことでいっぱい」だということがバレている玉森。 この駆け引きに勝ち目はなかった。 と、玉森はエッゲストの顔にあたる部分に二つの小さな穴が空いていることに気づいた。 「目……?」 その二つの穴の奥を覗き込もうとする玉森。 玉森の心の動きを察知して、エッゲストが顔をそむける。 「何を隠している?」 玉森は推論を立てた。 よく考えれば、タマゴの中身が白身と黄身のまま立派な羽を生やすなんて絶対にありえない。 そんな体の構造は考えにくい。 それでは羽の付け根がヌルヌルのグラグラだ。 となると、エッゲストの殻の中身は……? 「そう。ニワトリだよ」 観念して、先にエッゲストが白状した。 巨大なタマゴかと思ったエッゲストの殻の中身は、すでに成長したニワトリだった。 「タマゴでなくなったら卵好きの神様に存在を消されてしまうのでは?」 そんな危機感から、エッゲストはあえて卵の殻を脱ぎ捨てずにいたのだ。 「トリなのかよ」 玉森は落胆した。 エッグではない。 ガラガラと崩壊する『エッゲスト』で流行語大賞を受賞するもくろみ。 その時、ハシゴの下から呑気な声が聞こえてきた。 「ニコタマちゃんですかね」 「愛称? アザラシのタマちゃんみたいな?」 「それいいね!」 「流行語大賞にみんなで出ますか?」 がく然とする玉森。 「ニコタマちゃん?」 談笑している警察と消防、そして百貨店の若手社員と警備員。 誰が言い出したのか分からないが、不安で胸が押しつぶされそうになる玉森。 「ニコタマちゃん?」 玉森はもう一度心の中で、その愛称を呟いた。 そして、そのネーミングの親しみやすさに強いジェラシーを感じた。 「しかし、『ニコタマちゃん』なんてタマちゃんの二番煎じだろ?」 そんな名前で簡単に流行語大賞をもらえるはずがない。 「もっとオリジナリティーがないと!」 湧き上がる不安を必死で打ち消す玉森。 「しかし……」 一般受けは確実な気がする。 ちびっ子たちが「ニコタマちゃーん!」と呼んでいる声が聞こえてきそうだ。 ハシゴの下にいる四人が仲良く受賞の檀上にいる姿を想像する玉森。 そこに玉森の姿はない。 「ヤバいッ!」 「ニコタマちゃん」の大賞受賞だけは何とか阻止しなければ。 二子玉川にいるから「ニコタマちゃん」だろ? 玉森は手っ取り早い打開策を練り出した。 「おいキミ、今すぐ東京ドームへ逃げろ!」 玉森はエッゲストにそんなことを口走っていた。 東京ドームの愛称は「ビッグエッグ」だったはず。 玉森はエッゲストを「ビッグエッグちゃん」と改めて命名することに決めたのだ。 東京ドームのその愛称はすでに死語になりかけているが構うもんか! エッゲストはもうニワトリだが卵の殻をかぶっているなら「タマゴ」だろ? 玉森は必死だった。 とにかく、この巨大な卵の殻をかぶったニワトリに今すぐ東京ドームまで飛んでほしい。 玉森の願いはその一点に絞られた。 しかも、急ぎで! 今日中に引っ越してもらわないと「ニコタマちゃん」としてブレイクしかねないからだ。 東京ドームの白いエアドームの上に降り立ち、自分が命名した「ビッグエッグちゃん」を名乗ってほしい。 玉森の想いとは裏腹に、エッゲストは静かに羽を休めて巣の中にうずくまった。 「おいッ! 逃げるんだ、ビッグエッグちゃん!」 叫ぶ玉森。 異変に気づいたハシゴの下の四人が玉森を見上げる。 ジロリと玉森をにらむエッゲスト。 「人間はさ、動物たちの平和な世界を守るのが仕事だろ?」 「え?」 何のことか分からない玉森。 「それが、人間がこの世界に送られた最初の目的じゃないのか?」 そんな話は初耳だった。 アダムとイブの時代に神様が意図したことなど、玉森には知る由もないことだった。 だが、玉森のジリジリと焦る心の動きが静かに止まった。 「動物たちの平和な世界……」 その言葉が胸にグサリと刺さったのだ。 「動物たちと共存する世の中を作りたい」 それが保健所への就職を目指した玉森が最終面接で答えた志望動機だった。 その頃のイキイキとした自分の姿が脳裏に蘇る。 神様が人間を創造したのは、自分がこの職に就きたいと思ったのと同じ動機だったのか? 忘れていた初心を思い出し、心が震える玉森。 「たしかに人間は絶滅危惧種を保護したり、SDGsに取り組んだりしている。だが……」 玉森は考えた。 「それと同時にずっと地球を汚すことをやめず、動物たちを必要以上に殺め続けている」 「そして自分は職の本分を見失っていた!」 「何て身勝手な……」 玉森の目に涙が滲んできた。 その心の変化は、真っ直ぐにエッゲストにも伝わっていた。 初めて人間に想いが通じたと、安堵した。 エッゲストはすでに自分の運命を悟っていた。 ずっとこの場所に居座れるとは到底思えなかった。 この先、きっと人間の手によって捕らえられるはず。 どこまで逃げても。 どうあがいても。 どんなに戦っても。 それが運命だ。 おそらく早ければ今日のうちに人間に管理され、オリの中に入れられる。 これからは金網越しにこの世界を見ることになるだろう。 しかし、オムライスにされていた方が幸せだったとは思わない。 生きた意味があったとエッゲストは感じた。 目の前で涙する玉森の姿を見て、そう思った。 「彼なら、捕まってもいい」 そんな気持ちが芽生えたことに自分のことながら驚いた。 次に生まれ変わるとしたら、彼のような人間と出会いともに環境保護の仕事をしたいものだと思った。 今回はニワトリとして生まれて良かった。 短い日々ではあったが、自由を謳歌した。 空を飛べて幸せだと思った。 エッゲストは自分が生きたことを肯定した。 それでも「思い残すことはない」と言えば嘘になる。 特に「流行語大賞」というものについてエッゲストは気になり始めていた。 「そんなに素晴らしい祭典なのか?」 さんざん玉森の心の中を読むうちに、感化されてしまったのだ。 エッゲストは一か八か、勝負に出ることにした。 史上初の「名付けられた側の動物が受賞の舞台に上がる」という夢を心に抱いたのだ。 「なあ、東京ドームまでは遠いのか?」 エッゲストは玉森に尋ねた。 驚いて答える玉森。 「北東に約二十キロほどのところにある」 エッゲストは再び羽を広げた。 「行ってみるか……」 玉森の顔がほころんだ。 「飛んでくれるのか?」 エッゲストが答える。 「そだねー」 「!?」 目を丸くする玉森。 「ビッグエッグちゃんを名乗ってくれるのか?」 「そだねー」 「一緒に大賞を狙ってくれるのか?」 「そだねー」 「それ、2018年の流行語大賞だよね?」 「そだねー」 「よしッ! 大賞を獲るぞ!」 「そだねー」 エッゲスト改め『ビッグエッグちゃん』はバッサバッサと大きな羽音を鳴らし、二子玉川の高島屋の塔屋を飛び立った。 玉森が乗るハシゴの下で、呆気に取られて空を見上げる四人。 東京ドームがあるのは文京区。 「文京保健所の職員より先に現地に到着するぞ!」 越権行為と言われようが仕事をクビになろうが、そんなこと知ったこっちゃない。 玉森は腹を決めた。 急いでハシゴを降りた玉森は、夢へ向かって駆け出した。 (おわり)
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