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学校から私達の家まではほぼ一本道で、途中坂を下るための階段がある。その石畳の階段の側には大きな桜の木が一本、目印のように立っている。この桜は学生達の間では願いが叶う桜の木だと言われている。この町で開花が一番早く、そして不思議なことに散るのは一番遅いからだ。ただ、誰の願いが叶ったとか、効果があったとか、そういう話は耳にしたことがないから本当にただの噂話だと思う。それでも、今、私が願うならーー桜子と高校が別々になりますように。それから自然と距離を置くことができれば満足だ。そんなことを考えて、"工藤くんトーク"に夢中な桜子に気づかれないように小さく笑った。満開の桜の木を通過して、階段に差し掛かる。
「キャアッッ!!」
桜子が足を踏み外したのはその直後だった。
その瞬間は、スローモーションのように見えた。なんとか身体を捻り、桜子は必死に私に手を伸ばす。「桜子!」と私も慌てて桜子の手を掴もうとして、
……一歩、後ろに下がった。
桜子の顔が驚愕に染まる。色付きリップをつけた鮮やかな唇が"なんで"と形作るのを見た。空を切った手はそのまま何も掴めずに、桜子はゴロゴロと坂の一番下まで転がり落ちていった。
坂の上からソッと様子を伺う。桜子は動かなかった。丁度、影が差しているせいでよく分からないけど、頭の周りに広がるあれは血なのかもしれない。
すぐ下まで下りて、桜子に駆け寄らなければと分かっている。救急車を呼ばなければならないと分かっている。頭ではどう行動するべきなのか理解している。でも心は違う。助からなければ良いと思っている。そのまま死んでくれれば良いのにと思っている自分がいる。進路が分かれますように、なんて。そんな生易しいものじゃない。ーー死んでしまえと、あの時本気でそう思った。
嫌な汗が背中を伝う。呼吸は浅く、手も足も震えていた。自分の心臓の音は、ロックなんかよりもずっと煩く聞こえた。叫び出したくなる衝動を抑えながら辺りを見回す。ーー誰もいない。何故か、誰もいなかった。人通りの多い道ではないけど、いつもはジョギングをしている男の人や犬を散歩させているおばあさんなど数人はいるのに。すぐ側の桜の木を見上げる。揺れる桜はとても不気味に思えた。
突き飛ばしていない。腕を掴まれてもいないし、振り払ったわけでもない。たまたま、桜子の伸ばした手が私に届かなかった。たったそれだけ。私に落ち度はない。私は必死に自分に言い聞かせながら静かにその場を離れた。来た道を戻っている間、一度も振り返りはしなかった。
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