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カツカツとヒールの音を鳴らしながら石畳の階段を上り切り、持ち上げていたキャリーバッグを下ろす。見上げた桜の木は満開で、あの頃よりも存在感を増している、ような気がする。
ずっとここを通るのを避けていた。特に、桜が咲いている間は絶対に近寄らなかった。でも、もうこの道を通ってもなんの感情も湧かない。月日がそうさせたのか。元から冷血な人間なのか。そんなことを他人事のように考えて自嘲気味に笑った。
「あれ、佐倉?」
不意に名前を呼ばれた。見れば、幼い子供を抱き抱えたリュックサック姿の男性が階段を下りようとしていた。
「……もしかして杉野?」
杉野はもう坊主の面影もなかったけれど「久しぶり」と笑った顔を見て、懐かしさを覚えた。杉野の腕の中で眠る子供は安心しきっているのか起きる気配はない。
「公園に行った帰りなんだけど疲れたのか途中で寝ちゃってさ」
「へー。いいお父さんやってんだ」
「奥さんに怒られてばっかりだけどな」
そんなことを言いながらも顔には思い切り"幸せです"と書いてある。
「佐倉は帰ってきてたんだな」
「うん。桜子の十七回忌だから」
私はあの後、県外の高校へ入学した。桜子との思い出がいっぱい詰まったこの街にいるのは辛いのだと言えば誰も何も言わなかった。そして都会の大学へ進学して、そのままそこで就職をした。この町に戻るつもりは端からなくて、ほとんど帰省もしなかった。杉野どころか翠とも絵美とも疎遠になっていた。
「私以外、桜子の親族しかいなくてさ。若干気まずかったけど、私、葬式しか出てないし。桜子のお母さんにも言われたから、久しぶりに。今から帰るところだけどね」
昨夜遅くにこの町の近くまで戻ってきて、ビジネスホテルに泊まった。この町には今朝到着し、昼頃十七回忌に行き、夕方に帰る。なかなかのハードスケジュールだけど有給は今日しか取れなかったのだから仕方がない。……本当は、申請すればもう何日か取れたかもしれないけど、無駄にこの地に滞在する気はなかった。
「……俺、ずっと訊きたかったことがあって」
「うん」
「あの日、佐倉、古賀と帰るって待ってたよな……?」
子供の周りを飛んでいる白い蝶を視線で追いかけた後、恐る恐るという風に杉野は切り出してきた。私と目を合わせたかと思えば、すぐに視線は子供の頭に落ちる。それを二度、三度繰り返す様を見て、杉野が何を考えているのか察した。
「……桜子、我儘だったじゃん。でも、それが許されてた。本当にお姫様みたいな子だったでしょ」
「……ああ」
「でも、あの日、さすがに私も腹が立って。喧嘩になったの。まあ、私が一方的に怒ってただけで、桜子は『どうしたの、優ちゃん。何かあったの?』ってオロオロしてたけど」
どこからかまた一羽蝶が飛んできて、杉野親子の周りを飛ぶ。仲良さそうに飛び交っていた二羽は、やがて別々の方向へ飛んでいった。
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