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銀ちゃんは驚いていたし、少し慌てているようだった。
「私があげる分には構わないけど、氷治さんはまだ第一の人生も途中じゃない。等価交換にならないでしょう」
「ううん。僕も人生、一回終わらせたようなもんだから」
僕がそう答えると、銀ちゃんは真剣な表情になって箸を置いた。
「……それ、どういう事か聞いてもいい?」
遠慮がちに聞いてきた時、ようやくビジネス風の口調が抜けた。
僕は五年前、何もかもバカバカしくなって、勤めていた会社を辞めた。一応、名の知れた広告代理店だった。
誰かに、特に親と教師に言われるままに、良い大学に入って、良い会社に就職する。そんな、産まれると同時にスタートした人生というゲームは、二十年ちょっとでクリアしてしまった。
これ以降は何も面白い事が無さそうだ、と気付いた。
日本人男性の平均寿命まで、あと五十年くらい。ここから半世紀もの膨大な時間を、これまで生きてきた惰性で、消化試合みたいに過ごすのだと思っていた。
結婚や子育て、孫の誕生といったライフイベントに無縁なのを自覚したのは、中学生の頃だ。“普通”や“まとも”と呼ばれる枠の中に収まれていないのに、さも収まっているかのように“擬態”しながら大人になった。
高校も、大学も、社会に出ても、多数である事が絶対的正義なのは変わらなかった。国の動向を決める方法が多数決なのがその証拠だ。
裏を返せば、少数派の意見は間違いで、間違っている事は悪で、悪は罪。あるいは見えない物、存在しない事になっている。生きているだけでそんなレッテルを貼られているのに、未来に希望なんて見出せるはずがなかった。
『いま流行のLGBTってやつ?』
『出会った事ないなあ』
『うちの会社にはいませんよ』
『はいはい、多様性多様性』
皆が口々にそう話せるのは、僕の擬態が上手くいっていたから。
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