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感染症対策で大浴場が使えないのは、予約した時から分かっていた。その代わり、個室風呂付きの豪華な部屋を割引料金で取れたのだ。
むしろ、その方が落ち着く。営業時間を気にせず都合のいいタイミングで動けて、人目も、気にしなくて済む。
服を脱いで浴室に入ると、雨の外気とは質の違う、暖かく湿った空気が満ちていた。お湯の流れる音と檜の匂いもする。個室というだけあって露天ではなく、一面が大きなガラス窓になっていた。目隠しの植え込みがあり、その黄色に近い緑色の葉の向こうに、別館らしい建物のオレンジ色の明かりが少しだけ見える。
曇り空から白っぽい光が入っていて、窓の外を見ている銀ちゃんの後ろ姿がお湯から出ている。なで肩で丸っこいシルエットが、7センチの身長差を差し引いても、たまにとても小さく見える時がある。
僕が入ってきたのに気付いた銀ちゃんが振り返った。
「氷治、おいで」
「……子供じゃないんだけど」
と言いつつ、その隣に、その腕の中に、抱かれに行ってしまう僕もいる。
「来られて良かった」
銀ちゃんが穏やかな笑顔で言った。僕は銀ちゃんに肩を寄せて窓を見る。
「ほんと。休暇ずらしてもらったらいつになるか分かんないもんね」
平日に旅行に来られているのは、銀ちゃんの勤続年数を労う、リフレッシュ休暇という制度を利用したからだ。
僕が生まれる前から、銀ちゃんは同じ会社に勤めて毎日仕事をしている。想像もできない。
その休暇も、コロナウィルスの流行が収束するまで取得を伸ばす事もできたらしいが、銀ちゃんは僕の仕事が一段落する時期に合わせてくれた。
「……まあ、もっと天気のいい時期もあったかもだけど」
風流と言えば聞こえはいいが、観光ができないのは残念だった。
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