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 それから、どうなったのかって?  僕は工事の人に無理を言って、切り分けられた弥五郎桜の幹と枝のいくつかを持って帰らせてもらった。  当然責任者は渋い顔をしたが、高橋老人との思い出を語って、どうしてもと頭を下げたら、了解はしてもらえた。  その幹で僕が何をしたのかって話だ。  挿木した三本の弥五郎桜の枝は、どれも育たなかった。枝を落としてから時間が経っていたせいなのか、それとも弥五郎桜がすでに生命力を失っていたせいなのか。いずれにせよ、枝から桜が蘇ったとして、あの弥五郎桜と同じ存在と言えるかどうか、同じ魂がその木に宿るのかどうかも分からなかった。  だから、僕はその樹皮を使わせてもらうことにしたのだ。  ついこの間まで生きていた弥五郎桜の樹体を、こんな風に扱っていいのかは正直分からない。『死んでしまえば、この身がどうなろうと、恐れることなど何もない』、その言葉に僕は甘えさせてもらうことにした。  僕は弥五郎桜の樹皮を使って、着物、羽織を染めたのだ。  もしかしたら、開花寸前の山桜の樹皮を使った染め物の話は、聞いたことがあるかもしれない。そんな風な鮮やかな色には染まらなかったものの、アルミ媒染で染めたそれは、純白にわずかに紅が混じる程度の色、ちょうど弥五郎桜の花びらの先端のような、あるいはあの弥五郎の髪の色のような色に染まってくれた。  だから、僕は桜が咲く時期になっても、花見に繰り出すことはない。  代わりに、弥五郎桜の羽織を衣紋掛けに掛けて、それを肴に花見酒をするのだ。  いつか僕があちらに行った時に、同じように弥五郎と花見酒ができることを願いながら。 (了)
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