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「怖いか、小童」
僕は顔を上げる。その声は、すぐ側から発せられたような気がした。
果たして、そこに彼女はいた。(この時は僕は、それを女だと思ったのだ)
高橋老人のある家の塀、その内側から半分身を乗り出して、こちらを覗き込んでいる背の高い人物がいた。
恐ろしさも忘れて僕は、思わずその姿に見惚れてしまう。それほどまでに美しい女だった。
髪は白かった。と言っても真っ白ではなく、わずかに紅みがさしていて、ちょうど弥五郎桜の花びらの先端の方の色に近い。色白でもあり、ただ目だけが血のように、桜の花の内側の蕊の色のように紅い。着流しの和服姿で、着物は黒。木炭の色を思い浮かべれば近いだろうと思う、銀色の光沢を帯びた黒だった。
「怖いか、小童」
女はまた、そう僕に尋ねる。
「こ……怖いなんてあるもんか! なんだよあんた、何の用なんだよ!」
「おぬしと、話がしてみたくなっての」
そんな調子で女は、面白そうにこちらを見やっている。
「……話がしたいなら、失礼なんじゃないの?」
女の言い草に僕は反発してみせる。いくら初見でその美しさに見惚れたからって、美しい女と見ると目の色変えて尻を追いかけ回すような年齢には、僕は達していなかった。
「おお、すまんの。小童、名は何と?」
「……俊哉。でもさあ」
「何じゃ?」
「人の名前を聞く前に、自分から名乗るべきじゃないの? おばさん」
ここで、わざわざ僕はこういう言い方をした。どうも、最初からこの女に上手に出られていることが、その時の僕には気に食わなかったのだ。
だけど、女は僕の反発など意にも介さないように言葉を続ける。
「おお、すまんすまん。儂の名は……そうじゃの。弥五郎、とでも名乗るべきかの」
「嘘つき」
「嘘なものか。おぬし、なかなか生意気な小童じゃの」
軽口を返す女、改め弥五郎。そう言いながらも、弥五郎は何となく楽しそうだ。
「だってあんた女だろ。弥五郎なんて名前、女のわけがないだろ」
そこで、弥五郎はふっと微笑む。
「……人間とはまこと、不便なもんじゃのう。男だの女だの。……まあ、草木の中にもあるか、雄花と雌花があるものは」
「え?」
僕はぼんやりと、弥五郎の顔を眺めていたと思う。
「儂は弥五郎桜。この桜の木の魂、精とでも言った方がいいかの? だから、女でもあり、男でもある。分かるか、小童……俊哉」
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