1話

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 そして、俺は今、マシロウを着てステージに立っている。  外に出た瞬間は、日差しが(さえぎ)られる分、いくらか楽に思えた。だが歩きだしてすぐ、中は温室と化した。熱気はすべてに内部たまり、とめどなく汗が()き出してくる。踊る前に汗を拭っておこうとした手が、ゴンと固い頭部にぶつかった。  おまけにスーツの内側は、ひどいにおいがした。ずっと口呼吸しているのだが、それでもふとした瞬間、知らないだれかの汗のにおいが鼻を突いて気が滅入(めい)る。  左右についた目と、上を向いた三日月型の口、視界はこの三つの覗き穴だけだ。しかも細かい穴が空いた黒い膜越しなので、とにかく見づらい。  そんな不自由な視界でも、客席がぽつぽつとしか埋まっていないことはわかった。そのわずかな観客もショーが目当てではなく、単に日陰とイスを求めて休憩に来ただけに見える。  進行役の女性はそんなこと気にもせず、マイクを持って観客に呼びかける。 〈マシロウとロコちゃんも皆さんに会えて、とっても喜んでまーす〉  俺は体を揺らしながら両手を大きく振った。俺が代打をやることは彼女にも伝わっているようで、何をすればいいのかさり気なく指示をくれる。これがなかったら、俺はステージで棒立ちだったかもしれない。  俺の横には、同じ形のピンク色の着ぐるみが立っている。進行役のセリフに合わせて大げさにリアクションを取る動きは、堂に入っている。ビジュアルから想像した通り、ロコちゃんは女の子らしい。腕を下ろしている時はティンカーベルみたいに手の平を下に向け、驚いた時は両手で口を覆ったり、仕草のひとつひとつがわりやすいくらい、女の子だ。だけど、その中に入っているのは中島だ。五十をすぎたおじさんがこれをやっていると考えると、見ているだけでこっちまで恥ずかしくなってくる。  などと考えていたら、無駄に元気なマーチ系の音楽が流れてきた。  曲に合わせて、覚えたてのダンスを踊る。振り付けそのものは子どもでも踊れるくらい簡単だ。覚えやすさを求めたのか、単に思いつかなかったのか、同じ動きを何度も繰り返す単調なダンスだ。真面目にやっている自分がバカバカしくなってくる。  だが、着ぐるみでやると話は変わってくる。とにかく動きにくい。すべての動きが、半拍遅れてついてくる。ならばと力任せに動けば、重たいしっぽが振り子のように揺れて胴体が振り回される。腕を上げるのは九十度が限界。足も、固い胴体が邪魔して、肩幅以上に開くことができない。額から滑り落ちてきた汗が目に入るのも黙って耐えるしかない。もはや、サウナで運動しているような感覚だ。  永遠のような四分間を、必死に踊り続ける。 〈マシロウとロコちゃんに大きな拍手を!〉  進行役の明るい声に、観客がまばらな拍手を返す。  俺は中島にならって観客に手を振り、舞台袖にはけた。  ふと、舞台袖に置かれた姿見が目に入った。二足歩行の黄色いカメみたいなシルエットだった。何も考えていなさそうな間抜けな顔が、俺を見返してくる。  俺は、いったい何をやってるんだ?  終わった途端、疑問と羞恥心(しゅうちしん)が体の中を駆けめぐった。
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