第10話「3周目〜神のおわす場所〜」

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第10話「3周目〜神のおわす場所〜」

3rd round after  白い空間に聳え立つ大きな鳥居の下に、顔を黒子の様に白い布で覆っている、浅葱の袴を履いた誰かが立っていた。  その人物が行燈(あんどん)を持ちながらこちらに近づいてくる。固まっている斗哉と心乃香の前まで来ると、ふっと頭を下げた。 「お待ちしておりました。此方へお越しください」  その人物は再び鳥居へ向かうと、そのまま鳥居の向こうへ消えていった。  二人はお互い顔を見合い、次には大体ここは何処なのだ?と周りを見渡す。さっきまで、大社の境内にいたはずなのだ。だがその境内の景色は見る影もなく、何処までも白いのだ。  だが斗哉には見覚えがあった。いつか夢で見た黒猫と再開した場所によく似ている。 「行こう」  斗哉は、心乃香の返事を待たず彼女の手を取ると、そのまま鳥居へ向かった。  鳥居を潜ると中は何故か真っ暗で、石段が遥か先まで続いていた。一歩石段を登ると、先の方まで左右に石段を照らす様に灯籠が現れた。  遥か先に先程の人物が見える。斗哉は心乃香の手を握る力を強めて、意を決してその石段を登り始めた。 ***  石段を登り切った所で、あの人物が待っていた。よくよく見ると、人ではないのではと斗哉は思った。  その人物が行燈を掲げると、大きな門が現れた。導かれる様にそこを潜ると、大社境内とよく似た景色が広がった。ただ何処か違う。何というか、この世のものとは思えないのだ。 「その通り。ここは現世ではないですよ」  心を読まれたのかと、斗哉はビックリして、その人物を見遣った。 「ここは『神』の集う場所ですから」  その人物は抑揚なく答えた。 *** 「わたくし、『(ハク)』と申します。以後お見知りおきを」  そう自己紹介されて、斗哉は慌てて返事をした。 「あ、オレは八神斗哉です。で、こっちは如月……心乃香です」 「存じておりますよ」 「え⁉︎ ……あのさっき『お待ちしておりました』って言いましたよね? どう言う事ですか?」 「まあ、それは追々……とりあえず、お二人ともずぶ濡れなので、湯殿にご案内します」  そう言えば、さっき雨に降られてずぶ濡れだった。 「お二人、ご一緒に入りますか?」 「え?」  斗哉は、何を言われてるか分からなかった。二人で? そう頭に浮かんで、心乃香の手を繋ぎっぱなしだったのに気が付いた。  心乃香がやっと気が付いたかと、冷ややかに斗哉を睨んで来る。 「いつまで握ってるの?」 「わっ、ごめん!」  斗哉は慌てて心乃香の手を離した。 「別でお願いします」    心乃香は冷静に、白に申し出た。 ***  斗哉が案内された湯殿は、赤い屋根付きの大変広い露天風呂で、白濁した湯面に、桃色の花が幾つも浮かんでいた。  余りに現世離れした光景に、自分はあの世にでもいるんじゃないかと錯覚した。  斗哉は恐る恐る湯に足を入れてみる。変な感じはしない。そのまま意を決して、ゆっくり肩まで浸かってみる。 (はー、生き返る……)  今までの疲れが、湯に溶けていく様だった。真夏だと言うのに、あの境内は大変寒く感じた。雨のせいかもしれないが……斗哉は既にあの時、別の世界に足を突っ込んでいたんじゃないかと思った。  湯を掬い顔を洗って、天を見上げる。絶対まともじゃない。先程までは夕方だったのに、露天の空は星空なのだ。  もう自分は、死んでしまっているんじゃないかと心配になった。  風呂は命の洗濯と言うけれど、斗哉は風呂に浸かる時、嫌な事を思い出す事が多かった。  このじっくり考えられる時間が好きじゃない。途端に両親や友人の事を思い出す。 (大丈夫……絶対、大丈夫……)  斗哉は頭まで湯に浸かり、暗示をかける様に心の中で呟いた。 ***  湯殿から出ると、脱衣所に自分の服の代わりに浴衣が置いてあった。斗哉は「旅館かよ!」と突っ込みたくなったが、自分の着ていた服は、ずぶ濡れだったので、有り難く貸してもらう事にした。  着替えを終え外にを出ると、暗い朱塗りの廊下に蝋燭の炎が浮かび上がっていた。  白が言うには、今この神殿は閑散期なので、使われている所以外、照明が灯ってないらしく、湯殿から出たら灯りが導く方向に行けば、行くべき場所に行けるとの事だ。 (神の世界も、閑散期ってあるのか……)  灯りの続く方に歩いて行くと、明るく大変大きな広間に出た。その広間の真ん中に浴衣姿の心乃香がちょこんと座っていた。 (あ……浴衣……)  斗哉はその心乃香の姿を見て、あの祭りの日に見た彼女の浴衣姿を思い出した。  その時の様な、外出用の煌びやかな姿ではないけれど、いつもの彼女と違う艶やかな姿に、ドキッとした。 (……何考えてるんだ、オレは! この非常時に!)  斗哉は煩悩を払うべく、慌てて被りを振った。心乃香は、目の前に置いてあるお膳を凝視しており、こちらに気が付く様子もない。  心乃香の方へ行こうとした時、白が御簾越しに現れた。 「あ、斗哉様もお出になられましたか。ささ、此方へどうぞ。お腹が空きましたでしょ?」  心乃香の隣に円座が用意されており、その目の前に、心乃香同様お膳が用意されていた。  その朱塗りのお膳の上には、蕎麦が盛られた三段重ねの漆器と、それとは別に薬味と出し汁の容器が乗っていた。  斗哉はそれを見た途端、腹が減って来た。思えば、心乃香にサンドウィッチを分けてもらって以来、何も口にしていない。  斗哉は円座に座ると、いただきますと蕎麦に手をつけようとしたが、横から心乃香がそれを制した。  食欲の権化の様な心乃香に、止められる事が斗哉は意外だった。どうした? 「これ、食べて大丈夫なの?」  心乃香は白を睨んだ。斗哉は心乃香に何か思う所がある様だと、箸を置いた。 「黄泉の国の食べ物を口にすると、現世に戻れなくなるって言うけど、これは大丈夫なの?」  斗哉は、その心乃香の質問にギョッとした。表情は見えないが、白は薄く笑っている様だ。 「お若いのによく知ってますね、そんな事。大丈夫ですよ。ここは黄泉の国ではありませんし、その『出雲蕎麦』は地上から取り寄せた物ですから。折角なので、郷土料理をと思いまして。安心してお上がりください」  心乃香は少しの間白を睨んでいたが、それじゃあいただくわと、箸に手を付けた。分かっていた事だが、心乃香は蕎麦をあっという間に食べ切ると、追加の蕎麦を要求していた。 *** 「さて……さっきの『お待ちしておりました』ってどう言う事なの?」  散々蕎麦を堪能した後、蕎麦湯を飲みながら心乃香は白に質問を投げかけた。 「少々困った事がございまして……此方に一緒に着いて来ていただけますか?」  そう言うと白はゆるりと立ち上がり、広間を出て二人を先導した。  連れてこられた所はある部屋の前で、白がその部屋の妻戸を開けると、中から凄い臭いが漂って来た。 (さ、酒臭っ‼︎)  部屋の中は、大量の酒樽や酒瓶で溢れかえっており、その中央に黒い物体が、ぐーすか高イビキをかいて寝ている。 (なっ‼︎)  あの『黒猫』だ!   斗哉はその黒猫の醜態を見るや、怒りが込み上げて来て、白が止めるのも聞かず、黒猫に飛びかかろうとした。  瞬間、斗哉は部屋の外に何かの力で跳ね飛ばされる。 「うわっ!」 「ちょっ、大丈夫?」  心乃香は慌てて斗哉に駆け寄った。  白はあーあと、被りを振った。 「危のうございます。だから、お止めしましたのに……」 「痛てて」と斗哉は心乃香に支えられ、何とか身を起こした。 「これ、どーゆう事だよ⁉︎ 説明してくれ!」 *** 「事の発端は数日前です。ふらっとクロ様は此方にいらっしゃいました。調べ物があると……」  白は淡々と事の経緯を話し出した。斗哉と心乃香は息を呑んでその続きを待った。 「で、それに飽きてしまい、酒を大量に呑んで今に至ります」 「は⁉︎」  斗哉はそのロクでもない経緯に、思わず白に突っ込んでしまった。自分は散々悩んでここまで来たのだ。なのに当の本人は、酒を呑んで酔っ払い潰れていた訳だ。いいご身分だわ!   沸々と、怒りが込み上げて来ていた斗哉に代わり、心乃香が白に訪ねた。 「で、私たちを『お待ちしておりました』って何なのよ?」 「お二人はクロ様と(ゆかり)がある。地元の方に、クロ様を連れ帰って欲しいのです」 「え?」 「大変迷惑なので」  白が冷ややかにその言葉を発した。 「でもこの黒猫、行きは神道? て言うのを通って来たのよね? 私たちが普通に連れ帰って平気なの?」 「その点は心配なく。それにこの様な酔っ払われた状態では、神道を通っていると何処ぞに落ちて、そのまま何処かに行ってしまいかねません。二日酔いの状態でも、危ないと思います。それに……」  白は顔を覆う布の下で、ニコリと笑った様だった。 「お二人もクロ様に早く、戻っていただきたいんじゃないですか?」  斗哉と心乃香は顔を見合わせた。確かに…… 『分かりました』と二人は嫌々返事をした。 ***  しかし今日はもう遅いので、明日の朝、御出立下さいと、二人は宿舎に案内された。繁盛期は、神様たちの宿泊施設に使われている所らしい。  繁盛期とは? と斗哉が首を傾げていると、心乃香が「神在月じゃない?」と呟いた。  ただ、二人はその宿舎の部屋に通されて、ギョッとした。  宿舎自体は寝殿造りの様な形で、格子と簀子(すのこ)で簡易的に仕切られたさほど大きくない部屋だった。  中には、屏風や几帳(きちょう)が立てかけられていて、まるで源氏物語の世界にでも迷い込んだ様な所だった。そこまではいい。  ただ中央に、天蓋付きの豪華な寝室が鎮座している。古典的に言うならまさに『御帳台(みちょうだい)』だ。  斗哉と心乃香は、この御張台を見てギョッとしたのだ。これではまるで二人で―― 「此方のお部屋、二人でお使い下さい」   やっぱり! と二人の悪い予感が的中した。 「あ、あの、もう一つ部屋を……」  そう心乃香が慌てて言いかけると、白が心乃香たちにぬっと迫って顔を寄せてきた。 「何か問題でも? お二人は夫婦(めおと)ですよね?」 『は⁉︎』  あまりの事に、二人の驚きの声がハモった。すかさず、心乃香が抗議する。 「ち、違います! だから、困ります!」  そう慌てる心乃香に、白は更に詰め寄ってきた。 「だってお二人とも『縁結び』の御守り、お買いになりましたよね?」 「えっ?」と二人は息を呑んだ。縁結びの御守り?……あ……  二人は同時に、あのお祭りで買った桜貝の御守りの事を思い出した。確かに買った。買っていた。だがあれは…… 「まさか、冷やかしで『御守り』を買われた訳ではないですよね?」 「いや、その……」 「御守りには神の力が宿ってます。買った時点で御利益として力が発揮されるのです。貴方たちの縁は結ばれた……なのに」  白が凄いオーラを放ち、二人を捉えて離さない……そんな迫力だった。 「その力を適当に扱うなど、天罰が下りますよ!」  確かに、神の力を蔑ろに扱って天罰が下り、今二人はここまで来ているわけだから、何も言い返せなかった。  白は姿勢を正すと、次には穏やかに言葉を続けた。 「お部屋は、お二人でお使い下さい」 『……はい』  二人はもう頷くしかなかった。 ***  斗哉は先程の、反射的な心乃香の嫌がり方に、無意識に傷ついていた。その感情が沸々と込み上げてきて、ついつい思ってもない事が、言葉に出てしまった。 「そんな心配しなくても、お前なんかに手、出さねーよ」  言ってしまって斗哉はハッとした。その呟きが心乃香の耳に入ってしまい、彼女は見る見る顔を赤くした。 「別にそんな事心配してないわよ! だって『やだよ。あんなのとしたくねーし!』って言ってたもんね!」  心乃香はそう吐き捨てると、ズカズカと寝所に入り、衣桁(いこう)から薄手の絹衣な様なものを乱暴に剥ぎ取ると、それに包まって寝てしまった。  あの時の悪巧みの会話だと、斗哉は心乃香の記憶力に舌を巻いた。う……またやってしまった。どうして心乃香の前だと、こう憎まれ口を叩いてしまうんだろうと、斗哉は自分が嫌になった。他の女子相手なら、嘘でもこんな事言わないのに。  斗哉は暫く天蓋の入り口で、ふて寝してしまった心乃香の姿を見つめていだが、入り口の(とばり)を静かに下ろしながら、意を決して天蓋の中に入った。    嘘だ――  今、本当はめちゃくちゃドキドキしてる。一緒の傘に入って肩から体温を感じた時や、祭りの日、初めて手を繋いだ時なんかの比じゃない。  斗哉は、自分の暴れる心臓の音を鼓膜に感じながら、やっとの思いで心乃香の横に寝そべった。天蓋は柔らかな布だし、捲し上げればすぐに外に出る事も可能だ。でも何もしなければ密室空間。古典の源氏物語なんかでは「そういう事」をする場所だ。  斗哉は、落ち着けと自分に言い聞かせた。彼女の事を知る前、ただのクラスメイトだった頃、なんとも思っていなかったし、彼女をそんな風に見るなんて、あり得ないとさえ思ってた。  一回目に告白ドッキリを仕掛けた時は、少しぐらついたが、あの彼女は演技で作られたものだと分かったし、その後、彼女の本性が分かり、恐ろしいとすら感じた。  なのに今は――  何なんだろう、この気持ち?  相変わらず太々しいし、可愛げないし、マイペース過ぎて、人に合わす事も出来ない、孤独を愛する奴だ。分かり合えない――しかもオレを憎んでる。  だけど――それだけじゃない。いや寧ろ、それすらも――  この溢れてくる、感情の名前を知りたくなくて、斗哉は目を閉じようとした。  目の前の心乃香の白い(うなじ)が目に入り、心臓が飛び出しそうになる。さっき咄嗟に、心乃香を抱きしめてしまった時の、彼女の柔らかさが思い出され、体が熱くなった。   (触れたい……)  そう頭に浮かんでしまい、斗哉は自覚しないわけには行かなかった。 (こんなん、ずるい……無理だよ。どうしたら、いいんだよオレ……)  斗哉は何かに耐える様に、ぎゅっと目を瞑った。心乃香に大嫌いだと言われたことが辛かった。こんな風に拒絶されることが辛かった。それでも、こうして彼女の傍に居られることが嬉しいのだ。 (オレ……もう、如月の事が……)  斗哉は心臓の高鳴りが治らず、その夜は一睡も眠る事が出来なかった。 つづく
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