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第11話「3周目〜復路〜」
3rd round after
柔らかな光を感じて、心乃香は目覚めた。空気中の埃が、象牙色の天蓋の隙間から差し込む朝日に照らされて、キラキラと舞っている。
(……ここは……どこだっけ?)
心乃香は眠気まなこで、ゆっくりと辺りを見渡そうとした。
「おはよう。やっと起きたか」
すぐ近くで、少し低い心地よい声がして、心乃香は心臓が止まりかけた。恐る恐る、その声が発せられた方へ視線を遣る。
肘をつき、頭を支えながらすぐ隣で斗哉が横になり、呆れ顔でこちらを見ていた。
(……なっ! どういう状況、これ⁉︎)
なんでコイツが隣に寝ているんだと、心乃香は呼吸をするのを、忘れそうになるくらいビックリした。
夢だ――私、まだ夢を見ている――
心乃香がそう思い込もうとした時、斗哉は心乃香の心を読むように呟いた。
「夢じゃないよ」
「……あ、あの……」
「まだ、寝ぼけてるの? マジぐっすり寝てたんだな……人の気も知らないで」
はあっと溜め息を吐き、斗哉は心乃香に身を寄せると、心乃香の頭のすぐ上に手を伸ばした。心乃香はすぐ傍に斗哉の体温を感じて、顔が熱くなった。心臓が早鐘を打つ。
(ちょ、ちょっと、待って、これどういう状態なの⁉︎)
「ほら、眼鏡。窮屈そうだから外しといた。それ掛けたら、少し頭も動くだろ」
斗哉はそう言うと、心乃香にそのまま眼鏡を掛けてやった。
その時、部屋の外からゴーン、ゴーンと鐘の音がした。
「なんだろ? 起きろって言う合図かな?」
斗哉は天蓋の隙間から外を覗いた。そのままよっと起き上がり、「見てくる」と短く言い残し、天蓋の帳を上げると外に出て行った。
心乃香は、斗哉を呆然と見送る事しか出来なかった。
(……何? ……今の……リア充、怖っ……)
一夜を共にしたような、その斗哉の大人びた雰囲気に、心乃香はリア充の恐ろしさを、マジマジと感じた。
いや一夜は共にしたんだと、はっと心乃香は自分の体を見る。特に浴衣に激しく乱れた所はない。
(……いや、何かされたら、流石に気がつくでしょ⁉︎……なに考えてるの、私! ……それに)
心乃香は、昨晩の斗哉の捨て台詞を思い出した。
『そんな心配しなくても、お前なんかに手、出さねーよ』
(そりゃ、そうだ……私、どうかしてた)
心乃香は急に現実を取り戻した様に、身を起こし、すくっと立ち上がった。
心乃香が天蓋の外に出ると、漆塗りの衣装箱の中に、自分が着てきた服が綺麗に畳まれて置かれていた。
***
心乃香は自分の服に着替えると、部屋を後にした。外はすっかり晴れていて、白木の廊下を進む。アイツは何処まで行ったのだろうと周りを見渡しながら、神殿に向かった。
暫くすると、空腹を擽ぐるいい香りが漂ってきた。心乃香は、その香りに誘われる様に歩いて行った。
***
「うえええあええ……ぎもじ悪い」
「完全に、二日酔いですね」
「猫って、酒飲んで大丈夫なの?」
そんな会話が聞こえて来て、心乃香は足を早めた。
ちょうど昨晩、夕餉を頂いた大広間に出た。
「あ、如月」
円座の上でへたり込んでいる黒猫を、斗哉と白が取り囲んでいる。
斗哉の前とその隣の空席の円座の前に、お膳に乗せられた朝食が用意されていた。
いい香りの原因はこれかと、心乃香は急にお腹が空いてきた。
***
「さて……」
朝食を済ませた後、白が改めて斗哉と心乃香の前に座った。何やら和書を携えている。
「少し調べたのですが、早急にクロ様を連れてお帰りになった方が良いです」
「改まって、何? どう言う事?」
心乃香はなんだか嫌な予感した。隣に座る斗哉も息を呑む。
「お二人は、斗哉様の近親者が神隠しにあった件で、クロ様を探しに来られた様ですが……」
「神隠し?」
「昨日の7月19日に一人、そして本日7月20日にも一人、斗哉様の〝近しい方”が消えております」
「えっ⁉︎」
斗哉はどういう事だと身を乗り出した。
「クロ様は正確には『神』とは違うのです。無念のうちに散ったため、怨霊と化した黒猫なのです。ただその場所が神域だった為、神の様な力を得た……と言いますか」
そう言うと白は、持っていた和書をペラペラと捲った。
「問題の7月13日は、そちらの神社はお祭りだったのではないですか? それも良くなかった。その日にクロ様の生前の無念の想いと、斗哉様の強烈な後悔の念、心乃香様の怨情から来る強い『言霊』のこの三つの力が重なって、クロ様は『祟り神』になったのです」
とても簡単には信じられない事を、立て続けに言われて、二人は呆然とした。
「申し上げ難いですが、黒猫の最後を看取った斗哉様は呪われています。そして『呪い』なので、わたくしども神側にはどうする事も出来ません。そしてここからが重要なのですが……」
まだこれ以上ショックな事があるのかと、斗哉は信じられない思いだった。
「この神隠し、斗哉様が関わってきた『絆のある者』が全て消えるまで、終わる事は恐らくないでしょう」
『え⁉︎』
二人はあまりの事に、声を揃えて驚いた。
「斗哉様という人間を構成するのに、重要だった『順番』に消えていく様です。要は貴方が大切だと思っていた方々から、消えていくという事です」
斗哉は居ても立っても居られなくなり、立ち上がった。心乃香はその斗哉の顔を見上げた。痛々しいくらいに真っ青だった。
斗哉はとても交友関係が広かった。まさに、彼にとって人との繋がりが、彼を作り上げてきた『一部』たちだったのだろうと心乃香は思った。
「……どうすれば……」
斗哉は譫言の様に呟いた。既に自分のせいで六人も人が消えてる。早く戻ってクロに何とかしてもらわないと、もっと大変な事になる。
「斗哉様、怨霊は呪いは掛けられても、解く事は出来ないのです。その『方法』をクロ様は探しに来たのかもしれません」
白は、相変わらず円座の上でへばり切ってる黒猫を見遣った。
「怨霊は地縛した場所で、より強い力を発揮します。早く戻って処置しなければ、更に被害が拡大するでしょう。……そして一度消えれば、もう元には戻りません。更に申し上げ難いのですが、既に消えている六人は、もう戻らないでしょう」
「⁉︎」
斗哉はその言葉を聞くとクロを掴み、広間から飛び出した。蝋燭の回廊を泣きそうになりながら、走っていく。
(早く……早く戻らないと、もっと大変な事になる)
その先に大きな扉が見えた。その扉に向かって、斗哉がむしゃらになって走った。
(ごめん、父さん、母さん……陸、将暉……)
失われるなんて思ってなかった。自分の周りに当たり前に居てくれる人たちだと思ってた。もう、二度と会えないなんて――
――こんな事になるなんて、思ってなかった
今まで自分がしてきた行いが、全て間違っている気がした。後悔する――
それで、またやり直すのか?
斗哉は被りを振った。一度してしてしまった事はもう、取り消せないんだ。
せめて、もう自分の大切なものがこれ以上溢れ落ちない様に、何とかしなければ――
斗哉は溢れてくる涙を、ぐいっと腕で拭いながら門の外に飛び出した。
***
大広間に残された心乃香と白は、呆然と斗哉が行ってしまった方を見ていた。
暫くして白が自分を取り戻し、心乃香に向き直った。
「心乃香様、お話がございます」
***
斗哉はいつの間にか、出雲大社の境内を走っていた。四の鳥居を抜けて松の参道を走る。
苦しい――息が出来ない。でも、今の自分には走る事しか出来ない。
正門の鳥居を抜け、神門通りに出る。もうすぐ駅が見えるという所で、斗哉は気が付いた。
(しまった! 慌てて、荷物全部置いてきた!)
自分に急ブレーキを掛けて、今来た道を振り返る。正門からトコトコ歩いてくる人影が見えた。その人影は、荒い息を整えながら、立ち止まっている斗哉の元にやってきた。
「何も持たずに、どうやって帰るつもり?」
心乃香が斗哉のリュックを差し出した。
***
「わ、悪い……」
斗哉は、心乃香が一緒に来ていた事も忘れていた。荷物を慌てて受け取る。
「始発が来るまでまだ少しある。焦ったって、どうしようもないでしょ」
「だけど!」
その更に先を言おうとして、斗哉は躊躇った。そうだ……こいつの言う通り。焦ったって仕方ない。でも逸る気持ちが抑えられなくて……
(くっそ……泣きそう……)
一人なら、泣いていたかもしれない。でも、こいつの前で絶対泣きたくない。斗哉は感情を必死で抑え込んだ。そうすると足りなかった酸素が頭に供給され、不思議と頭が冴えてきた。
「ごめん、そうだよな……」
心乃香は仕方ないなと呆れながら、斗哉を見ると、ふっと微笑んだ。
***
斗哉は復路のルート検索をしながら、心乃香の膝の上でスヤスヤと眠る黒猫を見遣った。
「電車って、動物乗せるのに何か許可いるのかな?」
「あ、クロのこと? 大丈夫よ。この子、普通の人には見えないらしいから。白が言ってた」
「へー? 神様だからか? いや、怨霊か……本当騙されたわ」
はあっと斗哉は溜め息を吐いた。心乃香は、黒猫の背中を撫でながら呟いた。
「神も怨霊も、本質はそんなに変わらないと思うけどね……」
「え⁉︎ ……いやいや、ぜんぜん違うでしょ⁉︎」
「そうかな?」と心乃香は、黒猫の背中を優しく撫でていた。斗哉はその黒猫の様子を見て、少しイラっとした。
(……くっ、こいつ……如月の膝の上で、気持ちよさそうにしやがって……)
***
復路も往路とほぼ変わらないルートで行けそうで、今日中に地元に着けそうだった。来た時より電車の客は少なかったし、新幹線も普通に座る事が出来て斗哉はホッとした。
昨日眠れなかった事も手伝って、心身ともに疲れがきている。地元の神社に黒猫を送り届けて、それで問題が本当に解決するのかと言う不安もあった。
でも、信じるしかない。
斗哉は行きとは違い、大人しい心乃香を見遣った。こいつもやっぱり疲れたよなと、少し心配になった。何故なら行きにあれだけ大量に駅弁やら、アイスやら、シェイクやら食べたり飲んだりしていたいのに、復路は全くそんな素振りがないのだ。
しかも一切何も喋らず、車窓の外をずっと眺めている。斗哉は何か話し掛けようかと思ったが、何を話していいか分からなかった。
きっと神殿で白から聞いた話に、思う所があるんだろうなと斗哉は思った。
ふっと心乃香がこちらを見た。目があって、斗哉はドキッとした。心乃香が静かに口を開く。
「……なに?」
「いや、別に。……その、何考えてるのかなって?」
斗哉は急に照れ臭くなった。何でこんな気持ちになるんだろう。
「ずっと、人が『消えた』順番が気になってたんだよ、私」
「え?」
「まさか、大切に思ってる順に消えるなんて……『親』より先に消えるとか、あんたにとって五十嵐と菊池って、本当に大切な友達なのね?」
「え? いや、特段そんな風に考えた事なかったけど……」
「中学生男子にとっては、親は鬱陶しい存在って言う事か……思春期拗らせてるなー」
ハハハと、心乃香は痛いものを見るかの如く笑った。
「そんなんじゃねーよ! ……ただ今思うと、オレ、足怪我して部活辞めた時、スゲー腐ってて、アイツらが居てくれて助かったっていうか……」
「今も結構腐ってると思うけど。というか、あの二人のせいで腐り方、悪化したんじゃない?」
「なっ!」
「いい男ってのは、あんな風に陰で女子の悪口言ったりしないのよ」
「……それは、本当ごめん」
本当にそれは悪かった。全面的に謝る。それに今はもう彼女のうだつが上がらないなんて、全く思ってない。
「でも、あんたがそんなに大切に思ってる友達なら、根はそんなに悪い奴らじゃないのかもね……」
そう消えいる様に呟くと、心乃香は静かに目を閉じた。
「如月?」
心乃香はその呼び掛けには反応せず、スースーと寝息を立て始めた。
寝ちゃったのか……膝に眠った黒猫を乗せ、眠る少女。ちょっと絵になるなと斗哉は思った。
(……あ)
さっきの『自分が大切だと思ってる順に消える』という法則を、斗哉は急に思い出した。
始めに消えたのは『陸』だと思っていた。
でも、初めてやり直しを行った時、何を持っていかれたのか分からなかった。
そして『二回目』彼女が消えていた――
(まさか、一番始めに持って行かれたのって……)
斗哉は再び横で眠る少女を見た。目頭が熱くなって涙が溢れそうになる。
(オレの、一番……大切な……)
もうすぐこの旅も終わる――
始めは心乃香が着いて来て、どうなる事やらと思ったけど、彼女が着いてきてくれて、一緒に居てくれて、本当に良かったと思いながら、斗哉も電車の心地よい振動の中、微睡んでいった。
つづく
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