第13話「3周目〜絆〜」

1/1
前へ
/15ページ
次へ

第13話「3周目〜絆〜」

3rd round after  どの様に帰ったか覚えていない――  家に帰ると「黙って一泊するなんて、どこに行ってたの⁉︎」と母親が凄い剣幕で捲し立てて来た。  晩酌しながら、居間のテレビで野球の中継を観ていた父親が「まあまあ母さん、男にはそう言う時があるんだよ」と宥めに入った。  その時、ズボンのポケットにしまっていたスマホから着信音が鳴る。 『今度の土曜、三人で海行かね?』と言う将暉からのグループメッセージだった。そのメッセージに陸が『OK』と返して来た。  スマホから消えていた、二人のログが戻っている。後二人……誰が消えていたのか確認できなかったが、この調子ならその二人の存在も元に戻ったのだろうと、斗哉は静かに思っていた。 ***  翌日斗哉は、記憶を辿り如月家まで来ていた。正確には「如月家があった場所」だ。  確かに如月家があった筈なのに、そこは空き地になっており、如月家があった形跡はなかったのだ。  近所の人に尋ねたが、そこはだいぶ前から空き地だったと言う事だ。  もちろん、如月家の人がどうなったか分からない。心乃香はきっと「姉」は大丈夫と言っていたが、この分では、如月姉の存在も消えているだろう。  心乃香が思っていた以上に、心乃香は姉の事を想っていて、またその姉も、心乃香の事を想っていたのではないだろうか?  斗哉はふっと可笑しさが込み上げていた。心乃香自身は認めないだろうが、彼女は自分と少しでも関わって来た人を、無意識下で大切に想っていた。  陸や将暉に対してもそうだ。最後には結局二人を許したのだ。  間違いない。そうでなければ「悲しむ皆んなが痛々しくて、見ていられなかった」なんて言葉は出てこない。  人に傷つけられるのが、傷つけるのが怖くて、誰とも関わらない。だから、みんな本当の彼女を知らなかった。  誰も知らなかった。誰も彼女を想わなかった――  皮肉な事に、それが世界を平穏に戻した。如月家が消えて以降、斗哉の知る限り、誰も消える事はなかった。 『私が消えたって、別に世界は何も変わらないから』  心乃香が言った通りに、世界は残酷な程彼女を必要とする事なく、何も変わらず時は流れていった。 *** ――四ヶ月後 「少し肌寒くなってきましたね」  斗哉は急に後ろから声を掛けられて、ビックリした。 「夏からずーと、いらしてる。前に熱中症になりかかって、フラフラしてた学生さんでしょ?」  斗哉は以前、「五十嵐 陸」が消えた時に、学校を早退し真夏の神社を探索をしていて、倒れかかって、この神社の神主に介抱してもらった事を思い出した。 「あ! ……あの時は、ありがとうございました!」  ハハハと神主は朗らかに笑った。 「前の時も熱心に、何か探しておったみたいだが、探し物は見つかったのかね?」 「いえ……それはもう……見つからない、かな……」  神主は、斗哉のその様子を見て深くは探らず、斗哉が手に握っていた、あるものに気が付いた。 「それ、うちの神社の御守りですな」 「え⁉︎ あ、はい……」 「その桜貝の御守り、限定販売だったんですよ。手に入れたなんて運がいい」 「はあ……そうなんですか?」 「もしかしてここに毎日来てるのは、その御守りの片方を持ってる相手の事でですかな?」  「え⁉︎」っと斗哉はその問いにびっくりした。ハハハと神主は再び笑った。 「毎日ここに来る貴方を見ていると、『百日詣(ひゃくにちもうで)』を思い出しますよ」 「百日詣?」 「『御百度参り(おひゃくどまいり)』と言った方が馴染みが良いですかな? 神様に願いを聞いてもらうために、神社で百回お参りをする風習ですな」 「でも、お参りするだけなんて……祈るだけなんて、何だか他力本願ですね。オレは出来ることがあるなら、何だってしてやりたいのに……あ、いえ、すいません! ここ神社なのに‼︎」 「ハハハ! いいですよ、そんな事。……でも、神に(すが)りたいくらい、貴方にはどうしようも出来ない願いがありそうだ」  神主は斗哉を静かに見つめてきた。その瞳の前では、偽る事など出来ないと斗哉は思った。 「オレ……もう一度、どうしても会いたい人がいるんですけど、だけどもう会えないんです。……でも、会いたい……それでも願ってたら、会えるんですかね……」  斗哉はそう言葉にして、泣きそうになった。 「もしかして、その御守りを片方渡した相手ですかな?」 「え⁉︎ ……あ、そうです。なんで分かったんですか?」  神主さんはニヤッと、得意そうに微笑んだら。 「これでもうちは『縁結び』の神社です。その片方を持っている相手も『貴方に会いたい』と思っているなら、いつかきっと会えます」 「あ……いや、あっちがどう思ってるかは。大嫌いって言われたし……」 「ふむ……大嫌いですか。それはとても強い『感情』ですな。そんなに嫌われていると……」 「それは、その、オレが悪いんです。嫌われる様な事しちゃったんで……」 「全ての『情』は『愛情』の一部なんです」 「え?」  斗哉には、その言葉に聞き覚えがあった。神主は静かに微笑んだ。 「亡くなった母が言っていた言葉です。『0』からは何も生まれませんが、『情』があるなら、まだ脈ありですな!」 「……そう……ですか?」 「貴方がその相手を想っている限り、希望はありますよ。諦めなければ、その御守りが必ず貴方たちの縁をお助けします。一度結ばれた縁というのは、そうは簡単に切れないのです」  斗哉は自分の単純さに呆れつつも、その神主の言葉をどうしても信じたくなった。 (ヤバイ……オレ、宗教とかに簡単に引っかかるタイプかも……) ***  神社の本堂の屋根の上から、心乃香はその様子をじっと見ていた。  神社の敷地内であれば、重力を感じないこの体ならどんな高い所でも行き放題だ。  おまけに誰からも見えず、誰にも声は届かない、お腹も空かない、年をとる事もない……まさに『空気人間』。  現実を生きていた頃、夢にまで見た状態だった。そして願わくば―― 「こーのか! 何見てるの?」  黒猫が心乃香の頭に飛び乗って来た。この黒猫に関しては、さっきの事は例外らしい。恐らくこの世のものではないからだろう。 「あいつー、また来てる! 懲りないなー! 来たって、もう心乃香の事は見えないのに!」 「……そうだね。ねえ、私ってこの先どうなるの?」 「さあ? でもボクと一緒で霊の様な、神の様なもんだから……」  黒猫は斗哉を一瞥して、ふんっと鼻を鳴らす。 「『神』は人から忘れられたら、消えるんだ。心乃香の事を覚えてるのは、もうこの世界であいつ一人。あいつが心乃香を忘れれば、きっと成仏できるよ」  はあっと、心乃香は溜め息を吐いた。 「それって、いつなの?」 「……大丈夫。人はすぐ『忘れる』生きものだから。そんなに時間は掛からないと思うよ。ただ……」  黒猫はスルスルっと、心乃香の膝の上に飛び降りた。 「ボクは心乃香が居なくなっちゃうのは、少し寂しいな……」  心乃香は膝に乗った黒猫の背中を、撫でながら呟いた。 「……ずっと気になってたんだけど、あんたがこんな風になっちゃった『生前の無念の想い』って、何なの?」  黒猫は心乃香の膝の上で、そのまま気持ち良さそうに微睡み始めた。 「……さあ? 生きていた時の事は、あんまり覚えてないんだ。心乃香もいずれ、そうなれるよ……」  そう呟くと、黒猫はスースーと寝息を立て出した。心乃香はやれやれと、黒猫の背中を摩ってやった。  誰からも干渉される事の無い、穏やかな日々。何もなさずとも、周りから文句を言われることも無い。ただ、存在してるだけで許される。  そういう『モノ』になりたいと思っていた。もう、本の中に逃げなくてもいいんだ。  そして彼さえ忘れてくれれば、この不条理な世界から解放される――  ああ、良かった。これで良かったんだ。  ただ少し、今まで生きてきた街が眼下に広がり、何かが目に沁みた。 *** 「マサムネ……」 「マサムネ……大好きよ……ずっと」 「ずっと、一緒に……いてね?」  うん。僕も大好きだよ。  ずっと、一緒にいるよ。  そう言ってたのに……言ってたのに……  何で、僕を置いていっちゃったの?  嫌だよ、離れたくないよ……  キヨコ……僕を置いて、行かないで……  置いていかれたくなくて、走った。必死に走ったんだ  でも、キヨコに追いつく事は、出来なかった。  ――僕を裏切るの? 酷い、酷いよ! ……ずっと一緒だって言ったのに――  もう、二度と彼女に会う事は出来ない――  目が覚めた時、黒猫は大きな瞳から涙を一粒溢した。 ***  神社の銀杏の葉っぱが黄色に染まり、それがいつの間にか散っていき、寒い季節がやってきた。  正月は快晴で気持ちが良かったが、すぐその一週間後、寒さをどこに溜めていたのか、成人の日には、近年稀に見る大雪だったのを忘れない。  今年は暖冬になると、自信満々に言っていた天気予報士の得意げな顔を覚えてる。どこが暖冬だ。二月はとんでもない寒さだった。  その為、今年の桜の開花は例年より一週間も遅く、始業式の時まだ桜が残っていた。  斗哉は三年生になっていた。  クラス替えがあり、陸や将暉とはクラスが離れてしまったが、今でも相変わらず連んでいる。  受験の年という事もあり、親や先生たちの目が厳しくなった。何につけても「受験、受験」と嫌になる。  今年のGWも休んだ気が全くしない。いつの間にか過ごしやすい季節が過ぎて、じめっとした雨の季節がやってきた。  梅雨は大嫌いだ。早くあけろと思っていた。 *** 「斗哉、お前テニス部の高岡 渚ふったってマジかよ⁉︎」  急に話を振られ、斗哉は飲んでいたコーラを吹き出した。 「え? その話本当なの⁉︎ ……お前、なに様なの⁉︎」 「何で知ってんだよ、そんな事!」 「……何で、こんなんがモテるんだよ! 世の中間違ってる!」 「サッカー部復帰して、株上がったんじゃない? でも受験だし、引退するんだろ? ……てかさ、足、大丈夫なのか?」  陸が心配そうに聞いてきた。がなっていた将暉も、うっと大人しくなる。 「うん。そんな無理してないし。……それに、体動かしてた方が、余計な事考えなくて済むから……」  その斗哉の態度に、陸と将暉は顔を見合わせた。将暉が訝しげに聞いてくる。 「……なんか、あった?」 「いや別に」  そう答えると、斗哉は涼しげにコーラを煽った。 「いや! 何かあったろ? でなきゃ、いつものお前なら、高岡ふらないだろ。……こー言っちゃ何だけど、お前来る者拒まずだったじゃん?」  斗哉はコーラを飲み干すと、そのペットボトルを見つめながら呟いた。 「……オレ、好きな奴いるから」 *** 「はぁ⁉︎」と陸と将暉が斗哉に詰め寄った。  うるさっと、斗哉は思わず身を引いた。 「そんな、驚く事かよ?」 「いや、驚くって! お前にそんな『人の心』があったんか⁉︎」 「オレをなんだと思ってるんだよ!」 「割と外道だと思うけど。斗哉、告って来る子、取っ替えひっかえだったじゃん……」 「クズだな……。本当にクズ」 「お前らに言われたくないわ!」  でも確かにそうだった。別に好きってわけじゃなかったけど、嫌いでもなかったし。    付き合ってたら、好きになっていくものかと思っていたが、そうなる事が出来なくて、それを相手に気づかれてを繰り返していた。  今思うと、『告白』というものには大変なエネルギーと勇気がいる。  それが、自分もその経験をして今は分かる。  今まで自分に向けられてきたその『勇気』を、自分は蔑ろにしてきたのだ。 「……そうだな。やっぱクズだな、オレ」  陸と将暉は再び顔を見合わせた。今度は陸が口火を切る。 「……で、その斗哉の好きな子って誰なの?」  そうだ……こいつらは『如月』の事を知らないんだ。元はと言えば、こいつらとの悪巧みのせいで、如月に告白したのに……二人はその事を覚えてない。 「……お前たちの知らない奴だよ」 「?」と将暉が首を傾げる。 「学校の奴ではないって事か? 塾で一緒の奴とか……まさか、お前、ヤバイ人とかに入れ上げてないよな?」  ヤバイと言われて、斗哉は可笑しくなった。確かにあいつ、ちょっとというか、大分ヤバイかも。 「告ったりしないの?」と陸が不思議そうに聞いてきた。 「もう、告った。でも、大嫌いって言われた」 「ハハ! マジかよ、ざまあー!」と将暉が笑い出した。「大嫌いって、何したんだよ」と陸が呆れて聞いてくる。  確かにざまぁないなと、斗哉は笑みが溢れた。本当にざまぁない。  気がつくと、瞳から涙が溢れていた。その涙に陸と将暉はギョッとした。 「……え? お前、何泣いてんだよ。……そんなに、マジだったん?」  流石の将暉も、心配して聞いてくる。陸はもっと真剣だった。 「大嫌いって……何やったんだよ? そんな拒否られるって、よっぽどじゃん?」  お前らがそれを言うのかと、斗哉は呆れて可笑しくなった。 「まさか、お前無理やり……とか?」 「そんなんじゃねーよ。でも、もっと酷い事したと思う」  項垂れる斗哉を見て、二人は揶揄う気分が一気に削がれてしまった。 「謝ったりとか……そんなんじゃ、許されない事?」 「許してはくれた。でも、もう……」  そこまで言って斗哉は再び感情が込み上げてきた。 「……会えない」  その斗哉のただならぬ様子に、陸と将暉はただただ彼を見つめる事しか出来なかった。 ***  重い空気を打ち消すが如く、将暉は口を開いた。 「……遠距離とか? まさか、相手人妻とかじゃねーよな?」  斗哉は、その将暉のぶっ飛んだ発想に可笑しくて吹き出した。 「そんなんじゃ、ねーよ。……でも、確かにもの凄く遠い遠距離に近いかもしれない。会いたくても、もう会えないから」    斗哉は言っていて、自分の言葉に虚しくなった。認めたくない。あの神主の「諦めなければ、いつかまた会える」という言葉を信じたい。  でも、負けそう……挫けそう。信じたいのに……諦めたくないのに。 (会いたい……会いたいよ……)  斗哉は、必死に心の中で呟いた。  陸と将暉はそんな斗哉を、黙って心配そうに見つめていた。 ***    彼女はいつも本堂の屋根の上から、眼下に広がる景色を眺めてた。飽きもせず眺めていた。  ボクは、そんな彼女の膝の上にちょこんと乗る。彼女の膝はボクの特等席になっていた。  ボクが膝の上で微睡み始めると、彼女が優しく背中を撫でてくれる。  いつか、彼女もボクの前から消えるだろう――  その時は、ボクも彼女と一緒に消えてなくなりたい。  今度こそ一緒に消えてなくなりたい。  そしてもう二度と、生まれ変わりたくない。 ――そう思っていた。 ***  期末考査が終わった後、珍しく陸と将暉の二人に「来週、隣町のお祭り行かねー?」と誘われた。大体、こう言う事は将暉が立案するので、二人同時に声を揃えて言ってくる事は初めてかもしれない。  一年前の「告白ドッキリ」の事を思い出す。陸も将暉もあの時の事は覚えてないのに、これは運命の悪戯か、偶然なのかと斗哉は感じていた。  思えば一年前の7月3日、自分が賭けに負けなければ、将暉があんな内容の罰ゲームをカードに書かなければ、陸がお祭りの情報を持ってこなければ……あの日、彼女とお祭りに行くなんて事は絶対になかっただろう。  ずっと、この事を『後悔』していたが、今でも彼女に対して酷い事をしたと言う反省はあるものの、この事がなければ、自分は『如月心乃香』と言う人間を、本当の意味で知る事はなかっただろうと思った。  それは、今、彼女の事を忘れている人々と何も変わらない気がした。  それを思うと、彼女に告白ドッキリを仕掛けた事も、彼女とお祭りに出掛けた事も、ドッキリを仕返されてショックを受けた事も、自分にとっては全て無駄では無かったんじゃないだろうか?  彼女にしてみれば、大変迷惑な話だ。分かってる。彼女を傷つけた事も、取り返しのつかない事になってしまったのも事実だから。 (こんな方法でしか、近づけなかったなんて……本当、オレ最低だわ。大嫌いって言われたって仕方ない。何て身勝手なんだと、呆れられるだろう。――でも、もう『後悔』は無しだ) ***    暗闇に、ぼんやり浮かび上がる沢山の提灯の灯り。  何処か懐かしい祭りのお囃子。  屋台を楽しそうに回っている賑やかな人々……  心乃香は生前、お祭りというものが騒がしくて大嫌いだったが、こんな風に喧騒外からただ眺めているだけなら、お祭りも悪くないなと思った。  一年前、このごったの中を、男の子と浴衣で歩き回ったなんて信じられないと心乃香は思った。  斗哉と出会わなければ、告白ドッキリの報復をしようなんて考えなかっただろうし、男子に関節技を決める事もなかっただろうし、誰かと二人で遠出するなんて事、絶対なかっただろうなと心乃香は少し可笑しくなった。  すぐに、この世から自分は消えるだろうと思っていた。  自分を好きだと告げて来た、斗哉の言葉が本当だったとしても、それは一時のもので、いつかはその気持ちも忘れていくだろうと思っていた。  前に進んで行くために――  責めはしない。それが人間なのだ。人は『忘れる』事が出来るから、前に進めるのだ……  嘘だ――  忘れられたくない。消えたくない。  消える――という事は、忘れらた事の証明なのだ。  私が消える時、彼が私を忘れた時なのだ。だから始めから、彼の告白を信じたくなかった。  だって、いつかは『裏切られる』かもしれないのだ。  愛だの、恋だのは特に移ろいやすい。永遠とは程遠い。だってもしそんなものがあるとしたら、浮気や不倫や離婚なんてこの世には存在しない筈だ。    だから始めから信じたくない。裏切られる事が分かっているから。  そう考えると普通の「告白」も「告白ドッキリ」も大差ないのかもしれない。だってどうせ最後には、裏切られるんだから。  信じない……信じたくない。信じたくないのに……  どうせ裏切るなら、私を早く解放してよ――  その時、心乃香の体が光出した。 ***  斗哉は祭りに向かおうした時、何処からかした「ピシッ」という音で、出て行こうとした部屋を振り返った。  何の音だと部屋内を見渡したが、原因が分からない。  再び部屋を出て行こうとして、ふっと目に入った。机のデスクランプに掛けて、あった桜貝の御守りに、亀裂が入っていた。  斗哉が恐る恐る、その御守りに手を掛けようとすると、貝の御守りは亀裂部分から綺麗に割れて、破片が斗哉の掌にハラリと落ちた。 *** 「心乃香! 光ってる!」    その黒猫の呼び掛けに、心乃香はビクッと振り向いた。光ってる? 何がと言いかけた時、自分の体が光ってる事に気がついた。  光の粒子が蛍の様に、自分の体から舞い上がっていく。  その時、心乃香は理解した。自分が消える事を。 「待って、心乃香! まだ行かないで! ……やだよ、消えないで!」  斗哉が自分を忘れたのだ。私の記憶から解放されたのだと思った。……ほら、やっぱり最後には裏切られるんだ。……良かった、信じなくて。本当に良かった――  あんな告白、信じてない。信じなくて良かったと思っているのに、心乃香の瞳から涙が溢れて来た。 (違う……この涙は、消える事の悲しみから流れてくる涙じゃない。信じなくて、良かったと言う安堵からくる涙よ) 「嘘! 嘘だよ! 忘れられるのが悲しいんだ! 心乃香は、アイツに忘れられたくないんでしょ⁉︎」  黒猫は、心乃香の心を見透かす様に吐き出した。 「だって、いつもここに来るアイツの事、寂しそうに見てたじゃん!」 (……⁉︎) 「ボクも……ずっと一緒に居たかった人に『裏切られて』悲しかった。悲しかったんだ……でも、彼女と会ったこと、彼女がボクにくれた言葉、忘れたいなんて思ってない!」  黒猫は大粒の涙を流しながら叫んだ。 「まだ、行かないで! 諦めないで! だってまだ心乃香はこの世界にいるんだから!」 「……でも、もうアイツは私の事、忘れちゃったのに……」  そう吐き出して、心乃香は涙が止まらなくなった。  忘れないで、私の事……忘れないで……  私も忘れたくない。でも、この世界から消えたら、『この気持ち』も消えて無くなっちゃう……  思い出して欲しいとは言わない。だけどせめて、この気持ちだけは、この世界に残したいと心乃香は祈った。  姿が薄らと消え始めた心乃香を目の前に、黒猫はどうしていいか、分からなかった。  何で忘れちゃうんだと、黒猫は斗哉に怒りを覚えた。  ずっと未練たらしく神社に通ってたのに! 何で肝心な時に彼女の側にいないんだ!   思えば出会った時から、嫌いだった。勝手に自分の惨めな姿とボクを重ねて、ボクの死体を弔った。  大体あの時のアイツの『後悔』だって、ボクに言わせれば全然大した事じゃない。だってまだ、彼女は『生きて』この世にいるのに、自力で何度でもやり直せた筈なんだ。  それを自分は今、世界で一番不幸だみたいな顔して、ちょっと煽られたくらいで、ボクに願い事をして来た。  あんな奴、呪われて当然だ! しかも今、好きだった女の子をこんな風に泣かせてる!   男としてもサイテーだ!  「心乃香、時間を戻す」 「⁉︎」 「アイツが、心乃香を覚えている所まで戻って、ボクが……」 「待って! 止めて!」  心乃香は、また再び黒猫が時間を戻したら、今の現状の何倍も酷い事になると確信していた。 「絶対ダメ! 止めて! それだけはダメ!」 「……だけど……」  黒猫は心乃香に止められて悔しかった。どうする事も出来ないのかと、胸が張り裂けそうになる。 (どうしたら……消えちゃう……心乃香、消えちゃうよ……! ……心乃香が消えない為なら、悲しまない為なら、何でもするのに!)    その時、黒猫はある鈴の音を聞いた。神気の籠った鈴の音だ。確かに彼の気配を感じたのだ。 (あいつ……!) ***  斗哉は懸命に走っていた。神社の祭りで人がごった返す中、人を掻き分け懸命に走った。  以前神主が言っていた「諦めなければ、その御守りが必ず貴方たちの縁をお助けします」と言う言葉が思い出される。  その御守りが、突然真っ二つに割れたのだ。  斗哉は言い知れない不安に襲われた。 ――いつかは会える  その言葉だけを信じて、生きてきた。一度繋がった縁は、そう簡単に切れないと言う言葉が、心の支えだった。  今、その言葉を写した様な、確かな形として残ってる唯一の物が、砕けたのだ。  何か、決定的に良くない事が起こる気がする。心乃香との『縁』が完全に切れてしまう様な、どうしようもない胸騒ぎが斗哉を襲ってきた。 (嫌だ! ……絶対、嫌だ! ……如月!)  その時、斗哉の耳の奥で鈴の音が鳴った。  ハッと振り返った時、今まで人々の喧騒の中にいた筈なのに、辺りはすっかり鎮まり帰っている事に気がついた。  いつの間に、自分は神社の裏手に来たのだろうと思った。その時、ニャーと猫の鳴き声がした気がした。  そして、目の前にあの階段が現れたのだ。  心乃香と別れて以来、一度として現れる事はなかった。この階段に辿り着く為に、毎日神社に通っていたのだ。  斗哉は迷う事なく、その階段を駆け登っていった。  この階段は、あの世に繋がる道なのかもしれない。でも、それでもいい――彼女にもう一度会えるなら!   斗哉が階段を登り切ると、あの古びたお堂が目に入った。  神社内では、お祭りが行われている筈なのに、この場所は嘘の様に鎮まり帰っていた。  次の瞬間空が光り、ドーンと言う音が鳴った。花火が上がったのだ。  一年前、神社で彼女と花火を見た時の事を、斗哉は思い出した。思えば、この時から始まったのだ。 (この場所でも、花火は見えるのか……)  花火の光に照らし出される、辺りの景色を斗哉は見渡した。あの黒猫の姿は見つからない。  さっきの鳴き声……アイツがここに導いたと思ったのに……  だがよくよく見ると、お堂の簀子廊下の上に何やら影が見える。  斗哉は吸い寄せられる様に近づいた。そして――  そこには一人の少女が横たわっていた。 ***  斗哉は信じられないと、息を呑む――  ずっと、ずっと会いたかった人がそこにいる。自然と目頭が熱くなる。  いや、会いたすぎて、幻を見ているのかもと 斗哉は恐る恐る、その少女の頬に触れてみた。  触れる……温かい、彼女の体温だ。  はあっと震えるように息を吐くと、斗哉は彼女の側で膝を折り、眠っている彼女の肩に、そっと自分の額を当てた。 (……如月だ……本当に如月なんだ……)  肩に斗哉の体温を感じたのか、心乃香はすうっと目を開けた。心乃香の意識が戻った事に、斗哉は反射的に気がつく。 「……ここは?」 「如月‼︎」 「えっ⁉︎」と心乃香はその声にビックリした様に、そちらを見遣った。 「八神……何で? これは、夢? ……私が見えるの?」 「夢じゃないよ」  心乃香は徐に起き上がって、斗哉の頬に触れた。 「何で? 私、消えたんじゃ? これ、現実なの?」  斗哉は自分の頬に触れている、心乃香の手を掴んだ。 「現実だよ」 「八神、……私の事覚えてるの?」 「何、言ってんだよっ、忘れるわけないだろ!」  そう涙声で吐き出しながら、斗哉は心乃香を抱きしめた。あの出雲で、感じた彼女の温もりと柔らかさだと、彼女は戻ってきたんだと、抱きしめる腕の強さを強めた。 「本当に? だって、私消えかけて……八神に忘れられちゃったんじゃないかと、思って……」  心乃香は涙を零しながら、八神の背中に手を回すと、その彼の存在を確かめる様に、ギュッと力を入れた。 「如月の事、オレが忘れるわけないだろ? ……ずっと、想ってた如月の事。いつか、また会えるって信じてた……けど」  斗哉は心乃香を抱きしめる腕を緩め、ズボンのポケットから、ハンカチに包まれたあの御守りを取り出した。 「その、御守りって……」 「さっき、この御守りが突然割れて……嫌な予感がして、飛んできたんだ。そしたら、あの階段が現れて、必死で登ってきた」  心乃香はそれを聞いて、思い当たる事があった。辺りを見渡す―― (クロ……あんたが、八神を導いてくれたの?)  そう考えるだけで、心乃香の瞳から再び大粒の涙が流れてきた。 (ありがとう……クロ)  斗哉は心配そうに、心乃香の顔を覗き込んだ。 「八神……私を忘れないでくれて、ありがとう」  斗哉は心乃香の瞳に溜まった涙を、唇で拭った。心乃香は、その斗哉の行為に、唖然と固まってしまった。 「えっ⁉︎」  斗哉はその心乃香の反応に満足すると、次には心乃香の唇に、自分の唇を重ねた。  そっと唇を離すと、心乃香は見る見る顔を赤くしていき、信じられないと、両手で自分の唇を覆う様に隠した。 「……なっ! なっ! なっ!」  心乃香の反応があまりに可愛くて、愛おしくて、斗哉は自然と笑みが溢れて来た。 (……あっ)  斗哉は突然ある事を思い出した。将暉が書いた罰ゲームの二枚目のカードの内容だ。 『キスをする』  図らずとも、今、そのもう一枚のカードを切ってしまった。  あの頃は、そのカードの内容が切られた時、彼女がどんな反応をするのかと、残酷に面白半分で見物するつもりだったのだ。  それが今は、もう完全に逆だ。どうしてこんな事になってしまったんだろうと、斗哉は思う。  まさかあの頃は、自分がこんな風になるなんて思ってなかった。本当にどうしようもなかった自分。その自分の世界を変えたのは間違いなく彼女なのだ。  恐れ入る……本当もう、降参だ。――だけど  斗哉は心乃香の両手をガッチリと掴む。そして再び心乃香に顔を近づけると、彼女の額に自分の額を充てがった。 「……もう絶対離さないから、覚悟してよね?」 ***  黒猫はそんな二人の様子を、鳥居の天辺に寝そべりながら、ニヤニヤ見ていた。 (……あいつ、心乃香の事、忘れたんじゃなかったのか……ヒヤヒヤさせやがって……)  ふうっと黒猫は天を仰いだ。 (……でも、心乃香元気になって良かった。……ボクもキヨコに会いたくなっちゃったよ……)  黒猫がそう願った時、黒猫の体が光に包まれた。黒猫は再び二人を見遣る。 (ちゃんと、幸せになんないと承知しないぞ!)  そして、黒猫の体は光の粒子と共に、祭りの夜空に溶ける様に消えて行った。 つづく
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

59人が本棚に入れています
本棚に追加