第9話「3周目〜僅かな希望〜」

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第9話「3周目〜僅かな希望〜」

3rd round after 7月19日(土) ――朝が来た  希望の朝かは分からない。斗哉はスマホのアラームに頼る事なく、パチリと目を覚ました。  昨夜は不思議な事に、久しぶりにぐっすり眠る事が出来た。  斗哉はコーヒーを淹れながら、昨日心乃香が残していったピザをレンジで温め直している間、洗面所で顔を洗った。  鏡に自分の顔が映る。酷い顔だ。でも、昨日よりは随分マシだ。  自分以外の誰も居なくなった家で、朝食をとりながらスマホで調べ物をする。出雲までの道のりだ。このまま、家で大人しく黒猫の帰りを待っているなんて出来ない。  斗哉は服を着替え、リュックに必要最低限の物を入れて背負うと、歩きやすいスニーカーを履いた。  家の外に出ると、玄関のドアの鍵を閉める。 (次、家に帰って来るのは、全部取り戻した時だ)  斗哉の目には、決意の炎が灯っていた。 ***  もうこの季節の朝は、始発前でも空が大分明るい。人はおらず、駅前は静まり返っていた。  斗哉は自動改札をくぐり、ホームへの階段を登る。朝日が目に飛び込んできた。  目を細めながら階段を上がり切る。朝日が建物にちょうど遮断され、眩しさが収まり、斗哉は目を開いて驚いた。  階段を登り切った先のホームのベンチに、一人の少女がリュックを抱え線路を見つめ座ってた。  少女がこちらに気が付き、徐に振り返る。  如月心乃香だ。 *** 「如月……何で……」 「来るんじゃないかと思ったよ。あんた出雲まで行くつもりでしょ?」 「⁉︎」 「陸路にしろ、空路にしろ、まずこの駅で移動するしかないから」 「……お前……」 「言っておくけど、黒猫は『出雲にいるかもしれない』ってだけの話よ? 可能性の話」 「分かってる……でも、少しでも可能性があるなら……じっとしてられない」 「はあー」と心乃香が深いため息をついた。 「てか、何? お前何でこんな所に居るんだよ?」  よくよく見れば、心乃香は制服の時と全く違う印象だ。癖毛の髪の毛を後ろにぎゅと束ね、ダルッとした半袖のパーカーにハーフパンツ姿。緩めの格好だが、彼女にしてみれば大分アクティブな印象だ。 「あんた、まだ顔色悪いわよ。そんなんで倒れられて死なれでもしたら、黒猫が出雲に居るかもなんて言った、私のせいみたいじゃない? ……だから、私も一緒に行ってあげる」 「え⁉︎」  斗哉にしてみたら、それは信じられない申し出だった。 ***  斗哉は、出雲までの移動を電車にする事にした。当然空路が一番早いのだが、即日のチケットの取りにくさと、あまりの値段の高さに、断念せざるを得なかったのだ。  ただ陸路の新幹線も、連休開始日というのも良くなくて、始発駅乗車ならいざ知らず、車内は大変混み合っていた。  焦る斗哉を横目に、心乃香は大量の駅弁を買って新幹線に乗り込んだ。斗哉はその行動に「お前は何しに来たんだ」と呆れ、怒る気力も無くなった。 「お前、それ全部食べる気なのかよ?」 「朝、食べて来る時間なかったから。大体夏休み初日で早起きさせられて、駅弁でも食べなきゃやってられないわよ! あ。あげないわよ?」  心乃香は弁当を抱えたまま、新幹線の空席を探していた。斗哉は何とか空席を一つ見つける。 「あそこ、空いてるぞ。とりあえずそこ、座っておけよ」 「あんたは?」 「オレはいい。お前、弁当食うんだろ?」 ***  斗哉は心乃香を車内に残し、そのまま通路に出た。  探せばまだ一つくらい空席があったかも知れないが、改めて探す気になれず、斗哉は車両間の連結部分で荷物を両手で抱えながら、壁に寄りかかって車窓の外を眺めた。  先程心乃香に言われた「可能性の話」というのが、頭に過る。分かってる。黒猫は出雲に居ないかもしれない。もう二度と会えないかもしれない。  もし出雲に行っても、あの黒猫に会えなかったら……そう考えると胸が押しつぶされそうになった。  両親にも、あの二人にも、もう二度と会う事が出来ないかもしれない。斗哉に最悪の考えが浮かんでくる。 (どうしてこんな事に……)  一度してしまった事は、無かった事に出来ない――心乃香に言われた事が頭を過った。  それを無理やり捻じ曲げて「やり直そう」とした。その結果で、こんな事になってるとしたら―― ――人は自分の行動に、責任を持たなければならない  それが身に染みて分かり、斗哉は後悔で打ちのめされた。 *** 「八神、八神!」  斗哉は呼びかけられて、ハッとした。どうやら眠ってしまっていたようだ。 「立ったまま寝るなんて、本当器用ね。席空いて来たわよ」  大きな駅を通過し、乗客が少なくなったようだ。斗哉は心乃香に車内に促された。  「ここ座って」と心乃香が座席をポンポンと叩く。窓際には、大量の駅弁の残骸が置いてあった。斗哉は本当に全部食べたのかと、呆れてしまった。  斗哉が座ると、心乃香は車内販売で買ったのか、お茶のペットボトルを差し出した。それから先程買っていた、駅弁の一つのサンドウィッチ。 「あげる。大船軒サンドウィッチ、美味しいわよ。岡山に着くまでまだあるし、少しお腹に入れておいた方がいい」  そう心乃香は、斗哉にサンドウィッチを差し出すと、自分は車内で買ったのか、アイスクリームの蓋を開けた。 「うわっ! まだ固い! もう食べ頃かと思ったのに! 流石、新幹線のスゴイカタイアイス!」 「なんだ、それ?」 「知らないの? 凄い有名なのに? 一度、食べてみたかったのよね」  と、呑気にアイスを穿っている。もうその間抜けな心乃香の有様に、斗哉はすっかり毒気が抜かれてしまった。さっきまで死にそうに悩んでいた自分が、滑稽に思える程たった。  そこまで斗哉は腹が減っていなかったが、心乃香から受け取ったサンドウィッチの箱を開けた。  中には、シンプルなハムとチーズのサンドウィッチが入っていた。食べ易く切ってあり、斗哉はそれを口に運んだ。  懐かしい様な、素朴な味でとても美味しいと感じた。ふっと顔が綻ぶ。こんな事がなければ、出会えなかった味かもしれない。  何だかんだと世話を焼いてくれる心乃香に、斗哉は不思議な感覚を覚えた。  こんな奴だと思わなかった。一見地味で暗く、大人しくて、友達のいなさそうな陰キャ。これが心乃香の印象だった。  でも蓋を開けたら、自分のスペックに見合わないプライドの持ち主で、自分を馬鹿にする者には容赦がない。相手が男だって、関節技を決めてくる様な奴だった。  怖い女……ただ、それだけでもない。彼女は自分の信念に真っ直ぐな人なのだ。オレに対する『思いやり』も恐らくそこから来ている。  斗哉は始め世の中の「敗者」足りえる彼女の様な人間には、何をしてもいいと無意識に思っていた。だが、彼女は本当に「敗者」だろうか?   いや、自分が「敗者」だと思ってきた全ての人間もそれぞれの生き方があり、決して「負けている者」ではなく、そんな区分で区切れないのではないかと思った。 「何?」 「え?」  彼女に話しかけられ、自分がじっと彼女を見つめていた事に斗哉は気が付いた。慌てて目を逸らす。 「あのさ……お前、家の人とか心配しないの? 最悪、今日行って帰って来れないもしれないし……」  計算だと出雲に到着するのは、今日中に何とかなるだろうが、もし出雲で手間取ったら、今日中に地元に帰れないだろう。  自分は今、心配する親もいないわけだが…… 「大丈夫。両親は大きな花火大会を観に、地方に泊まりで出かけてるし、姉は合宿中で家に居ないから。何かあったら、スマホの方に連絡する様に言ってあるし。私、元々家電出ないし」  そう淡々と話しながら、心乃香は何とか溶けて来たアイスを頬張った。 「花火大会? お前行かなくて良かったのか?」  斗哉は家族旅行をボイコットしてまで、自分に着いて来てくれた心乃香に、申し訳なくなったが―― 「別に? 毎年行ってないし。てか、人が混雑してる所、大嫌いだから」  花火大会が嫌いな奴なんているのかと、斗哉は唖然とした。待てよ―― 「……もしかして、デートにお祭り誘ったの、スゲー嫌だった?」  心乃香は冷ややかに斗哉を睨んだ。 「……あの話を蒸し返すなんて、あんたどう言う神経してるの? 逆に尊敬するわ。ドッキリでもなかったら絶対行かなかったし、そうでなかったとしても、嫌だったわね」  うっ、そりゃそうだと斗哉は反省した。でも、大嫌いな場所に、どんな理由であれ来てくれた訳だ……斗哉はそう考えると、不思議と顔がニヤけてきた。 ***  岡山に着いたのはお昼より少し前で、ここから特急に乗り換えが必要だった。更にその後、出雲大社に行くまでは、何種類かの電車を乗り継ぐ。  斗哉はこんな長距離の移動を、一人でした事がなく、本当に、スマホがある時代に生まれて良かったと思った。これが無ければ、こんな所まで一人で来るのも苦労しただろうし、心細かったかもしれない。  いや、一人ではなかった。斗哉は後ろを、物珍しげに見渡しながら着いてくる、心乃香の方を振り向いた。 「何?」 「何? じゃねえよ! 何だよそれ⁉︎いつの間に買ったんだよ!」 「桃シェイク。岡山って行ったら、桃でしょ。あげないわよ」 「いらねーよ!」  本当にマイペースな奴だ。こいつを見てると、全てがどうでも良くなってくると、斗哉は呆れて溜め息を吐いた。 ***  ここから出雲市まで約一時間。電車に揺られてると眠たくなってくるのはどうしてだろう。  斗哉はウトウトして来たが、心乃香はリュックから文庫を取り出すと本を読み始めた。  斗哉は書籍はもっぱら電子書籍派だ。電子書籍なら何処でも読めるし、がさばらない。 「如月って、本当に本好きなのな」  心乃香はその問いにすぐ答えなかった。暫くすると、本を愛おしそうに見つめ、ボソリと呟いた。 「本を読んでいる時は、世界から切り離されるから」  世界からの乖離――他者と関わりたくないと言う拒絶―― 「如月は、何でついて来たの? ……オレたちの事、大嫌いなんだろ? 許せないんだろ? ……だったら本当は、放って置きたかったんじゃないのか?」  斗哉は疑問に思ってた事を、一気に吐き出した。   「……私……」  心乃香は窓の外を見ながら呟いた。 「いつか何処かの孤島に移住して、一人でひっそり好きな事だけやって暮らしたい」 「は?」 「でも今は無理なのは分かってる。親の扶養下にいるし、中学生が今の世の中、一人でなんか生きていけない」 「……親と仲悪いとか?」 「そういう事じゃないのよ。全てのしがらみから解放されたいって事。いくら他人と関わりたくないからって、陸の孤島にでも一人で暮らさなきゃ、どうしたって関わるって事よ」 「どうして、そんなに関わりたくないんだよ?」 「他人と関わると、その人に気を遣ったり、意見を合わせたり、嫌われない様にしたり……そういう事が、煩わしいから」 「それは、仕方ないだろ……他人と関わるってそう言う事じゃん。それに一人って寂しくないか?」 「は! 出た、陽キャの理屈。一人だと寂しいだろって決めつけ。……寂しくなんかないわよ、別に。せいせいするわ」  心乃香は斗哉を睨みつけると、静かに呟いた。 「他人に傷つけられたり、傷つけたりするくらいなら、一人の方が、ずっといい」 「……それじゃ、何で……」 「今の普通に中学生やってる状態じゃ、どうしたって他人に関わる。五十嵐や菊池だってクラスメイトとして、私に関わってる。関わってる以上は……どうしたって、私の中から排除出来ない。消えた事が……私の頭から離れない」 「……それって」  簡単に言えば、二人を心配してるって事じゃないかと、斗哉は思った。心乃香が他人と関わりたくないと言う裏には、他人が自分にとって、大きな存在だからなんじゃないかと思った。 ***  出雲市に着き、更に電車を乗り継ぐ。まだ外は明るい。真夏の日差しだ。だが段々と、車窓から見える景色が変わってきた。  最後の乗り継ぎ駅なんか、景色どころか昔へタイムスリップしてきた様なそんな面持ちだった。  最後の駅に着いた時、ちょうど雨が降って来た。 「マジかよ……今日雨降るなんて、予報になかったじゃん」  心乃香が、リュックから折り畳み傘を出した。 「神社参拝で雨が降るのは、縁起がいいって言われてるのよ。神様が歓迎してくれてるんですって」 ***  駅から心乃香が持ってきていた折り畳み傘に、二人で入りながら歩く。雨が当たらない様にすると、自然と肩が触れる。  斗哉はドキッとして、以前こんな風に一緒に傘に入り下校した事を思い出した。  あの時の事が、随分昔の様に感じられた。一度目は心乃香の事を何も分かっていなかった。二度目は彼女の本性が嫌という程分かった。  でも、本当に分かっていただろうか? 強固なプライドに身を包みつつ、孤高を信条にしているが、彼女の本質は他人との関わりを(ないがし)ろに出来ないのだ。  自分なんかより、よっぽど他人との繋がりの大切さが分かってる。 「如月……」 「何?」 「……あいつらの事、心配してくれてありがとう」  心乃香はギョッと、斗哉の方を見遣った。 「……いや、別に心配してないから。ただ、勝手に消えられて迷惑ってだけだから!」  そう言い捨てると、ふん! とそっぽを向いた。斗哉はぽっと炎が灯る様に、心が暖かくなった。 ***  出雲大社の境内に入り、斗哉は空気が変わった気がした。こんな真夏なのに、昼間なのに、雨のせいもあるかもしれないが、肌寒いのだ。  空気がピンと澄んでいる……斗哉はそんな風に感じた。  祓社を通り過ぎ、松並木の参道を進む。途中、溜池や水社、何かしらの像があり、侵入できる所までは行ってみたが、黒猫は見当たらない。  だいぶゆっくり丁寧に境内を散策したが、何の手がかりも見つけられない。拝殿に着く頃には、斗哉は心身共に疲れ切っていた。 (大体これじゃ、ただ神社を参拝してるのと同じだ。相手は神様だ。簡単に見つけられるものじゃないのかもしれない)  もう日が傾きかけている。そろそろここを出ないと、今日中には帰れなくなる。自分一人なら野宿でも何でもする覚悟だったが、彼女にそんな事させられない。  斗哉は背後の大きなしめ縄を携えた、拝殿を見上げた。 (もう一度だけ……もう一度だけ……会わせて下さい)  そう祈りながら、賽銭箱に小銭を投げて手を合わせた。  祈りを解くと、雨の降りが酷くなって来た。軒下に居ても、地面に反射した雨粒が飛んでくる。次第に雨の勢いで、視界が真っ白になって来た。 (通り雨だろうけど……)  斗哉は、トイレに行っている心乃香が心配になった。このまま、もし彼女にも会えなくなったら……  きっとどこかで彼女も雨宿りしてる、雨が止むのをきっと待ってる。でも――  斗哉は逸る気持ちを抑えられず、拝殿の軒から駆け出した。  視界は信じられないくらい真っ白に染まり、真夏なのに雨のせいか、肌寒い――いや寒いくらいだ。  途中、自分がどこを走っているのか分からなくなった。自分は馬鹿だ。雨が止むまでやっぱり待っていれば良かった。彼女と行き違いになるかもしれない。自分はいつもそうだ。行動してから、その事にいつも後悔してる。  でも、止められない――  その時、耳の奥で鈴の音が聞こえた気がした。  斗哉はこの鈴の音に聞き覚えがあった。  まさか――  夢中でその音のした方に走る。お願いだ! 今度こそ――  前方に、赤い傘をさしている人影が見えた。 「!」  斗哉はその人影に向かって走り、その人影を捕まえた。その勢いで、赤い傘が吹き飛んだ。 「なっ! 何? どうしたの、八神⁉︎」  斗哉は掴んだ手を引き寄せて、そのまま心乃香を抱きしめた。  斗哉は何も言わない。ただ心乃香の存在を確かめる様に、更に抱きしめる腕の力を強めた。 *** (……な、何これ……どうして、こんな事になってるの⁉︎)  何が何やらわからない心乃香は、斗哉の体温を感じ、もうどうしていいか分からなかった。  こんなに密着されては、関節技も決められない。何より斗哉の力が強くて、振り解けない。それに――  斗哉の体の震えが伝わって来た。心乃香は暫く斗哉に抱きしめられたままでいたが、観念した様に、そっと斗哉の背中に腕を回した。 「何か、あったの?」  すると程なくして、斗哉は心乃香の肩に埋めていた顔を上げた。泣いていた。 「……え? 何? 本当にどうしたの?」 「ごめん。何でもない。……でも、良かった……」  そうホッとした様に、斗哉は自分の額を心乃香の額に充てがった。 e67a775b-0985-457a-92de-513bc27cd9bf  その時、二人の耳の奥で鈴の音が鳴った。確かに聞こえた。次の瞬間、真っ白に染まった空に激しく稲光が光り、雷が落ちた時の様な爆音が辺りに響き辺り、二人は驚いて反射的に目を瞑った。  目を開けた時、そこは自分達の知っている出雲大社の境内ではなかった。少なくとも二人はそう感じていた。  真っ白な空間に、大きな石造りの鳥居が二人の目の前に聳え立っていた。 つづく
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