桜を嫌いな理由。君を忘れない理由。

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「あいつがこの桜を見たらどんな顔するかなって、気になって。もう会えない……姿の見えない人だから」  彼女が言ったそれだけで、僕は直感的に、その人が「あの噂話」の相手かなって思った。つい先日、彼女が風邪をひいて休んだ時のことだ。 「湖月(こづき)ちゃ~ん、名吹(なぶき)ちゃ~~ん、今日のお昼一緒していい~?」  半べそをかいたような困りきった顔でそう泣きついてきたのは、同じクラスの田中りょう子さん。彼女はいつも、涼原さんと一緒にお昼のお弁当を食べている。涼原さん以外のクラスメイトの女子からは遠巻きにされている田中さんは、涼原さんと違っていたって普通の、孤立を恐れるタイプの女子だから。唯一、自然体で話して接してくれる涼原さんに頼りっきりなんだ。こんな風に彼女が不在だと一日中、目が不安そうに潤んで挙動不審になっている。  僕は基本、ひとりで食べているけれど、その日はたまたま名吹栄一と一緒にいた。栄一は誰とでも親しく、決まった相手と毎日必ずっていうより、その日の気分次第で一緒にいる相手を変えられるタイプの男子だ。今日は僕と話そうかなって気分で声をかけてくれたらしい。 「朝美が風邪で休むなんて珍しいよなー、弱ってるとこなんか想像出来ない奴だしさ。珍しいっていえばこないだ、りょう子、あいつと恋バナしてただろ。朝美にそんな相手いるなんて意外~」  盗み聞きしていたわけではなく、トイレに行こうとして、涼原さんの席の横を通り抜けようとした時に、田中さんがその話をせがんでいるのを聞いた。話の内容が気になったけど、何せトイレに行きたかったわけだからその場に留まって最後まで聞けなかったのが残念で蒸し返したらしい。 「名吹ちゃんたら、女の子にそんなこと言ったら失礼だよぉ? 涼原ちゃんだってちゃ~んと、恋する乙女なんだからっ」  当然、田中さんは女友達から聞いたその相手について吹聴したりはしなかったけれど。僕はなんとなく、小学校で同じクラスだった笠位浩人(かさいひろと)を思い出していた。今は僕達が私立中学、彼が公立中学で進路が分かれたけど、小学校では涼原さんと彼は仲が良かったから。浩人と涼原さんの関係は同じ小学校出身の奴らの間では未だに噂話になっている。小学校が別だった栄一はこの時点では知らなかったけど、後々その噂を誰かから聞いて事情を知ったみたいだった。 「……残念だなぁ。僕は桜を見るのは嫌いだから、涼原さんにとってのその人みたいな存在になれそうにないや」  告白すらしていない上に、彼女に対する気持ちへの自覚だってこの時までなかったというのに。僕はまるで、ふられたような気分になっていた。桜を嫌いな理由がもうひとつ、新規で追加されてしまいそうだ。 「なんで嫌いなのよ。桜を見るの」  日本人でそういう人って珍しい、単純な疑問で彼女にそう問いかけられて、僕は話すことにした。もちろん、全ての真実を話せるはずもないから、適度に嘘を混ぜて、話せるレベルまでオブラートに包みまくってだけどね。
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