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1話完結・よみきり
入社3年目の春。リョウタは、関東本社から東北の支社に転属となった。
なだらかな山のスソ野に広がる、のどかな地方都市だ。
新しい土地で迎える、初の週末。
歓迎会でしこたま呑まされ、1時間に1本しかないバスの最終便にギリギリ飛び乗り、社員寮の最寄りで下車する。
そこで寮の先輩たちと別れ、前から気になっていた「自販機コーナー」へ道草がてら、気まぐれな深夜の散歩とシャレこむことにした。
スーツ姿のワイシャツの襟元をだらしなくゆるめながらも、肩にナナメ掛けした通勤カバンのベルトは警戒心ヌカリなく両手で保持するくらいの分別を残す、千鳥足。
人影のない国道沿いの歩道は、頭上に交差する高速道路の高架も静かで。
春のぬるさで淀む薄曇りの夜空は、期待したほど色気はないが。目的の場所につけば、リョウタのテンションは爆上がりした。
簡素なプレハブ小屋に、いわゆる"レトロ自販機"がズラッと並んだ、いわば、無人のフードコート。
カラカラッとチープなサッシの引き戸を開けて、中に入れば、白々しい蛍光灯に照らし出された、無機質なのに不思議な温度感ただよう、ノスタルジックな異空間。
――AIと人間との平和的共存の未来へのヒントは、ここに隠されているんでは……などと、くだらないことを考えつつ。
ハンバーガーにホットサンド、うどんにフライドポテトなどの自販機を物珍しく見て廻る。
奥まで行くと、色あせた薄紫の暖簾が行く手をさえぎっている。
酔いに任せた軽率さでヒョイッと無造作にくぐれば、1台だけ孤立して置かれた自販機の前に、1匹のカッパがいた。
全身くまなく緑色で、スキンヘッドの頭頂部には、銀色の皿が平たくくっついている。
背中には甲羅もある。これがカッパじゃないなら、逆に何なのか教えてほしい。
カッパは、なにげない動作でリョウタを振り返った。
「オマエも、オカズ、買いにきたん?」
わりと流暢な涼しい声で言うと、自販機の取り出し口から大事そうに品物をとって、隠すように胸元に抱えこんだものだ。
眉毛はないが、顔立ちは端正な好青年。小柄ながら、腹筋もほどよく割れ、いやおうなく目に飛び込む股間も、のびのびと健康的だ。
リョウタは言葉を失い、呆然と突っ立ったまま、カッパが「オカズ」と称した品物を指さした。
「ああ、これ?」
自分の「手」を指さされたとカンチガイしたカッパは、いささか照れくさそうな微笑を浮かべながら、
「これ、ワイらの必需品。ほら、吸盤があるからさ、ワイら。ハメとかないと、いろんなとこにペタペタくっついちゃうんよ、手が」
と、両手にハメた軍手のうち片方を、真っ白い歯で指先の部分をくわえてはずし、その手を前に伸ばした。
なるほど、緑色の手のひらの五指の先端には、クッキリしたウズマキ模様の溝の深い指紋が刻まれている。こころなしか、ネットリと湿って見える質感だ。
「み、水かきは?」
リョウタは、なかば反射的に尋ねた。
カッパは、なぜだか、ひどく不本意そうにチッと舌打ちをした。
「ないから、そういうのは。ないない」
ヤレヤレと言わんばかりに肩をすくめる。
ここでリョウタは、ハッと思いつき、すかさずカバンの中からスマホを出した。
とたんに、カッパは、キラキラした大きな黒い瞳をギョッと見開き、
「ムリ! そういうのはNG!」
と、絶叫しながら、シミだらけのビニールの床を素足でペタペタと鳴らしつつ、出口に向かって身をひるがえした。
リョウタは、急いで追いかけた。
夢中で走りながらスマホのビデオ録画機能を起動しようとするが、なかなかうまくいかない。
相手は、路面のホールド力にすぐれた吸盤付きの足裏を持つ素足。こっちは、おろしたての革靴だ。
いかんせん、アルコールにより肥大させられた自尊心が、リョウタの負けん気に火を付けた。
――ここで立ち止まったら、"人類"の名折れだぜ!
すなわちこれは、カッパと人類の、それぞれの尊厳をかけた壮大な鬼ごっこなんである。
『カッパの姿を動画撮影して、SNSでバズる』という当初の野望は、すでに霧散している。
いずれにしても、リョウタのヒトリヨガリにすぎない。
とにもかくにも、必死で走る。
人気のない真夜中の国道沿いの歩道を。まばらな外灯の明かりを頼りに、カッパと人間が、息を切らせて疾走する。
スタート時の瞬発力には目を見張るものがあったが、どうやらスタミナはそうでもないらしく、大きな橋の手前の交差点でカッパは足元をよろけさせた。
リョウタは、腕を伸ばしてカッパにとびかかる。いつの間にか追いかけっこの目的が「カッパの捕獲」に変わっているが、無意識なので本人に自覚はない。
あと数センチで甲羅の端に手が届く……寸前、カッパは、つかんでいた軍手をリョウタに向かって投げつけた。
軍手は「ビタッ!」と水気の強い音を発しながら、リョウタの顔面にぶつかった。
「ブッッ!」
リョウタは、たまらず呻いて立ち止まり、やたらにジットリと湿っている軍手を指先で怖々つまんで引きはがすや、そのまま放り捨てる。
「うへぇ、キモい……」
ブルルッと身ぶるいしてスーツのソデで顔をぬぐう。
前方を見れば、カッパはフラフラしながらも、もう国道を横断しきったところだ。
リョウタは焦り、再び全力で走りだした。
赤信号の点滅する横断歩道を突っ切る。
カッパは、橋のなかばで振り返り、
「クソオオオオオーッ!」
と、魂をしぼるような悲愴な声で、曇った夜空を切り裂くと、持っていた「オカズ」を両手でギュッと抱きしめてから、リョウタの顔面に向かってソレを投げつけた。
「ブファッ!」
再び呻きながら、リョウタは、後ろにバランスをくずし、橋の上に尻モチをついた。
カッパは、リョウタを悲しげに一瞥した。いや、正確には、リョウタの前に落下した「オカズ」を。
かすかに動いたクチビルから声は聞こえなかったが、確かに「さよなら」と告げていた。
ポカンとアゴを落としたリョウタの前で、カッパは、橋の手すりをヨジのぼり、上に立ち上がると、そのまま前方に体を倒す格好で、幅5メートルほどの底の見えない真っ暗な川に落下した。
すぐにドボンッと水音が響いたきり、あたりは、再びシンと静まり返った。
完全に気勢をそがれたリョウタは、ツキモノが落ちたような気分で腰を上げると、サッサと踵を返した。
すっかり素面にかえりながら、「自販機コーナー」に戻る。
色あせた暖簾をくぐって、奥へ。
1台だけ隔離されている、くだんの自販機の前に立ち、財布から出した千円札を投入する。
なんなら、昔は、小中学校の通学路の道端なんかにも、平気でこのテの自販機がポツンと置いてあって、思春期の少年たちをおおいに惑わせ、PTAからはゴキブリのごとく忌み嫌われていたもんだと、ウワサには聞いたことがあったが。今の今まで、ウロンな都市伝説だと思っていた。
――暖簾ひとつで仕切っただけの自販機で、平気で、こんなの売ってるなんて。青少年ナントカ条例に引っかからないんだろうか?
と、頭の片隅で思いながら、3分ほども指をさまよわせたあげく、ようやく意を決してボタンを決める。
出てきた「オカズ」をパラパラとめくってから、カバンの中に突っ込んだ。
スマホを片手に、外に出る。
空は相変わらず、ボンヤリと曇った薄闇の色に染まって、星ひとつ見えない。
スマホを起動させる。ホーム画面の時刻表示は、午前1時をまわっている。
だが、本社勤務の陽キャな同僚には、まだまだ宵の口だろう。
ためらいもなく通話ボタンをタップして、スマホを耳にあてながら、リョウタは、社員寮までの国道沿いの道のりをゆっくり散歩する。
数回のコールの後、90年代のジャパニーズ・ポップスと「生3丁お待ち!」などと威勢のいい声なんかを背景に、同僚の少しばかりロレツの怪しい声が耳元に響いた。
リョウタは、アイサツもそこそこに、
「なぁなぁ、オマエさぁ。ついこないだ、言ってたじゃん? なんで、国道とか橋の上の道っぱたに、ちょいちょい軍手やらエロ本とかが落っこちてんのかって、さぁ?」
と、ひと息にマクシたててから、わずかに声をひそめ、
「オレ、分かっちゃったんだけど、その理由。聞く?」
予想以上のハデな反応が返ってくると、リョウタは、ニヤリと気をよくして、
「てかさ、オマエ知ってた? カッパって、ネトラレ系の熟女マンガが好きなんだぜ」
オワリ
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