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置いていかれる夢を見た。
向こうの野原に彼女が立ち、黙ってその姿を見ている自分がいるのは、柵の外。自分だけが取り残されている、そんな夢を舞花は見ていた。
歯軋りをする電車の中、右肩を揺さぶられて、目を開ける。深緑の間をくぐり抜けて車窓から差し込む空虚な残光が、頼りなさそうに床の一部分を染め上げている。
右隣に座る女性は、舞花が起きたのを確認すると、小さな紙をスッと差し出す。
「ほら、落ちていたよ、この切符。勝手に目にするのも悪いけれど、その駅は次の次のはずだから、起こしてみたのだけれど……悪かったかしら」
反射的に首を振り、橙色の切符を受け取る。真珠のイヤリングをした大学生くらいであろうその細身の女性は、微笑を浮かべたまま舞花の膝の上に視線を移した。
「ギター、弾けるのかな? 弦楽器は演奏したことないから、憧れるなぁ」
「……いいえ。最近はほとんど弾いていなかったんです。でも、明日、演奏しなきゃいけなくなって……」
演奏できることを素直に喜べず、唇を嚙む。一年前だったら、ギターを手にすれば嬉々として奏でられていたのに。
舞花は、図らずとも口から言葉が漏れてしまっていた。
「ーーそんな感じで、親友とは今、疎遠なんです」
中学受験という言葉を聞くと、今でも少し狼狽する。一年ぶりに零と再会できるというのに、心の中は複雑に絡み合うばかりだ。
次の駅で停車して、女性は下車して行った。駅の看板で反射する陽が女性の輪郭をなぞる。
「……あまり力になれなくてごめんね。でも……もしかしたらあなたは、急に閉ざされた扉の前で、これからどうすればいいか、方法を見出せていないだけかもしれない」
発車してから少し経ち、電車はゆっくり湾曲していった。
そこで、舞花はある一輪の花が目に留まり、自然と意識が向いた。落陽がその花に焦点を当て、記憶の破片を目覚めさせようとする。
突然、零との記憶がフラッシュバックした。春の瑞々しい芝生の上で弾き語った大好きな曲。中学に入ったら軽音楽部に入って一緒に頑張ろうと約束した、あの公園の景色。零の奏でるベースの音が、不意に脳裏を掠める。
「……タンポポってさ、私たちの目指すものにぴったり合うよね。小さな幸せも、綿毛みたいに遠くの場所まで届けられる人になりたい」
何故もう一度演奏に誘ってくれたのか、なんとなくわかった気がした。零と交わした希望の幕は下りていないのだ。自分だけが見切っていたのだと思うと、いたたまれなくなる。
時間が止まったように静かな電車のなかで、舞花はギターを抱きしめた。この車両の中にはもう、舞花しか乗っていない。
車窓から覗くタンポポが、次第に仲間を増やしていく。
「……零。明日、また二人で奏でよう。待ってて」
日暮れの空を背に抱え、舞花は鞄から楽譜を取り出した。
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