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「今日は雨だね」
「そうだね」
如何にも、外は雨であった。鈍色の雲が向こう側の太陽を透かし、ほのかに白く輝いている。銀白色のにわか雨が、街に静かに降り注いでいた。
「今日は外には出れないな~」
女はそう残念そうにつぶやいた。今日は日曜日なのであった。
「まあ、やることもないのなら、それでいいじゃないか。毎日のようにしたいことをしていたら疲れてしまう」
男は半ばなだめるようにそう言う。また、二人が口をつぐむと、雨どいや屋根に打ち当たる雨音ばかりが部屋を満たした。再び眠りに落ちるような静かな朝だ。
「じゃあ、今日は何をしようかね」
「そうだな~。日曜のお昼の番組はちょっと退屈だからな」
「なんか……。しりとりでもする?」
「その場しのぎすぎるw」
そういって二人はケラケラと笑いあった。ひとしきり笑ったあと、「ねー」と女は相槌を打った。
「なんか趣味とか作りたいね」
女はそう言った。
「なんか良いものはないかね」
そう呟きながら、男は「今季アニメ」と打ち込んで検索をかけた。
「なにが流行っているんだろうね」
「えっと。バンドにDIY、キャンプに、あと鬼退治とか……」
「それはちょっと無理かな……」
女は苦々しげな返答をしたが、その後、
「でも、楽器とかはいいんじゃない?調べる限り、手が届かない訳じゃなさそうだよ」
と男に提案した。
「楽器 初心者向け」と検索して出た商品の名前と値段を、はきはきと上から読み上げていくと、男は「へぇ~」と感心したように声を漏らした。
「案外、手ごろなものだね」
「ねー。ギターとかできたらカッコいいよ~」
そう女がけしかけるのを、満更でもないようにしながら、すいすいと多様な楽器の写真を流し見る。時々、数十万を超える高価なものが紛れるのを見て、声を出して驚くたびに、女はふふふと含み笑いをした。
そうしているうちに、男は検索を止めてハタと思いとどまる。
「しかし楽器は手先を使うじゃないか。僕はこればっかりはどうにも……」
と残念そうな口調でこぼした。この男は手先を使う作業はからきしなのである。
「あ~、そうだったね。じゃあ、どうしようもないや。」
と女は丁寧に同調しながら、何気なく、テレビの電源を入れた。パッと画面が点いたあと、女は次々に操作を行って、YOUTUBEの画面に移った。起動からホーム画面に大量のサムネイルの画像が読み込まれるまでの短い時間、ベランダの縁に細かい雨粒が打つ高い音を聞いていた。
「なんかピアノでも聞こうか」
おすすめ動画欄のライン漫画やゲーム実況のサムネイルを掻き分けて、グランドピアノを真上から見たサムネイルを迷わず選択すると、一瞬の暗転の後、演奏が始まった。
「この曲なんて言うんだったか。流行ってたやつだと思うんだけど……」
J-POPでありながら、ジャジーで洗練されたアレンジが洒落たナンバー。時々入る跳躍が印象的に曲をきらびやかに彩りながらも、どこかシックでウェットなニュアンスが漂う。
どこかで聞いたことのあるメロディーラインをうんうんと脳内で照合しようとする男をからかうように、
「当ててみなよ」
と女は言った。
「流行ったのはそう昔じゃないけど、なんせ、テレビ露出の少ないアーティストだから……」
「こちらが見つかりました」
「ちょっと。検索はズルじゃんw」
非難する言葉を向ける女に、申し訳なさそうにくつくつと笑うと、
「ごめんごめん。君がクイズ出すころには、もう調べ始めていたものだから。」
と弁明した。
「『帯電』だよね。ドラマの主題歌なんだ」
「そう。『MUU666』の主題歌」
他愛のない話に興じているうちに、演奏がやんだ。わずかな余韻が遠のいていくと、再び雨音があちこちをしたたかに打ち出した。
「ねぇ」
少し改まった調子で、女は切り出した。
「子供とかいたらさ、もっと刺激的な日が増えるのかな」
テレビ画面は、自動で次の動画へと切り替わった。滝をバックにピアノを弾く女性の映像が映し出される。
『急流のゾック』。ピアノの演奏のみで水流の流れや光の煌めき、水しぶきまでもを表現する、ピアノの限界に挑戦した楽曲であり、音数が少ないながら洗練されたサウンドが心地よい。各方面のアーティストから高い評価を受ける秀作である。
「子供かあ。考えたこともなかったな」
男はつぶやいた。
「なんか、想像つかないよな。僕たちの子供ってさ」
「うん。自分の体の中で、一つの命が育って、産まれてくるって、考えてみれば不思議なことだよね」
女は言葉を丁寧に探しながら、そう答えた。
「な。命ってのもよくわからんね。こうして家にいて、安楽にしていると、生きているという実感を忘れそうになる」
窓の外を、まっすぐに飛ぶ小鳥が横切った。曇天の灰色を背に、風がかすかに吹いたためか、真っ黒い電線がたわたわと揺れ動いた。
「どんな子供が欲しい?あなたは」
「だから想像がつかないってば。……でも……、理髪的な子がいいね。退屈なさそうだし」
「あー、いいねえ。でも私たちの子供だからな~」
「雨の日は家でゴロゴロとして、趣味もなくぼーっと過ごして、だらだらとお喋りをする訳だ」
女はあははははと無邪気に笑みをこぼした。
「私たちがちゃんとしないと、子供に示しがつかないじゃんね」
「間違いないね」
男も釣られるようにくすりと笑った。
「あー、コウノトリさんが私たちの子供を運んできてくれないかな」
「ふふ。そんなこと言う年頃でもあるまいに」
「やだよー。朝からそんな話ししちゃあ」
ガチャリ。向こうの部屋から物音がした。
「あ、相原さん起きたみたいだね」
「そうだね。じゃあテレビ消そうか」
ひとりでにテレビの電源が落ちる。部屋からリビングへと寝ぼけ眼の相原さんが歩いてきた。
「おはよう二人とも」
「「おはようございます。相原さん」」
二人は声を合わせる。相原さんはにっこりとし、
「早速だけど、お風呂沸かしてくれないかな。なんか変な夢見ちゃってさ。」
と頼んだ。女は丁寧に「かしこまりました」と答えて、遠隔でお風呂のスイッチを入れた。
AIスピーカーとしての二人の一日は、今日もこのようにして始まった。
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