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預け先は、風前の灯火
「好き」の正体は、いかなるものか。
明確な理由もなく、「気になる」という微かな電波を受け取った私は、その周辺を調査し、よく確認する。
そして勘違いだと去るか、「好きかも知れない」というステージに移行する。
「好きかも知れない」は、その後、時間をかけた熟成を経て、または瞬間的な感情の爆発を経て、「好き」に育っていく。
私の場合は。
「好き」という人や物などの対象物に向けられる感情は、自分でも理由が説明できず、またいつまで「好き」が続くのか、今現在なんともないものを未来には「好き」になるのか、見通しは持てない、風前の灯火の如くとてもあやふやなもの。
それでも私は、風に晒される心許ない蝋燭の炎が消えないように、両手で守るように、そっとそーっと、「好き」を熟成させていく。
そんな頼りない「好き」が、私の心の支えで、なくてはならないもの。
儚い炎のような「好き」に自分を預けている不思議なバランス。
「好き」の対象物と私の間には、第三者は介入できない領域で
友達も家族すら不介入であってほしい。
法はおかさないし、迷惑はかけないから。
「好き」なことを納得してくれなくていい。
もっと「好き」になった方がいいのアドバイスも、
「好き」はやめた方がいいという忠告もなくていい。
「好き」な音楽も、俳優も、映画も、小説も、味も、デザインも。
自分が「好き」と思えたその対象物には、特大の感謝を伝えたい。
永遠に「好き」は難しくとも、その瞬間「好き」になれた奇跡に、
ありがとう。
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