セーラー服

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セーラー服

「ねえ、どこまで歩こうか?」  真夕美は一度大きく伸びをして、芝居くさく体をひねらせこちらを振り返った。おどけたような所作は僕の考える真夕美の理想像、なのだろうか。 「どこまででも行くよ。真夕美が行きたいところまで」  主体性のない僕のセリフに真夕美が苦笑いを浮かべた。多分。相変わらず曖昧な彼女の表情は僕の想像力で補うほかないけれど、僕には真夕美の浮かべている表情や感情が手に取るように分かった。  まあ、僕の夢なのだから当たり前か。  そんなことをぼんやり考えていると、真夕美がおもむろに体をこちらに寄せて僕の手を握った。突然のことに僕はみっともなくたじろぐ。  咄嗟に真夕美の手の温度を思い出そうとしたけれど、なぜだか全く思い出せなかった。 「悠くん。私たちが初めて会った時のこと覚えてる?」 「……中学一年生の、春」 「うん。私たち、まだ子供だった」  相変わらず何もない真っ青な空の下、真夕美がふいに立ち止まった。彼女と二人三脚でもしてるみたいに、僕も自然と足を止める。 「悠くん。目を閉じて」 「……どうして?」 「いいから」  僕は小さく息を吸い込むと、一度彼女とつないだ手に力を込める。そこに確かな実感を得られないまま、僕はそっと目を閉じた。  目の前が一気に闇に包まれる。見えなくなるというだけで、掴みどころのない不安感が胸に滲んだ。気づけばどこか奈落の底にでも落ちていきそうな錯覚。夢なのだからあながちあり得なくもないだろう。  しかし隣に立つ彼女の存在が、僕をしっかり掴んでこの場に縫い止めている。 「懐かしいね。中学一年生の入学式」  彼女の声とともに、僕の脳裏によぎっていく景色。体より一回り大きな制服、もう葉の出ている桜、式のとき目の前に座っていた生徒のつむじ、少し高さの合わない机。  そして彼女の、あどけない笑顔。  それぞれがカメラロールを遡るみたいに部分的に鮮明で、僕は体を震わせた。 「――伊藤、悠くん」  真夕美の声がやけに大きく響いて、僕はそっと目を開いた。  目の前には真夕美が立っていた。しかし、先ほどまでとは違う。はっきりと輪郭を持った真夕美だ。  僕は瞬きも忘れて彼女を凝視する。真夕美はセーラー服を身にまとっていた。繋いでいた手はいつの間にか離れていて、三歩くらいの距離を置いてそこに佇んでいる。 「……はい」  真夕美、と呼ぼうとした口は思うように動かず、代わりに味気のない返事が零れ落ちた。  周囲には葉桜も含め緑色が目立つ木が立ち並んでいて、暖かい春の空気が僕らを包んでいる。どこか遠くから聞こえてくる喧噪、笑い声。見回すと古びた校舎が視界に映った。  入学式だ、と僕はすぐに思い当たる。中学校の入学式。もう式は終わっているようで、僕らは解散後の学校敷地内に立っていた。寄り道せずに帰りなさいねー、という先生の声がどこかから聞こえてくる。  これは記憶だ。真夕美と僕が初めて出会ったときの記憶。  よく覚えている。僕は式で気疲れしてしまい、校舎の外で休める場所を探していたのだ。そして潜り込んだ中庭のような場所で休んでいたところに、後ろから声をかけられた。ちょうど今のような感じで。  改めて真夕美を見ると、彼女は幼い顔立ちと体つきでそこに立っている。いつも思い出の中でしか動かなかったはずの過去の真夕美。泣きたくなるくらいに懐かしい表情で、彼女は僕をのぞき込んだ。 「伊藤くん。席、前後だったよね」  記憶の中の僕は彼女の溌剌さにまごつき、一瞬言葉に詰まる。何かうまい返しをしなければと思いながらも、結局口から出たのは単純な感想だった。 「……うん。名前、よく覚えてたね」  彼女は嬉しそうに笑い、「人の名前覚えるの得意なんだ」と胸を張る。 「そっか」  緊張からか素っ気ない相槌しか出てこないことに内心焦って、僕は取り繕うかのように付け加えた。 「僕も覚えてるよ。上田真夕美、さん」  すると彼女は大きな目をさらに見開いて、それから照れくさそうに笑った。「やるじゃん」とおどける真夕美の表情を見て、なんとなく羨ましくなったのを覚えている。 「伊藤くんコソコソどこか行っちゃうから、気になって追いかけてきた」 「……全然気づかなかった」 「鈍感すぎ。気を付けたほうがいいよ」  彼女は呆れたように腰に手を当てる。それからふと、少し離れた場所に立つ桜の木へと視線を移した。緑色が目立つ大きな木。  入学式といえば満開の桜とばかり思っていたが、実際はそうもいかない。時期がずれたり天気が崩れたりして散ってしまい、式のときには花を付けた木を見つけるほうが難しかった。  それでも彼女は見とれるように桜の木を眺めている。花を探しているのかもしれないし、風に擦れる葉の音に耳を澄ませているのかもしれない。もっと別の何かを探しているのかもしれない。  そんな彼女が木の元に歩いていく姿を、僕はじっと見つめていた。僕の感情と行動は、当時の僕と完全に重なっていた。 「いいとこだね。たまにお昼ごはんとかここで食べたいかも」  桜を見上げたまま話す彼女の声に曖昧な返事を返しながら、僕はポケットを探る。せっかくの入学式だからと忍ばせていたデジタルカメラを取り出し、目の前に掲げた。  レンズをのぞき込む。ピントがうまく合わない。試行錯誤している間にも、彼女はどんどん桜の木へと近づいていく。  そして葉の影が彼女の上に落ちるほど近づいたとき。 「――あ」  ようやくカメラの焦点が彼女に合った。ちょうどこちらを振り向いた彼女の驚いたような顔。風に吹かれるセミロングの髪の毛とスカート。まだぎこちないスカーフの結び目。  春の温度。彼女の残り香と桜の匂い。  別に何か特別な理由があった訳では無い。ただ咄嗟に、忘れないようにしたいと思った。今のこの場所と彼女のことを、後から鮮明に形作れるように。  葉桜の下の彼女はとても綺麗だったから。  胸の高鳴りに従って、僕は半ば本能的にカメラのシャッターを切った。 ――パシャリ。  今でもあの場所に行けば、君が桜の下で笑っているのだろうか。
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