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レンズから目を離したときにはもう、目の前の景色はすべて失われていた。桜の木も、喧噪も、彼女のあどけない表情も見えない。
僕は再びまっさらな空間の中で立ちすくんでいた。
「かわいかったね」
隣から声がする。先ほどまで聞いていたよりも幾分大人びた声色だが、変わらず真夕美がそこに立っていた。ぼんやりとした顔つきと姿に戻ってしまった彼女が、どことなくからかうような口調で僕をのぞき込む。
「中学生の悠くん、緊張しててかわいかった」
「……そうかよ」
――真夕美は綺麗だったよ。そう返せたらどんなに良かっただろうかと内心燻りながら、僕は彼女から目をそらす。夢という都合の良い世界で対峙してなお、僕は後悔してばかりだ。
「私のこと、ちゃんと覚えていてくれてうれしいよ」
また真夕美が僕の手を取り包み込む。やはり霞のようにつかみどころがない気がした。
「……もう、忘れたっていいんだよ」
顔を上げると、真夕美は少しだけうつむいてそこに佇んでいる。表情は見えないけれど、口元だけは相変わらず微笑んでいるような気がした。
僕は口を開くが、感情が渦を巻いてうまく言葉にならない。苦しい。喉に重たいものがつかえている気がして唾を嚥下する。
僕はこんなにも、必死でしがみついているのに。
「……僕は、忘れたくないよ」
結局絞り出した情けない声に、真夕美は顔を上げて小さく笑った。
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