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コントロールができないために常にフェロモンの香りをさせている僕は、当然アルファのそばには居られない。しかも発情期がいつ来るか分からなのだ。こんな状態で就職などできる訳もなく、バイトも短期の裏方の仕事しか出来なかった。それも発情期が来てしまえばそこで終わりだ。それでも生きていくためにはお金は必要で、日雇いでもいいからと必死に働いていたけれど、それも出来なくなってしまう。
単純なピックアップの仕事だった。
倉庫で荷物を取ってくるだけの単純な作業に、当然アルファもなく、僕は一週間だけそのバイトをしていた。前回の発情期は先週あったばかり。これまで一週間で次の発情期は来たことは無かったから、僕はまだ大丈夫だと思っていた。なのにその予想を裏切り、僕は発情してしまった。
そこにアルファはいない。だけど、僕の発情のフェロモンはベータにも分かるほど強かった。だからたとえアルファがいなくても、僕にとっては危険な場所だったのだ。
突然起こった発情は急激にその症状を加速させ、僕はその場から動けなくなった。
上がる体温と早まる鼓動。そして次第に遠ざかる意識の中で、僕は初めて、人の目から理性の色が消える瞬間を見た。その時の恐怖は今も忘れられない。
結果を言えば、僕はその場にいた他のオメガの人達によって助けられた。運が良かったのだ。この日はいつもよりオメガの人が多く、その人たちがベータの人を押さえ、僕を避難させてくれたのだ。だけどその時の恐怖は僕を捉え、僕は外に出られなくなった。
なんの前触れもなく訪れた発情は、抑制剤が効かない僕にとっては恐怖でしか無かった。
それまでは何らかのサインがあったのに、その発情は本当に突然起こったのだ。
もしこれが街中だったなら。
そう思うと買い物にすらいけなくなった。
それでも生きていくためには物が必要で、それを買うにはお金も必要だ。だから僕は、それまでコツコツと貯めてきた僅かな貯金を崩し、ネットで必要最低限のものを買っていたのだけど、そんなことは長くは続かない。すぐに貯金は底を尽き、何も買えなくなった。それでもアパートの家賃は払わなくてはならない。外に出ることが怖いのはもちろんだけど、このアパートを借りる時に保証人になってもらった友人に迷惑がかかるからだ。
家族がいない僕は、アパートすら満足に借りられなかった。そんな時に助けてくれた学生時代の唯一の友人。優しいオメガのその友人もまた、あまり裕福な家庭の人じゃなかった。なのに、お金の援助は出来ないからと、保証人になってくれたのだ。確かに名前を書くだけだけど、それでも僕が払えなかったらその友人に請求がいってしまう。なのにその友人は僕を信じて、迷わず契約書にサインをしてくれた。だから僕は決して、その友人を裏切りたくない。
何も買えなくなって、家にある物もなくなって、水だけを飲む毎日。
頭がぼうっとして、寝ているのか起きているのかも分からない。それでも発情期は訪れ、体力はさらに消耗していく。
このまま死ぬかもしれない。
ぼんやりとそう思い、けれどそれではやっぱり友人に迷惑がかかってしまう。でもどの道、来月の家賃は払えない。
本当は分かっていた。
お金を稼ぐ方法。
どんなに身体が弱っていても訪れる発情期。これを利用すればいいのだ。どんなに痩せっぽっちで生気が無くても、発情したオメガのフェロモンに逆らえる者などいない。だったらそれを売ればいいのだ。どうせ最中は何も覚えていない。それなら心も痛まないだろう。
だけどどうしてそこまでしなければならない?
生きるため?
ならなんで生きなくちゃいけないの?
生まれてから今まで、自分の存在意義が分からなかった。
誰かに必要とされるわけでもなく、やりたいことも無い。ただ生まれてきてしまったから生きてるだけで、好きなものもなければ楽しいこともない。
なのになんで、生きるためにそんなことをしなければならないのか。
別に、生きなくてもいいじゃないか。
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