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生にしがみつく理由がない。
そう思ったら、なんだか全てがどうでも良くなった。だけどただ一つ。友人にだけは迷惑をかけたくない。そう思って重い体を何とか起こし、玄関へと向かった。ここで死んでは迷惑だから、せめて外に行こうと思ったのだ。
僕は何とか靴を履き、ドアノブへと手を伸ばす。
ドアの向こうは、あんなにも恐れていた外だと言うのに、その時にはもうそんなこと考えていなかった。ただここではダメだと言う思いしかなかったのだ。
ゆっくりとドアノブを回し、少し重いドアに体重を乗せて開ける。とその時、不意にインターフォンが鳴った。
いつもならそんなものには出ない。居留守を使っただろう。でもその時はすでにドアを開けてしまっていた。
あっと思った時にはもう遅く、僕はドアを開けた先にいた人物と目が合ってしまった。向こうも驚いたのだろう。突然開いたドアに驚愕の表情を浮かべている。けれど僕は、その顔を見て不意に緊張の糸が切れてしまった。なぜならそこにいたのは高校の時の先生だったからだ。最後まで僕のことを心配してくれて、励ましてくれた僕の恩師。だけどなぜここにいるのだろう。いるわけが無い。そう思った時にはもう僕の意識は暗い底に沈んでいた。懐かしい先生に会って安心したのか、それともそこが僕の限界だったのか。とにかく僕の意識はそこで途切れたのだ。
先生とは高校を卒業して以来一度も会っていない。だから僕の居場所など知るはずもなく、いきなり訪ねてくるなんてありえない。そう思ったけれど、僕が目を覚ました時、先生は確かにそこにいた。
ドアが開くなり倒れてしまった僕をベッドに寝かせてくれていた先生は、目覚めた僕にこう言った。
『早期退職したから、卒業しても気になっている生徒に会いに行こうと思ってね』
気になった生徒という言葉に、僕の目から不意に涙が流れる。
本当は何か言わくてはいけない。
ベッドに運んでくれたお礼とか、会いに来てくれて嬉しいとか。
でも僕の口からは嗚咽がこぼれるだけで何も出なかった。
今まで、僕のことを考えてくれる人がいただろうか。家族ですら僕を疎んじていたのに。それなのに、たった3年間同じ学校にいただけの一生徒の僕のことを忘れずにいてくれて、こうして訪ねてきてくれた。それがどんなに嬉しいことか。
ギリギリで保っていた僕の心が、先生のその言葉に崩れていく。もうすでに限界だったのだ。
何も言わずただ泣く僕に、先生は静かに言葉を続けた。
『ずっと君のことが気になっていてね。もし元気にしてるならそのまま世間話でもして帰ろうと思ったんだよ。でもね、君はとても辛そうだ』
そういう先生の声は沈んでいる。僕が先生の気持ちを落としてしまったんだ。僕だって本当は元気な姿を見せたい。ちゃんとやっていけてると先生に示したい。でも今の僕は全てに絶望し、生きる気力すら失いかけている。先生に虚勢を張ることすら出来ないのだ。そんな僕に、先生はある提案をした。それが『契約番』だ。
僕の事情を知る先生は、僕に番になることを提案したのだ。けれど僕はその突拍子もない提案が理解出来なかった。
『僕と番になれば、君のフェロモンは他のアルファに影響を与えないし、恐らく発情期も安定するだろう。そうしたら、君は普通の生活が出来るようになる』
本当に番になれば、きっとそうなるだろう。でも番になると言うことは、そんなに簡単なことじゃない。それに先生にはちゃんと家族がいるのだ。僕なんかと番になるなんてありえない。なのに先生は混乱する僕に少し茶化して言った。
『でもこんなおじさんじゃ嫌かな』
先生がおじさんだなんて、確かに僕からしたら父親よりも年はずっと上だけど、そんなことなどどうでもいい。それよりも、番になるということがどういうことか、先生は分かっているのだろうか。そう言う僕に、先生は真剣に言う。
『僕の奥さんはもう10年以上も前に亡くなっていてね、息子も既に結婚して家庭を持っている。だからその辺は気にしなくていいんだよ。僕はね、君を助けたいんだ。少しでも君に生きる楽しさを知ってもらいたいんだよ』
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