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あの音は、本当にドアが閉まる音だった。
いつもはそんな音くらいでは起きないのに、ドアが閉まる音で起きるなんて・・・まるで寂しくて起きてしまったみたいだ。
そんなシーンをよく映画などで観るけれど、実際そんなことあるわけない。特に僕には無縁なこと。
・・・そう思っていたのに。
今まで親しくした人もいなければ、誰かを好きになったことも無い。ましてや誰かに愛されたこともないのだ。
そんな僕が寂しくて起きるなんて・・・。
その有り得なさに笑いが込み上げてくる。
けれど、僕はまだ温もりが残る隣に身を潜らせた。
ずっとこのままこの温もりに包まれていたい・・・。
そう思いながらも、僕は勢いよく起き上がった。
そんなこと考えている場合ではない。ユウさんは仕事に行くために帰ったのだ。僕も早く支度して会社に行かなければ。
見ればまた身体は綺麗に清められ、シーツも清潔なものに替えられている。
僕の相手をしてシーツも替えて、ユウさんはちゃんと眠れたのだろうか?
前にも思った心配をしながら、僕は浴室へ向かった。シャワーを浴びて匂いを落とすためだ。僕には分からないけど、きっと僕にはユウさんの香りが色濃く付いているだろうから。
ユウさんの香り、どんな香りだろう。
その香りを感じたい。
ユウさんの香りを胸いっぱいに吸い込んで、身体の隅々まで満たしたい。
そんなことを思いながら僕は頭からシャワーを浴び、ユウさんの痕跡を消していく。
シャワーを終え支度を済ますと、僕も退室して家に帰った。そして着替えを済ませると、休む間もなくまた家を出る。
この不定期な発情期はいつも一日で終わる。だから今回もすっかり元に戻ったのだけど、いつもより身体が軽い。いつもはひたすら一人で自身を触り発情の波が去るのを待つのだけど、明けた朝は寝不足と疲労で身体が重い。定期的な発情期より期間が短いので動けないほどではないけれど、いつも翌日は最悪なコンディションだった。なのに、今朝は驚くほど気分がいい。
確かに一晩中していたのだからだるさはあるのだけど、すごくすっきりしている。
前の時も思ったけど、やっぱりアルファ効果なのだろう。
アルファとオメガって、やっぱり一緒にいた方がいいのかな・・・。
出来ればずっと一人で生きたかったけど、それがままならないこの身体に加え、こんなにも心と身体の調子を良くしてくれるなら、僕はやっぱりアルファと一緒になった方がいいのだろう。でも、だからと言ってすぐに相手を見つけられるわけではないし、それ以前に僕なんかを見てくれるアルファなんていないだろう。
以前の僕は不安定な発情期と抑制剤が効かない体質で仕事も出来ず、外出すらできない生活を送っていた。そんな僕は、あるアルファにうなじを噛んでもらうことによって普通の暮らしができるようになったのだ。
その人とは決して愛し愛される関係ではなかった。恋人でもなければ、パートナーでもない、番契約のためだけに一度だけ身体を重ねただけの人。
身体を重ねたと言っても、僕はいつものように意識を飛ばし、朝起きた時にはその人は部屋にはいなかった。身体にはなんの痕跡もなく、ただうなじに噛み跡だけがあったのだ。もちろん契約には挿入が必要だけど、ただ一度の挿入では発情期のオメガにはなんの痕も残さない。噛み跡がなければ、僕は本当に契約を交わしたのかも分からなかった。
だけど確かにうなじには跡が残り、僕はそのアルファと番になった。でもそのアルファとはそれだけ。
元々そういう約束だった。だから番届けも出さなかった。でも僕にはそれで十分だったのだ。
不安定な発情期は番になったことによって安定し、フェロモンも撒き散らさなくなった。そして初めて、僕は普通の暮らしができるようになったのだ。
仕事をし、自分で稼いで生きていく。
そんな当たり前の事ができなかった僕は、ようやく番になることによってそれができるようになった。
初めて就職した時は嬉しかった。
無我夢中で仕事を覚え、誰かの役に立てるのが嬉しかった。他人と普通に話せて、時々飲みにも連れて行ってもらえて、そんな日々が楽しかった。
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