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記念式典
都心の一流ホテルでのパーティーともなると、まず、大宴会場から押さえられそうであるが、会場使用料、料理、アルコールなどを含めると、かなりの金額になることから中規模会場を指定してくる企業が増えてきており、エスエス警備保障の記念式典もまさに、その中規模クラスの会場にて行われようとしていた。
「会長、お水です」
「うん、有難う」
エスエス警備保障の敷島誠司は、部長、板谷の痒い所に手が届く気の利かせ方に満足しながらも、息子達との差をまざまざと見せつけられているような気がし、これから先の人事に一人、気を重くした。
しかし、企業のトップとしては、剃刀のような切れ者が常にミスのない采配を振るっているのも安心できる反面、可愛げがない様な気もする。
よって、戦国時代のように寝首を搔かれることはないにしても、会長の自分が週に数日出社する事で現場にもいい意味での緊張感が保たれるはずだと考えていた。
自身が警察を辞め、警備会社を起業した当初は、自ら先陣となり、各方面での警備に当たったりもしていた。今現在、会社は若手が中心となって運営されている。
敷島の三人の息子に関しては次男が警備業界ではなく、別の分野に進んだのも、結果的には良いことだった。
年齢が近い兄弟であれば、組織の運営上、衝突が起こる確率が高い。長男と三男で、一回り離れていれば、馴れ合いの関係にもならないだろうし、互いの苦手な箇所をカバーし合える。
「それではエスエス警備保障20周年記念式典を開催するにあたりまして、会長の敷島誠司より、皆様への感謝の気持ちを述べさせて頂きます」
板谷の紹介で、金屛風の前に向かって一歩、踏み出した敷島は、今朝方妻に
「痩せたせいかしら。肩の辺りが遊んでるみたいに見えるわね」
と言われた事を思い出した。
「そこまで細かくチェックしている奴なんていないよ」
とは言ったものの、ここに来て不安になる。
それでも、今更どうなる物でもなしという心境でマイクの前に立つ。
「皆様、本日はご多忙の中、エスエス警備保障20周年記念式典にお運び頂きまして、誠にありがとうございます。
私がこのエスエス警備保障を立ち上げましたのも、地域の皆様の安全に微力ながら貢献したいという思いが強かったからでございます。
今日は日頃、お世話になっております皆様に召し上がって頂きますよう、料理、酒も存分に用意致しました。
どうぞ、お時間の許す限りご歓談も含めお楽しみ下さい」
挨拶は常にニ分以内に収める。
料理はパントリーに既に並べられているだろうし、主催者の長い挨拶など、興ざめ以外の何物でもないからだ。
同時に「エスエス警備保障の歩み」という映画を流す。
真剣に見ている者はまずいないが、記念式典としての意味合いを持たせる為、制作会社に依頼して作らせた。この映画の途中、二回ほど来賓のスピーチをはさむ。
宴も酣となり、各テーブルは料理の皿、及び、洋酒やビールのグラスで埋め尽くされていた。
敷島は、メインの肉料理がサービスされ、十分程経った頃、招待客の下へ顔を出す。最初に向かうのは警察時代の上司で千葉県北統括機動隊の隊長を務めた広岡のテーブルである。
広岡は隊で行う訓練などではそれ相応に厳しく指導に当たっていたが、デモ制圧で負傷を負った隊員などには労いの言葉をかけ、休養を取らせる事も忘れなかった。
「隊長、本日はお忙しい所、お呼び立てしまして誠に申し訳ございまぜん」
「かつての部下が成功している。こんな嬉しいことはないよ。これからもこの警備業界は繁栄していくだろうからね。
その一方、安全にも金がかかる時代になって、この国の行く末に一抹の不安を覚えるが」
「そうですね。持てる者と持たざる者との格差が広がり、強盗などが横行するのは断じて食い止めなければならないのですが、悪い奴を捕まえる前に、万人が住み良い社会、ピラミッドでなぞらえて言えば、上だけでなく、底辺の隅々まで行き渡る雇用を促進する等、抜本的な政策の改変を行ってもらいたいですね」
ウオッシュタイプのチーズとワインをじっくりと味わいながらも、話に耳を傾けていた広岡は
「先日、小耳にはさんだんだが、知人への情報漏洩で警察を辞めた関谷、今や、愛人にも愛想をつかされ、安アパートでやっとの思いで生活しているらしい」
敷島は、聞いてはいけない事を聞いてしまったかのような沈痛な面持ちで
「そうでしたか」と返すと
「今日は、内の者が隊長をご自宅までお送りしますので、どうぞ、ごゆっくりお過ごし下さい」
と相手が困惑してしまう程の変わり身の早さを見せた。
敷島誠司は、戦後の混乱もまだ収まらない1946年に、千葉県船橋市で新聞販売店を営む家に生まれた。戦争に駆り出された父も、出兵先の台湾から早々に戻ってきた事から、家業も続けられ、その家で高校卒業までを過ごす。
幼い頃から通い続けた剣道の道場には、元警官もおり、警察官の仕事については多少の知識があった。
よって、進路を警察に決めたのも、自然の流れといえ、県内の警察学校を一年九ヶ月で卒業した後、交番勤務を三年やり、その後機動隊への配属となった。
機動隊に移動してからは、寮生活となり、同室の三人とは、幾度となく困難を乗り越え、苦楽を共にしてきた。
今日もその同室だったメンバーの内の二人が駆けつけて来ており、彼らのテーブルへと移る。
警察を辞めてからの身の振り方は、人それぞれで、警備会社や探偵事務所に勤めると言ったありきたりなもの以外では、全く、経歴とは関係ない職種に就く者もいた。
文字通り、そこには多種多様な道が開かれていたが、数年に一度、一堂に会した時には、白内障の手術を受けた、血圧降下剤をのんでいる、前立腺肥大と言われたなど、身体に何らかの症状が出たという話で持ち切りとなる。
そして今日も皆、かなりのアルコールを摂取しているのにも拘わらず、素面のような顔でテーブルに就いていた。
「しかしなぁ。内部では、野心のひとかけらも見せなかった奴が起業して、成功してるとは、全くを持って不可解だよな」
いつの間にか、座に加わった敷島に、多少のやっかみを含め誰かが言う。
「敷島はさ、真面目だった。
上司のご機嫌とりに精を出すなんて事もなく、地味だが信頼のおける人物だったよ、うん」
俺はまだ死んでないぞ、と言った所で笑いが起き、他の機動隊との合同会議でも、忌憚のない意見を述べ、常に隊を引っ張っていくリーダー的存在だった尾崎が
「ところで、今、進行役を務めている男が板谷の息子なのか?」
と聞く。
「あぁ。いくら血を分けた息子が可愛いと言っても、会社を存続していく上で最適か?と言うとそうでもない。板谷は自分に対しては勿論、他人に対しても厳しく容赦しない。組織にはそういう人間が必要なんだ」
板谷の父、板谷寿満は、千葉県北統括機動隊の隊員で、寮では敷島と同室だった。
板谷は血気盛んな、売られた喧嘩は買うタイプの人間が多い隊員達の中で、異質とも言える物静かな男だった。
しかし、分析力は優れており、デモ制圧の際「今日の中間部に位置している奴等は特に凶暴だから気を付けろ」と、前もって敷島に教えてくれたりもした。
昇級試験のヤマ勘には定評のあった瀬戸が
「板谷にとって、あの事件は災難だったとしか言い様がないが、組織としては残された奥さんに、就職先の紹介等、万全のフォローはしたと言うから何とか生活は出来ていたんじゃないのかな」
と言うと、機動隊時代、大食漢で鳴らした都筑が
「うちの隊長が指揮官を務めてたら、板谷を犬死にさせる事はなかった。
それが、あの時に限って関谷が指揮官だったもんだから」
と吐き捨て
「お前、飲みが足りねぇじゃん。
飲めよ」
と言って、琥珀色の液体の入ったグラスを寄越した。
敷島は、その前に、何か胃に入れておかなければと考え、目についたオードブルの皿から、二層仕立てのテリーヌを取り口にする。
空きっ腹のせいか、魚介類の旨みがいつもより濃厚に感じられ、とろけた状態の物がするっと瞬く間に胃に運ばれていった。
続いて、ウィスキーの入ったショットグラスを手にし一気に呷ると、視界が突然ぼやけ、白っぽくなっていき首で頭を支えきれなくなって、ガクンと垂れた。
敷島は、周囲の「救急車を」と言う声がする中、もがき苦しんでも伝える手段のないもどかしさを抱えながら、意識が遠のくのを感じた。
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