電話にはご用心

1/1
前へ
/2ページ
次へ

電話にはご用心

その人を好きな気持ちが、お金に変わってしまったその日から、俺の精神はどんどん闇に沈んでいくばかりだった。 「はい、今回の分」 「…ありがとうございます。あれ、いつもより多くないですか?」 「ああごめん。悪いけど、次まで暫く空いちゃいそうだから、迷惑料ってことで。俺、彼女と結婚することになってさ」 …たまらなく好きなのに。 「……そうなんですか」 「結婚してからしばらくは子作りで忙しいから、あんまり会えなくなると思う。でも紫月との関係は続けたいから、色々落ち着いたら絶対連絡するからさ、それまで待っててくれ」 …本当に勝手な人なのに。 「はい、わかりました」 …笑顔で返事してんじゃねえよ、馬鹿な紫月くん。 心の中で自分を何度も殴る。 こんな不健全な関係、早く辞めなくてはと思うのに、欲望に忠実な身体と、伝えようもないのに長年抱え続けた不毛な恋情を言い訳に、ずぶずぶとこの人との関係に耽溺すること、丸6年。そして今日は、3月10日は、僕らがこの関係を始めた日だけれど、目の前でたばこをふかし始めたこの人は何にも覚えてはいないだろう。 翌日朝、空っぽの胃にコーヒーを流し込みながらぼんやり情報番組を見ていると、人気のアイドルグループの特集が流れてきた。そのうちの1人の顔があまりにもあの人に似ていてくぎ付けになる。あの人は黒髪だけど、このアイドルは白い肌に輝くような金色の髪がよく似合っている。 「…そういえばさあ、俺の双子の弟、いまアイドルの研修生しててさ。そのうち紫月も見るかも。浮気すんなよ?」 寝物語に聞いたのはいつだったか。 「みんな、愛してます♡」 そのアイドルが両手でハートを作ると、ファンの女性たちから黄色い悲鳴が上がった。 「馬鹿じゃねぇの」 テレビを消して、家を出た後も、なぜか彼の作ったハートが頭から離れなくて、ずっとイライラしながら、単調に繰り返す。 「はい、お客様センターでございます」 単調に繰り返し続ける。僕はロボットだ。感情のないロボットだ。…本当にロボットになり切れたら、楽なのに。 帰宅しても、あの人との約束がない日は本当に暇だ。何もすることがない。レトルトご飯を食べてしまい、スマホでネットサーフィンをしていると、非通知電話がかかってきた。怪訝に思いながら、電話に出る。 「もしもし。近藤ですが」 「突然のご連絡失礼します。近藤紫月さんの携帯ですか?」 電話口からは優男風の声が聞こえてくるが、その声は無機質で何だか不気味だった。 「はい。そうですけど」 「単刀直入に申し上げます。あなたが私の兄と不貞行為を働いていた疑惑があると、兄の結婚相手から情報が入りまして。もし事実であれば、先方は結婚を取りやめたいと仰っています」 「えっ…」 「しかし、もしあなたが私に相応の対価を支払うのであれば、情報をもみ消し、あなたと兄の身の潔白を証明して見せましょう。どうしますか?」 「…対価って何ですか」 「電話ではお話しできません。これから場所をお伝えしますので、至急お越しください」 「今からですか?もう9時ですけど」 「はい。今すぐにです」 「…」 有無を言わせないその声に、僕は従うしかなかった。けれど、住所を伝えていないにもかかわらず家の前まで迎えに来たタクシーに乗り込んだその時、僕は冷や汗が止まらなくなった。 もっと相手の人に確認を取ればよかった。どうして疑わなかったんだ。もしかしたら事件に巻き込まれるかもしれない。逆上した結婚相手に殺されるかもしれない。 「運転手さんごめんなさい、やっぱり僕ここでおります」 「…悪いがそれは無理だな」 「…どうして…」 「俺がお前に電話した張本人だからだよ、紫月くん」 タクシーが路肩に停車され、運転席のその人が、僕に振り向いてにやりと笑う。 「あなたは…」 それは、今朝テレビで見たアイドルその人だった。金色の髪がまぶしくて、 「天使…」 「あはは、よく言われる。けど俺は天使じゃねー。生身の人間だ」 そして彼は僕の髪を自然なしぐさで撫でた。思わず逃げた腰をとらえられ、片腕が腰に回る。 はっとしたその時には、頬に口づけられていた。 「兄さんみたいに優しいだけの男じゃないから、俺は」
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加