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そうしてまた実家で一人で暮らしだした頃、椿が戻ってきた。
どういうわけか椿は赤ん坊を連れていた。
赤ん坊の名前は「楓」と言った。
樹は松坂組に引っ越し、店を始めるという椿のいない間楓の世話をするようになった。
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楓が片言話せるようになったある朝、一人の組員が樹の部屋に来て言った。
「樹さん ちょっと一緒に来ていただいていいですか」
「どうしたの?」
行ってみると門の前に犬用のキャリーが置かれていた。
キャリーにはひらがなで「いつきへ」と大きく書かれている。
樹は急いで近づき中を除いた。
『ワンッ!』
「リ、リリー?」
『ワン ワンッ』
「どうしたの? 何で?」
「世話できなくて置いていかれたのか……少し痩せたね」
樹が出ていく腹いせに『置いていけ』と言ってはみたものの、世話が出来なくて連れてきたのだろう。
「でもよかった、何処かに捨てないでここに連れてきてくれて」
どこから見てもカタギの家ではないこの風格の門を見て樹は思った。
その時から、リリーは松坂組で暮らすようになった。
家族 親 兄弟 友達 恋人 その全てをリリーが努めてくれていた。
どこに行くのも一緒でリリーと楓の存在が樹の全てになった。
そんな中、少し大きくなった楓の泣くのを宥めてここに越してきた。
ここに移ってきて二回目の秋、リリーはおそらく十歳を超えていた。
定期検診もかかさず榎本動物病院で院長(葉月の父親)に診てもらっていた。
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ある日の夕方、いつもと変わりない一日。
ふと気づくと、さっきまでいつも通り元気だったリリーがグッタリとしている。
「リリーどうしたの? どこか具合悪いの?」
樹の呼びかけに無反応なことなど無いリリーが、耳すら動かさない。
樹はすぐに店を閉め、急いで病院に連れていった。
自宅から歩いて行ける動物病院のインターフォンを鳴らすと、返事はないが通話はできてるような気配がする。
午後の診療時間はとっくに過ぎていたが、とにかく話してみる。
「すみません、犬の具合が悪くて、診ていただけないでしょうか」
聞いているかもわからない相手に話しかけた。
すると、聞こえてきたのはふてぶてしい声の持ち主。
「院長は今不在なので、今日はちょっと無理です」
そう言うとインターフォンは『ブツッ』と切られた。
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