7月21日

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7月21日

『その日は病室移動があって、朝から慌ただしかった。約一か月後に受ける手術に備えるためだ。 個室かと思いきや、四人部屋から二人部屋になると聞いて、複雑だった。相手が変なヤツだったら、もっと環境が悪くなる。 そして、そういう時のカンほど的中するんだ。 「誰だ、おめえ」 移動先の部屋の扉が開くと、じいさんが通せんぼするように立っていた。 患者着に、鉢巻き。ふきっさらしの頭皮を、黄ばんだ布がぐるっと一周していた。 「源さん……またですか。連絡があればお知らせしますって」 「んなの待ってられるか! おれが明日にも死んだらどうしてくれんだ」 おれの車いすを、ベテラン看護師の伊藤さんが渋々、廊下へ下げる。じいさんは銀歯を覗かせて、「けっ」と吐き捨てると、点滴スタンドをお供に歩きだした。 「あ、待って! この子は(たいら)倫児(りんじ)くん。今日から同じ部屋を使うので、お願いしますねえ」 「レンジだかレンチだか知らねえが、親子気分でも味わえってか。薄っぺらい気遣いだねえ」 スタンドのカタカタ音が、ゆっくり遠ざかる。伊藤さんは返事も、愛想笑いもせず、おれを部屋に運び込んだ。 今までより、きれいで少し広い。病院自体は古いけど、この別棟は建てられたばかりだから。ベッドがじいさんと向き合う形で置かれてなきゃ、最高だった。 「あの人、なんで鉢巻きしてたの?」 「大工だったから、つけてないと落ち着かないみたい。寝てる間もなのよ」 車いすからベッドに移る間、伊藤さんはじいさんの話をあれこれ聞かせてきた。おしゃべりだから仕方ない。小さい頃から知り合いだし。 あのじいさんはどうも、「妻子あり、家庭内問題もあり」だ。面会に来てほしいと希望を出しても家族が一切応じず、この半年、一度も見舞いに来ないらしい。 うちと真逆。思ったそばから、面倒な話題を振られた。 「ね~え、倫児くん、お父さんからの面会希望は」 「ダメ。無理に来たら、手術拒否するから。そういう約束だったでしょ」 「少し考えてみて」 部屋を出ていく伊藤さんの背に、「手術だって、同意したくなかったのに」と言い返すと、扉がピシャッと閉められた。聞こえないふりが本当にうまい。 仕方なく、持ってきた荷物の整理をする。目新しいのは、送られてきたばかりの夏休みの宿題一式くらい。 特に面倒なのが、「夏休みの間に起きた、印象的な出来事」についての自由作文。ノートに書けるだけ書いて出せ、って。ハードルを下げているつもりなんだろうけど、無茶だ。病院にこもりっぱなしなのに。 「へへっ、来週かあ!」 病室の扉が開き、さっきのじいさんが、スキップしそうな勢いで入ってくる。短い散歩の間に何があった。別人みたいにご機嫌だ。 関わりたくなくて、手元に集中するふりをする。じいさんが、ベッドに腰を落ち着ける音がした。 「(げん)鉄太(てった)、65歳! 元大工!」 なぜか自己紹介が始まる。つい、顔を上げてしまった。 「嫁と息子に愛想尽かされ、30年! すい臓がんで余命幾ばくか!」 しかも重い。末期のすい臓がん患者なら、こんなにピンピンしてるわけない。 「入院して半年! ずっと一人だったからうれしいぜ! よろしく、新入り!」 拍手でも欲しそうな目つき。黙っていたら「そっちは!」と吠えたてられた。確実に廊下まで聞こえている声量で。 「……さっき伊藤さんが」 「あー?」 「平倫児! 17歳! 子どもの頃から入退院繰り返してるから、そっちより歴は大先輩! 生まれつき心臓が悪い! 以上!」 息が上がる。こんなに叫んだのは、いつぶりか。看護師がすっ飛んできそうだ。 じいさんは「若ぇのに大変だな」と手を叩き、にまにましている。いや、65歳はまだ、ギリ「おっさん」? 意外に若くてビビった。80歳くらいに見えた。 ――ブッ飛んだ重病人と、同室になってしまった。初日の印象はそんな感じだ。』
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