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7月22日~
『"源さん"との奇妙な共同生活は、慣れればやっていられないほどじゃなかった。累計10年弱の病院生活で培った常識は、全く通じなかったが。
耳栓は初日に買って、すぐ捨てた。つけていてもいなくても、変わらなくて。
腰や背中が痛い、注射が嫌だとわめく声はもちろん、独り言も鼻歌もテレビも、ついでにいびきも大ボリューム。看護師が注意しても改めない。朝から晩までフルオープン生活。こんな調子で半年間、入院ライフを満喫していたらしい。
こんなに騒げる末期がん患者、普通いない。初日に、たまらず仕切りカーテンを引いたら、源さんはわざわざ立ってこっちへ来た。カーテンを分け、「どうした、具合悪いか」なんて言いながら。近所のラーメン屋を覗くみたいな軽さだった。
「寝たいのにうるさいから」と答えたら、源さんは「おお、悪いな!」とガラガラした声を張って、カーテンを開け放ってしまった。
「ここ、開けとけや。な? でねえと、おめえが具合悪そうなのとか、寝てんのとか、わかんねえだろ」
それから源さんはテレビを消して、ベッドに横になり、静かになった。おれが寝ているとわかれば、うるさくはしない。から回っているが、気は遣っているらしかった。
ある日、源さんは、おれが起きてぼーっとしているのを見つけるなり、ベッドから大声で身の上話をした。思った以上に波瀾万丈な人生で、最後まで聞いてしまった。
大工は家業。三代目を継いだ父親は、源さんが7歳の頃、若い女と逃げた。父親に「なんでも買ってやる」と誘われ、近くの商店街にあったプラモデル屋へ一緒に入って、「好きなものを持ってこい」と言われて。夢中になって品物を見ている間に、店内に置き去りにされた。
以来、二代目にあたる祖父が、源さんの父親代わり。優しかったじいちゃんが、鬼の師匠に豹変した。
「毎日、学校が終わったら現場に直行よぉ! ちょっとでも道草食おうもんなら体罰の嵐だ。おっかなかったぜ、あのジジイ」
当然のように四代目を継いだ源さんは、結婚する気がなかった。それでも、祖父亡き後、立て続けに病死した母親の遺言に従い、一度だけ見合いをした結果、一人息子に恵まれる。
「かーわいかったなあ。赤ん坊を見た時、こいつを食わしていくために、何でもやろうって思ったさ」
源さんは休む暇も惜しんで働き、それなりの稼ぎを得ていた。
成長した息子に、仕事の話を毎日聞かせ、出来るかぎり連れ歩き、現場を直に見せた。自分が父親にしてほしかったことを、全部やった。後を継がせる時、困らないように。
だから、高校受験を控えた息子が、いきなり家を出ていってしまうなんて、夢にも思わなかった。
「仕事から帰ったらよ、嫁も子どももいやしねえ。あれよ、『実家に帰らせていただきます』ってやつだ」
曰く「家族仲は円満で、ケンカなんか一度もしていない」。
それって、意見や反論を許してこなかったからじゃないか。だって本当に円満なら、奥さんが息子だけの味方をして、黙って一緒に出ていかないはず。
けど、おれに人のことは言えない、と思い直した。親から一番言われてきたのは間違いなく、「ごめんね」だ。確かにケンカなんて成立しようもなかった。
「理由を後から嫁に聞いたらよ、息子がもう、おれの顔を見たくねえってのな。期待に応えきれない、重い、進む道が決まってるのに耐えられないって」
息子とは、それから一度も会っていないそうだ。離婚はしていないから、ごくたまに、妻と事務的な話を電話で話して終わり。
源さんは三十年、一人暮らしで、健康診断もろくにいかなかった。行きつけの飲み屋の店主に「目が黄色い」と言われ、しぶしぶ目医者にかかり、この病院への紹介状を書かれて今に至る。
黄疸に気づいてもらえなければ、突然死していたかも。そのくらい源さんは打たれ強くて、鈍い人だった。
「おれだって、道は一本きりだった。『耐えられない』ってなんだ? 耐える、耐えないの問題だったのか? 道って選べたのか? おれもウソついて、全部放り投げてよかったのかよ、クソ親父みたいに」
一人で延々くっちゃべってきた源さんが、おれに反応を求めてきた。テレビの向こう側にいると思っていた芸能人に、いきなり呼びかけられたみたい。心臓の音が、頭の中で鳴っていた。
やがて源さんは、ごまかすみたいに「はっ、はっ」と笑って、銀歯を零した。最後に見た息子と、おれの年が近いから、ついムキになってしまうのだと、聞いてもない言い訳を並べて。
「おれはな、ウソ吐かなきゃ、大抵のことはかまやしねえと思ってる。あいつにもそう教えたんだがなあ。親父も息子も、とんだペテン師よ。出ていくそぶりも見せずに、人をだまくらかして……ろくな人生送れるわけねえ」
「……ウソをつくのをやめたから、出ていったのかも」
呟きは幸い、源さんの耳に入らずに済んだ。
もう少しすると、源さんの奥さんと息子が面会に来るらしい。毎日、何度も、おれや看護師に「嫁と息子がおれに頭を下げに来る。許すかどうかは決めてねえ」と自慢げに語った。
看護師はみんな、その話題になると、気まずそうに笑って去っていく。気持ちはわかる。
親子三人で、どんな話をする時間になるのか。良い予感はしなかった。』
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