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婚約パーティーで着て以来、うっかり二月もそのままにしていたスーツをクリーニングに出すため、余計な物がないか確認しようとポケットに手を入れた時、金属の手触りを感じ、慌ててそれを掴み取り出した。
「何だこれ?」
川島は思わず声に出して呟くと、手の中の「指輪」に目を懲らした。指輪は多分、その大きさからして男物だろうと判断が付く。シンプルなプラチナの指輪。確かめてみようと思い自分の薬指にはめてみたら、まるであしらえたようにびったりで、川島は気味が悪くなり、速攻でその指輪を外した。
丁度実家の両親に用事があり電話をかけるつもりだった川島は、念のため指輪のことを尋ねたが、両親の答えは想像通り「知らない」だった。しかし、この電話のせいで、お見合い相手との進展具合をしつこく聞かれ、「孫の顔が早く見たい」なんて朝から言われても、川島はうまい言葉を返せず、早々に電話を切った。確かに、このまま彼女と付き合いを続ければ、いずれは結婚に繋がるだろう。でも、それを前向きに親に話す気力が、どうしても川島には湧いてこない……。
結局ポケットの指輪は解明されないまま、川島はスーツを紙袋に詰め、持っていた指輪を取り敢えず机の引き出しにしまうと、コーヒーを胃に流し込むだけの朝食を済ませ、会社に向かった。
今、川島が担っている仕事は、次世代ロボットに必要な作業、移動、コミュニケーションを行うための知的機能を共通部品化し、それを組み合わせることで、さまざまなタイプのロボットを実現する知能ソフトウエアモジュールの研究開発で、うちの会社の新規事業だ。その開発グループのチーフを任されている川島は、朝からあるお偉方への報告会議に気が重く、会社へ向かう足取りは軽くない。でも、この研究開発のチーフに抜擢されたことは、川島にとってかなりのプレッシャーではあるが、それ以上にやり甲斐のある研究であることは事実で、近い将来SF映画で見たようなロボットの活躍が現実になることを、川島は子どもみたいに夢見たりもする。
ただ、このままだとまた川島の悪い癖が顔を出してしまう気がする。折角お見合いをする気になり、根詰め過ぎる自分を変えようとしていたのに、嫌味なタイミングで、こんなやり甲斐のある仕事を川島に当ててくるとは。なんとも皮肉な運命だと呆れてしまう。
川島は週末に控えているお見合い相手とのデートを頭に浮かべると、つい、無意識に、仕事と結婚を天秤に掛けてしまう自分を呪わしく思った。
こんな風に気分が滅入る時、川島は無性に本宮に会いたくなる。今までは、どちらからでもなく連絡し合い、よく二人で酒を飲んだ。それももう、本宮が結婚すると決まり、川島にお見合い相手ができたことで面白いくらいぴたりとなくなった。
本宮とは婚約パーティー以来一度も会っていない。まあ、それはとても自然な成り行きだと頭では分かっているが、仕事に疲れた寂しい帰り道などは、つい勢いで本宮に電話をし、間髪置かず「会わないか」などと口走ってしまいそうで怖い。でも、結婚準備中の本宮は、妻の実家の家業を覚えるのに寝る間もないほど大変らしく、どちらにしろ、川島の誘いを受けている暇などないのだが。
今日はとても天気が良い日で、久しぶりに会社の前に止まっていた移動販売車でチキンカレーを買い、近くの公園のベンチでひとり昼食を取っている。その時、上着のポケットの中のスマホが鳴った。川島は最後の一口を慌ててかっ込み、着信画面を見ると、見慣れない番号が並んでいる。どうしようかと迷ったが、大事な用かもしれないと考え思い切って着信ボタンをタップした。
「もしもし、どちら様ですか?」
川島の問いかけに、電話口の人物は一瞬息を呑んだような気がした。数秒の沈黙後、「もしもし」と発したその人物の声は、明らかにおかしかった。ボイスチェンジャーを使っている。テレビで良く耳にする低いこもった声。その異質な声が川島の名をゆっくりと呼んだ。
「川島さんですね? 突然ですがこれから私の言うことに従ってください。さもないと、あなたの婚約者に危害が及びますよ」
「はい?」
川島は映画のような使い古された台詞に言葉を失う。新手の悪戯電話としてはあまりにも突飛すぎている。
「大丈夫。いたずらだ」川島は心の中でそう唱えながら、相手の次の言葉を待った。平凡な川島の人生に突如舞い込んだ「犯罪的」な匂いに、僅かに興奮するだけの余裕が川島にはまだある。
「明日の夜八時に、池袋駅西口で降りてください。そこでまた電話で指示を出しますので、必ず携帯に出てください」
電話の相手は男か女か分からない。丁寧な言い回しで考えると女かもしれないが、川島は女に恨みを買われるようなことをした覚えはない。だとしたら、川島が知らぬ間に誰かを傷つけ恨みを買っている可能性もある。又は最近多いストーカーの類いかもしれない。
川島が頭の中であらゆる可能性を必死に導き出していると、電話の相手はゆっくりとこう続けた。
「指輪を、持ってきてください」
「え?」
川島は心臓が跳ね上がるほど驚いた。
「ゆ、指輪?」
「そうです。あなたは指輪を持っているはずです」
(ゆ、指輪ってあれのこと? でも、どうしてそれを……)
川島は急に怖くなって、喉の奥がきゅっと押しつぶされたようになる。
「その指輪が必要なんです。必ず明日の夜持ってきてください。分かってますよね?この電話を無視したら、最初に話した通りになるので気を付けて」
川島は何も言えずスマホを強く握りしめた。手には脂汗が滲んでいる。
「それでは明晩。川島さんに会えるのを楽しみにしています」
電話の相手はゆっくりとそう言うと、ぷつりと電話を切った。
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