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川島はベランダに出ると、本宮に来られないように素早くカギをかけた。ベランダの手摺を掴み夜景に目をこらすと、ふわっと夜風に包みこまれ、その瞬間川島は、何故だか唐突に泣きたいような気持になった。
川島は本宮の性思考を、本宮の自分への気持ちを何故今まで気づかなかったのだろう。それは当たり前だ。本宮は今までそんな素振りを微塵も見せてこなかったからだ。それはとても苦労が要ることだったに違いない。
川島は本宮が好きだ。男として憧れている。心から信頼できる最高の親友だと思っている。本宮の結婚は、川島の心に大きな寂しさの穴を開けたのは事実だ。それほど本宮の存在は川島にとって思っていた以上に大きかったからだ。でも、それが恋愛感情かと考えると、そんなことはやっぱりあり得ない。だって、川島は今まで、本宮を性的対象として意識したことなど一度もないからだ。
ただ、川島は本宮からの告白に対し、生理的な嫌悪感は不思議と覚えていない。それよりもむしろ、必死に川島に思いを伝える本宮の姿に涙が溢れてしまう。何年もの間、川島への気持ちを強く心中に押し込めていたのかと思うと、切なくて胸が張り裂けそうになる。
(ああ、こんな気持ちじゃ、彼女との結婚なんて考えられないよ)
川島にできる、親友としての本宮の救い方。川島は今、それだけを考えようと心に決める。
川島は意を決してベランダから出ると、首を垂れながらソファーに座っている本宮に近づいた。
「泣いてるのか? 千秋」
本宮は川島の存在に気づき頭を上げると、情けなく声を震わせながらそう言いった。
「泣いてないし……」
川島はそう嘯くと、慌てて涙で濡れた顔を手の甲で乱暴に拭った。
「……ショックだよな……千秋……本当にすまなかった」
本宮はまた深く項垂れながらそう言うと、千秋の腕をそっと掴んだ。
「ああ。ショックだよ。良の俺への気持ちを知ってな。でも、良はすごくバカなことをしたんだ。彼女を傷つけたんだよ? その代償は大きいよ。今すぐに誠意を持って彼女に謝罪して、ちゃんと別れろ!」
最優先に考えるべきは、傷つけてしまった彼女から許しを得ることと、できるだけ円満に婚約を解消することだ。
「駄目なんだよ。俺の話なんか全く聞かないんだ。「絶対やだ」の一点張りで。それに、俺がゲイなのは一時の気の迷いだって信じて疑わないんだよ……確かに俺は女とセックスできるからな……ああ! くそっ!」
本宮はソファーを乱暴に殴ると、その激情のまま川島の腕を痛いくらい引っ張った。
「千秋……好きだ」
本宮は下から自分を見上げると、熱い視線を寄越してくる。
「……そ、それはさっき聞いたよ。でも、俺も信じらんないよ。本当に良はゲイなの? そ、その、男とセックスとかしたことあるのか?」
自分も本宮がゲイだということを信じられない彼女の気持ちが良く分かる。本宮はリスクとかハンデといった人生に立ちはだかる障害が似合わない。だから、こんな風に悩み苦しむ本宮の姿は、まだ続く茶番劇の一部にしか見えない。
「ハッテン場にはたまに行く。そこでお前と似た男とセックスするぐらいだ。その男に恋愛感情はない。ただ、彼女とはもう二度と元には戻れないよ」
顔から火が出るほど恥ずかしい。自分似の男と本宮がセックスをしている姿が否応でも頭に浮かび、川島は頭を掻き毟りたい衝動に駆られる。
「それに、例え運良く別れられても、彼女の両親が俺を許さないだろうな。俺がゲイだってことを故意に広めるかもかもしれない……そうなると、再就職もしづらくなる……」
「え? 彼女、両親に話したの?」
「否、まだだ。ただ、結婚してくれなきゃ親に話すって、脅されてはいる」
本宮は、川島を絶望的な気持ちにさせる言葉を投げやりに吐いた。でも、川島はその気持ちを取り敢えずぐっと飲み込むと、わざと明るく言った。
「……まあ、でも、大丈夫だよ。俺がなんとかしてみる」
川島は本宮を見上げながら、そうはっきりと言った。
「な、なんとかするって、何言ってる?」
「まずは彼女と上手く別れることだ。良は彼女のためにそれだけを考えろ」
「だからできないんだよ。分かってもらえないんだ」
「分からせろよ!」
「どうやって!」
本宮は困惑の色を額に滲ませながら、川島を見つめた。
「彼女と会って話そう。いつなら都合がいい?」
「何をするつもりだ?」
「三人でちゃんと話そう。すべてを正直に。お前はずっと俺を好きだったことを彼女に伝えるんだ。でも、その恋は叶わないってことを俺がちゃんと彼女に伝える。苦しむお前の姿を見れば、彼女は現実を受け入れて、別かれる気になるかもしれない」
川島はどうしてこんなことになったのかと途方に暮れながらも、何としてでもこの行き場のない状況から、本宮と彼女を同時に救い出してあげたい。
「……それって、俺の気持ちには応えられないってことだよな?」
本宮は川島の気持ちを探るような、真剣な目で問いかけた。
「ああ。そうだよ。ごめん。でも、しょうがないことなんだよ」
自分はゆっくりと体を起こすと、絞り出すように残酷な言葉を吐いた。
「……ふっ、当たり前だな……でも、友人関係は変わらず続けてくれるよな?」
本宮は傷付いた表情を僅かに滲ませたが、意外にも落ち着いた声でそう言った。
「お前が辛くなければ……」
川島は心の中で本宮に謝罪する。もちろん張り裂けそうなほど胸が痛い。でも川島には、本宮の恋情を友人として受け止め、それを「誠意」という形で返すことしかできない。
「……分かったよ。俺は彼女に携帯番号を知られたくないんだ。今日はもう遅いから、明日千秋のスマホから彼女にアポ取ってくれよ。今、番号を教える」
「え? 俺が? やだよ、そんなの」
「お前が言い出したんだぞ? 責任取れよ」
本宮は投げやりにそう言うと、まるで喧嘩でも売るように、鋭い瞳で川島をまっすぐ見つめた。
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