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蒼さんの口元が、かすかに動く。
「行こう、晴斗さん」
私はベビーカーのハンドルを持つ晴斗さんの腕を引いた。
「どうした、急に」
「早く!」
ちょうど私たちの左前方のエレベーターが到着したところで、私は蒼さんの視線から逃れるように、エレベーターに乗った。
驚いた。まさか病院で会うなんて。
蒼さんと伊吹さんは、いったいどうしてここにいたんだろう。
「お父様のお見舞いでしょう。入院したからしばらく番組はお休み、って先週、告知があったから。心臓発作を起こしたけど、命に別状はないって」
その日の夜。
双子を寝かしつけ、居間でお茶を飲みながら病院での出来事を話すと、温子さんが言った。
蒼さんのお父様は、国内有数の大手ゼネコンである望月建設の社長でありながら、コメンテーターとして情報番組でも活躍している。
ごつごつとした男らしい外見で、蒼さんとは全然似ていない。だからテレビでたまに見かけていたあの人が蒼さんの父親だと知った時には本当に驚いた。もっとも、蒼さんが望月建設の御曹司だということの方が、さらに驚きだったのだが。なぜなら、弁護士として日々激務をこなしている様子は、私がイメージする優雅な御曹司像とはかけ離れていたからだ。
「それにしても、タイミングが悪かったわねえ。その状況なら望月さん、まーちゃんとりーちゃんは晴斗との子どもだと誤解したでしょう」
あ、と思った。
蒼さんと遭遇したという事実だけで頭がいっぱいだったが、温子さんの指摘はもっともだ。
「……その方がいいです」
蒼さんには伊吹さんがいる。
美貌・知性・家柄を兼ね備えているのはもちろん、蒼さんをずっと想い続けてきた女性。伊吹さんなら必ず、蒼さんを幸せにしてくれる。
蒼さんのことはもう、本当に忘れなくては。
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