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時期的に海岸に人は少なく、白い砂浜を犬の散歩やジョギングをする人。恋人同士なのか冷たい海水を足元に浴びながら互いに掛け合う男女の姿。
「なるほど。あれがリア充なるものですね」
「興味深そうに見つめるな。何を見に来たんだ、人間観察なら他に行く」
砂地に下ろしてもらい、日除けに大きな帽子を被せられた。砂は日差しの熱を浴びてまだ熱い。それでも足先に冷たい海水が引いては寄せて心地がいい。
全身を包む海の潮風に気分が踊る。
何度も繰り成す波の音も、その合間を縫うように聞こえる魚の跳ねる音も、全て。
頭上から鳥の声が聞こえて仰いでみれば輪を描いて鳥が飛んでいた。
どこまでも続く海面はゆらゆらと光を反射させて空の境界まで延びている。
ああ。
つくづく、実感する。
ここは『現実』だ、と。
夢の中でしか生きられなかった私が、自分の身体で感じることが出来る、現実の世界。
爪先を撫でる波の感覚、ざらりとした皮膚に張り付く砂の感触も、瞼を閉じても消えやしない。
「これが、本物...」
思わず口から溢れた言葉は前に海を見たことがあったからだ。きらきらと光を放つ水面も、海鳥の声も、一度視た。それでも、やはり違う。夢で視たものとはやはり、違う。
「気に入ったようだな」
「...ええ。ありがとうございます。」
隣に、同じように腰かける哉彌に礼を言う。
甘いものをくれると約束してくれた、見たいものを訊いてくれてはそれを見せてくれた。
この人は本当に
「残酷な人。」
口元が緩んだのは寂しくなったからではなく、心底この人の考えが間違いではないことを痛感するからだ。
正直、欲は出てしまう。
もっと知りたい、見てみたい、味わってみたいと。
あなたの考えはけして間違ってない。
けれど、これから死ぬとわかっている私をこれ以上縛り付けられるのは苦痛でしかない。
「正直、惜しいと思ってしまいます。」
波間を縫うようにそう告げた。
白く泡立った波がそれを連れていってくれれば、私の心も少しは軽くなるのに。
「この美しい景色も、甘い菓子も」
カーディガンから直がくれたこんぺいとうの袋を取り出して一つ摘まむ。
それを口元に運んで、哉彌に手首を掴まれた。
「は?」
ぱちくりと瞼が鳴る。
指先にあった小さな星形の砂糖はふいに近づいた彼の口で溶けた。
カリッと砕ける音に我に返る。
「そ、そんなに食べたければ言って下されば...」
「次の手を試してみた」
「は、い?」
「食い意地も、この世の未練も駄目ならばいっそ色恋で縛ってみようかと」
この人は...本当に
思わず吹き出した。
真面目な顔をして、いつもと全く声音も変えずに何を言い出すのか。
自分でも驚くほどに声が跳ねる。
「か、哉彌様は、馬鹿なのですか?」
笑いすぎて、お腹が痛い。
「はぁっ、苦しいっ、」
笑って涙が出るとは知らなかった。
呼吸を整えながら空いた左手でそれを拭う。
「はぁっ、すいません、まさか哉彌様からそんな冗談が聞けるとは思わず...」
まだ口元が緩んだまま振り向いて、しまったと思った。
哉彌はまだ手首を掴んだままこちらを見ていた。その顔がいつもと違って、眉間に皺が無くつり上がった目元も、普段はきつく結んだ口元も柔らかくまるで表情が違っていて。
「お前は、笑えるのだな」
優しく、こちらに微笑んでいた。
「いつもの作り笑顔ではなく」
見てしまった。
一度目が合ってしまえば逸らせない。
最悪だ。
「...それは、こちらの台詞です」
あなたの笑顔なんて、見たくなかったのに。
観念したように瞼を閉じ、深く息をつく。
焼きついてしまったこの笑顔を私は拭い去ることが出来るだろうか。
「あなたを選ばなければよかった。」
鎮まらない鼓動をどうにか抑えたくてそんな言葉を投げ掛ける。
「馬鹿は私ですね。残酷で、優しいあなたならばきっと苦しめずに殺してくれると思っていたのに」
「けしていい人間ではないからな」
そのようです。
小さく呟いて波の音に耳を立てる。
もう目を開けることも、彼の言葉を聞くこともしたくはない。
「露理」
「...」
「一つ聞きたい」
「...」
黙っていると哉彌はようやく手を放した。
手首に残る彼の温もりがひどくもの悲しい。
「俺を選んだという理由はなんだ。他にも候補はいたのか」
さて、どうでしょう。と誤魔化すのは簡単で少し前の私ならそう返していただろう。
「候補はいますよ。というか、もう哉彌様には期待していません。」
どのみち、いつまでもこうしていたら彼は勝手に来て私を殺すだろう。
互いの目的の為に。
「あなたを選んだのは、私のエゴです。
一目惚れというやつですね」
さらさらと髪を撫でる潮風に身を委ねると楽になった気がした。
結果は変わらない。
どう足掻こうと決まった未来ならいっそ何も考えずにいたい。
「私は、全て壊します。
この世界もこの世界に住む人も、あなたも」
ただ、それを見ずに先に逝くだけ。
「あなたにそれは止められない」
観念してください。
挑むようにそう告げた。
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