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ごとりと音を立て顔のすぐ横に落ちた。
ぼやけた視界でそれは直が持っていた湯呑みである事がわかる。
「嬢ちゃん!」
いつの間にか首を絞めていた手がそこにはなくて、目の前には直を押さえつける哉彌がいた。
「大丈夫か」
直から引き剥がすように起こしてくれたのは疾風で、呼吸を整えながら首もとに手を添える。
爪の傷からはうっすらと血が出ていてひりひりと痺れるような痛みがある。
やられた。
溢れた涙は畳を跳ねて悔しさでいっぱいになる。
これが次の手になるなんて。
「何粒食べた?」
哉彌に訊かれても声がでない。
体が震えて呼吸が荒れる。
「嬢ちゃん?おい、大丈夫か」
慌てる疾風に持たれこみながら哉彌を見上げる。眉間に皺を寄せて怒ってるみたいだ。
「食い意地張るにも限度があるだろ、馬鹿が」
直を連れ出し襖の奥に待機していた部下に預けると哉彌は傍らに膝をついてお茶を差しだした。
「何のための解毒だと思ってるんだ」
ああ、どうりで今日のはやたら苦いと思った。
「気づいていましたか」
「当たり前だ。さっさと飲め」
「..ふっ、はは」
思わず声が出てしまう。
まだ息苦しさも首の痛みも残っているのに。
「ははっ、ごめんなさっ、おかしい、ですね」
楽しい気分でもないのに、笑うのは自分が惨めだと気がついてしまったからだ。
情けない。
たったこれしきの小さな痛みで、心が揺らぐのか。あれほど死にたいと言っておいて、殺してくれと懇願して、今になって。
死ぬのが、怖いだなんて。
「...。お前はあやかしではないが毒は効いているのだろう」
「残念ながら、まさかお茶が解毒剤だとは思わずあまり効果はないようです。
その様子だと、哉彌様は大丈夫そうですね」
違う。痛みを知らなかったから動転しただけ。
「疾風抑えてろ」
お茶を奪われ、一瞬戸惑った疾風にも腕を掴まれる。目の前には片膝をついた哉彌がお茶を片手にスタンバイ。
「あの、次は拷問ですか」
「飲まないなら無理矢理飲ませてやる」
「分かりました飲みます!ちゃんと、飲みますから」
「信用出来ない。お前ならうっかり溢しただの、こっそり吐き出しそうだ」
「ああ、そういった手もありましたか...」
うっかり呟いてしまったが最後顎を鷲掴みにされる。慌てて弁解しようとしたが遅かった。
ぐいっ顎を押し上げられ目を閉じる。
口元に苦味と共に感じたのは湯呑みの固さではなく柔らかい人肌だった。
ごくりとやたら大きく喉が鳴る。
瞼を押し上げると目の前には哉彌の目があった。
「閉じてろ」
離れた唇がそう告げる。
顎を抑えていた手が瞼を覆って、また薬が喉を通る。
二度三度繰り返した後、その手は離れた。
「哉彌様はいつもこうやって薬を飲むのですか?」
振り返り疾風に訊くと抑えていた手を放し苦笑いを浮かべる。
「いや、口移しはないだろう」
「?ではなぜ」
「頼むから、今だけは俺の存在は無視してくれ」
「なぜです、疾風はここにいるじゃ」
「次の手と言っただろ」
私の言葉を遮り、手の甲で口元を拭きながら哉彌は言う。
相変わらず怒った表情でありながらどこか悲しげに。
『いっそ色恋で縛ってみようかと』
昨日の言葉が蘇る。
どこからどこまでが次の手だったのか、私には分からない。
直に渡されたこんぺいとうが毒だとは気づいていた筈、だからこそ解毒剤をお茶として飲ませたのだろうから、だとしたら直が私を襲うことも想定の内。私自身それを望んだのだから。
実際死にそうになったところを抵抗するか見定めていたのか、私に死ぬ覚悟が本当にあるのか確かめる為に。
「リア充に興味があるのだろう?」
私の思考とは全く違う言葉が降ってきて顔をあげる。
「まじまじと観察してたじゃないか」
「は?」
....。
一瞬、昨日の男女に哉彌の姿が重なる。
どこからそんな声が出るのかきゃっきゃっと子供のような高い声で水をかけ合う。
ほぉーら、冷たいだろぉ
そういって笑う哉彌の顔に寒気がした。
「...。すみません、誰ですか」
「頭打ったか?」
ぎょっとした顔をして後頭部を触る哉彌。
顔色に首の傷も観察する横顔を間近で見る。
本当に、心配しているのだろうか。
疾風に処置の為の薬と包帯を取ってくるよう指示を出し、首の傷をいたわる彼はもしかしたら本当に。
「あの子をどうするつもりですか?」
「...。あれは妹をあやかしに食われている、憎しみは理解も出来るがやり過ぎた。」
「追い出すのですね」
念を押すようにそう言うと哉彌は怪訝そうな顔でこちらを見る。
「...そのつもりではある」
「では、こちらに二度と戻れないよう遠くにやってください。」
おとなしく手当てを受けながらそう言うと哉彌はその意味がわかっているようで頷いた。
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