痛み

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その夜。 食事をとっていた際哉彌が教えてくれた。 直は今夜中に屋敷を追い出されることとなった。 そう訊いてほっとする。 あの子のあんな死に方はもう、見たくない。 「そうですか」 「最後にお前に話したいと」 「...は?」 私の返事を待たずに哉彌は奥の襖を開け、そこに座っていた人物を招き入れる。 深々と頭を下げ、近くに座る直はけして目を合わせようとしなかったが、淡々と話し始める。 「あなたが哉彌様に連れてこられて間もなく、見知らぬ男に町で声をかけられました。あなたはあやかしで、毒を仕込んで殺せばいいと。」 「その男の風貌は?」 哉彌の問いにも直は顔を上げず答える。 「長身で、髪の長い男性でした。歳は40程でどこか恐ろしげのある威圧感で」 なぜか、逆らえない恐怖感があった。 直はその男を思いだし震え出した腕を抑えている。 「それでも、私も馬鹿ではありません。あんな男の口車に乗ったのは、あやかしが...あなたがあやかしだと言ったからで。 ...私は、妹を目の前であやかしに食われました。あの時の光景が私には離れないのです。どんなに忘れようとしても、あの時の光景が、焼きついて、離れない..。」 そこまで言って、直は頭を下げた。 「...けして、許さないでください。 私もこの恨みは一生忘れないでしょうから。ただ、関係の無いあなた様に手をあげたことは謝ります。申し訳ありませんでした。」 哉彌から私はあやかしではないと聞いたからの謝罪だろう。 それでも、なぜだろうか。 人に縛られ奪われた私には初めて貰った謝罪の言葉だった。関係ない人であったとしても、その謝罪はどこか私の心を癒してくれた。 「...私は、人ではありません。」 困惑した直が顔を上げる。 その頬に手を伸ばし、触れた。 暖かい人肌に冷たい涙が溢れる。 揺れる瞳の先に、彼女の未来を垣間見る。 楽しそうに、心から笑っているであろう笑顔だ。いつの事になるかはわからない。 外見からだいぶ先の未来だろうか。 それでも、いつかはこんな風に笑えると思えば支えになる。 「もちろん、あやかしでもありません。 私はこの世で一人しかいない。半妖なのです。」 「...半、妖?」 「信じられないでしょう?人とあやかしの間に子供が出来るなんて。」 直は動揺の色を隠せずに、呆然とこちらを見つめている。 「信じなくて構いません。あやかしを憎んでも、私を殺したくても構いません。それがあなたの生きる糧になるのなら」 「...」 「どんなに憎しみの炎に駆られようと、いつかはあなたを救ってくれる人が現れるまで生きなければなりません。」 「...何を」 呆然と呟く直に最後の餞別を言い渡す。 「あなたが笑って生きることが、あなたを殺せなかったあやかしにとって一番の復讐になると思えませんか?」 笑って生きる、それが出来ることがどれほど困難か。それでも先ほど見た一瞬の夢のように年老いて、笑ってほしい。 何も言わずに、戸惑った表情のまま直は部屋を出ていった。 哉彌も部屋を出て、一人しかいない空間で瞼を閉じる。 矛盾。 脳裏に浮かぶこの言葉の意味を考えるのは容易ではない。 私が死ねば世界は滅びる。 そしてそれを結果的に私は望んでいる。 それなのに、なぜあの子を生かしたいと思ったのか。 人はいつか死ぬものだ。 ただ、それが早まるか、多少遅くなるかの違い。 私は絶望を絶ちたかった。 どうせ死ぬなら、痛みも苦しみも知らずに一瞬で終わらせてくれたらと願った。 その後の結果は変わらないのなら苦しまずに全て滅んでしまえばいいと。 「...毒されましたかね、哉彌(彼に)」 自分に呆れてしまいながら思わず呟いた。 ふと、部屋の空気が一変する。 獣の匂いが鼻をつく。 「お久しぶりですね、化け猫」 部屋の障子と襖に大きな猫の影がくっきりと映っている。 「前は童の姿でしたが、私だと気づいてくれたようで安心しました」 様子を伺うようにじっとこちらを見ていた影は主君にするように頭を垂れる。 ナガイアイダ、サガシテオリマシタ 猫の声は暗い穴ぐらから聞こえるようにひしゃげていて、冷たい声音に空気が震えた。 「わかっています。あなたの献身ぶりには感謝しきれません」 イマスグ、アナタヲココカラオツレシテ... 「それにはまいりません。それより備えなさい。もう間もなく、山は動きます」 化け猫は納得しきれないようだったが、最後には一声鳴いて姿を消した。 「...もうじき、彼は私を殺しに来る」 直に薬を渡したというのは彼に違いない。 もうじきだとわざわざ知らせを寄越したのだ。 思わず天井を仰いだのはようやく自由になれることを嬉しく思ったからか、それとも。 脳裏に浮かぶ哉彌の顔。 あなたとの別れを嘆いているのか。 本当に、心というものは思いどおりにいかないものだ。
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