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「え、あ、ぁぅ、お…」
あうあう言いながら、せめてと首を横に振る。男は「あんだぁ?」と顔を顰めた。
「喋れねぇのか?声かけたれただけでテンパるんなら撮影なんかしてんじゃねぇぞコラ!」
違う、違うのだ。僕は首を横に振る。
「あ、ぅぇ……そ、その…」
「頭悪ぃんかテメェ!女の前でみっともねぇなあオイ!!」
吃る僕をみて、中年男性はサディスティックに顔を歪めた。こういった方々は僕の様な人間をとても好むのだ。
ハッキリと僕の失態である。せめてお嬢様に累が及ばぬ様、一歩前に出て頭を下げる。
「謝ったか!?謝ったって事は謝るような事したんかテメェ!!ああ!?これは警察だなぁオイ!!」
尚も頭の上から浴びせられる怒鳴り声。僕が尚もあうあう言っていると、
「おじさま?私達は、別の店舗を検索していただけです。撮影もしておりませんので、どうぞご容赦下さい」
お嬢様が僕の前に出てきてしまった。
ああ、失態だ。最悪だ。
「まだかかるようでしたら、別の『金ダコ』にいきますので」
「あんだぁ?女に庇われてみっともねぇなあオイ。だったら携帯みせろよ。後ろ暗い事がないならみせられるはずだろうが」
「承知しかねます。おじさまに私達の個人情報を開示する理由はありません」
「じゃあ警察だなぁ!」
「はい、どうしてもという事であればどうぞ通報なさって下さい。上屋山様」
「じゃあ呼ぼうじゃねぇか!誰がわる……ぁんあ?」
ふいに名前を呼ばれ、男性が妙な声をあげた。
「上屋山様。上屋山様は平日朝、7時45分から8時10分の間にこの駅にいらっしゃいますね。始業前にする事がある、と以前おっしゃっていらしたので、間に合うのかなって、少し気になっていたんです。職場は駅の近くなのかしら?電車から降りる時間は大体8時半頃ですが…」
「は、はぁ?おまっ……何言って…」
「乗られる車両をよく変えていらっしゃる様ですけど、電車の中で他人のスマートフォン画面を覗くご趣味と関係があるのかしら。お気持ちとても良く分かります。偶々視界に入ってしまったものは仕方がないですもの。犯罪でもないし、愉しいですよね」
僕の、僕の失態である。
ごきげん嬢の奇婦人ぶりが、発揮されてしまっている。
「ブランド物の黒い手提げ鞄から出してらっしゃる携帯電話は社用ですか?喋る場所の横にACC15と番号がふってありますが経理部という事なのでしょうか?それともアルファベットに意味はないのかしら?寡聞にして存じませんが、営業部の方が待たされるもの、というイメージがあるので。朝からよくかかってきていますね、とてもご多忙な方なのだなと、思っていました」
「お、え?な、何だおまえ。何でそんなこと…」
気持ち悪いだろう。訳が分からないだろう。
まさかみてるはずのないものを、記憶しているのがごきげん嬢である。
「この間ホームで電話されていた時、大きなお声で確認されていたのは、何方様の番号でしょう?携帯番号のようでしたが」
「な、なに?で、しょ、うか?知らない。そんな事、してない、です」
「業務時間外に対応させるというのは余り良い事とは言えませんので、僭越ながら、今度クレームをいれさせて頂きますね?余り上屋山様に負担をかけない様に、と」
「やめろ。ちょちょっ、やめろ本当に止めろ。おまえなんだ?だれだ?ど、どなたですか?どちらのお嬢様でしょうか?ご家族の方とかですか?」
「そうそう、ご家族の方といえば、以前大丈夫大丈夫と繰り返していらっしゃってましたが、大丈夫でしたか?バレませんでしたか?とても心配です」
「…………どなたです?」
「なるべく壊れないよう、壊さぬよう、出来るだけ長く頑張って下さいね。上屋山様のような方が、日本を支える礎となっているのですわ」
自分の知らない相手が、自分の事を知っている。非難するでもなく、
「本当、ご苦労様です」
労ってくるのだ。
いい加減顔を上げ、ごきげん嬢をみてみると、
「ファイトですわ、上屋山様」
これは怖いだろうな。目だけ笑っていなかった。僕ならちびる。
「……オレは構わないぞ。困ら……困らない、です。オレは捕まるような事してないんだからな。オレは悪くないぞ。手も上げてない、脅してもない、な、何か利益を得た訳でもな、ありません。相手を貶める様なは、発言もして、していません」
ごきげん嬢の言葉自体がどうこうという訳でなく、ただただ、気味が悪いのだろう。
「店のためと思ってい、言っただけだ。オレは何も得してない。犯罪なんかし、してないぞ…」
何か妖怪にでも遭遇した様な顔をして、上屋山様は逃げる様に去っていった。
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