2.死とは

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2.死とは

「人、ではないか」  その彼の言葉に山貴は肩をすくめてみせた。  ああ、そうだ。山貴は人だ。しわに覆われ、手も足も棒きれのようにやせ衰えた老人。その姿は確かに人でしかない。だが別に山貴は若者を騙したつもりはかけらもない。 「おぬしこそ、娘ではないのだな。すっかりたばかられたわ」  恨めし気に言うと彼は声に困惑を滲ませながら問いかけてきた。 「私は邪神、山貴を退治するためにここまでやってきた。しかし……みたところ、お前は人のようだ。だが人がこんなところにいるのが解せぬ。何ゆえ、こんなところにおるのか理由を聞かせてくれまいか」  問う若武者の顔を山貴は眺め、目を細める。 「ぬしは里の者ではないな」 「なに?」  若者が怪訝そうに首を傾げる。山貴は気怠く続けた。 「大方、化け物退治の手練れといったところか。里で頼まれたのであろう。山の神の祟りのせいで不作続きだ。しかし山の神とは名ばかり。女の生き血をすする邪神でしかない。いくら娘を捧げ続けても不作は収まらぬ。いっそ、邪神を討ち滅ぼしてくれ、と」 「確かにそうだが……。お前は……」  若者のつるりと整った顔がしかめられる。山貴は短く舌打ちをした。 「なあ、若者よ。教えてくれ。里で食べるものもなく飢えて死んでいくのと、村の犠牲になって山の神に殺されるのと、どちらがよりましか」 「ましとかそういうことではなかろう。人の死にどちらが良い悪いもない」 「であるならば、どんな死に方であろうと死は死だと」 「ああ」  頷く若者に山貴はにやりと笑ってみせた。 「そうよな。誰に殺されても死は死」  肩を震わせながら山貴はぶらぶらと洞へと戻る。その山貴の背中へ若者は怒鳴った。 「待て。ここは山の神の住む場だと聞いている。お前は禁を破ってここにおるのか?」 「禁」  山貴は若者の言葉に今度こそ腹を抱えて笑い出した。山貴の突然の哄笑に若者がたじろぐのがわかったが、山貴はおかしくてたまらず笑い転げた。 「禁などあるか。ここに神などいない。いるのはずっとわしだけだ」 「どういう……じゃあ毎年毎年ここへ捧げられた娘たちはどこへ……」  若者が不審そうに呟く。その彼に向かい、くいと山貴は顎をしゃくる。輿とともに残された捧げものの酒の満たされた甕を一つ抱え、洞の入り口に張られた注連縄をまたぎ越えた山貴は、若者を振り返った。 「来るがいいさ。ここに神などいない」  若者は洞の入り口で逡巡する素振りを見せたが、覚悟を決めたように山貴の後ろについて洞の中へと踏み入ってきた。  表から見るとどこまでも深く続いているように見える洞だが、実はそれほど深くはない。その洞の最奥に突き当たると思ったとき、若者は前方に光を見た。目を瞬く若者の前に現れたのは、赤々と燃える焚火と……一人の女。  薄汚れた衣にざんばらの髪を無造作に結わえた女は山貴の姿を見ると、地面に手を突きうやうやしく頭を下げた。 「おかえり、なさい、ませ」  掠れたか細い声が洞の中、響く。若者はその娘を見下ろした後、はっと目を見張った。
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