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4.山の神
「ここに……神はまこと、おらぬようだな」
若者の声が洞の空気を静かに揺らす。涙を零しながら見つめ返す山貴に若者は唇を横に引いて笑った。
「いたのはただの人だ」
労りに満ちた声に山貴が目を瞬かせた……その瞬間だった。
ぎらり、と銀色の軌跡が山貴の視界を焼いた。
次いで襲ってきたのは、灼熱の鋼を押し付けられたがごとき激しい痛み。
胸を裂かれ崩れ落ちた山貴を見下ろしたのは、血塗られた刃を片手に提げた若者だった。
「山貴、か」
呟き、若者は刃にまとわりつく赤いぬめりに舌を這わせる。うまそうに血をすすり、彼は笑った。
先ほど見せた静かな笑みとは似ても似つかぬ、鮮やかな笑みだった。
「だとしたら私もまたサンキかもしれぬな。お前は人の命を奪うことで笑みを浮かべられる。私は……人の血肉を食すことに喜びを得る。さながら私は山の鬼。山鬼といったところか」
地に伏しながら山貴はぼんやりと見上げる。青い衣を赤き血に染めうまそうに自身の手にまとわりついた液体をなめるその姿は、禍々しく決して人には見えなかった。
人から完全にかけ離れた……そう、まるで……。
「ぬしこそが山貴であったか……」
呟いて山貴は自身のすぐ横に倒れたままの娘の死骸に向かい必死に眼球を動かす。
命を刈り取ることに喜びを感じはする。けれど……一方でずっと、ずっと思ってもいた。
生きている者と笑い合うことが自分にもできたらと。
毎年思った。毎年、贄として捧げられる娘を今度こそ殺さずにいようと。
そのぬくもりを愛おしく思おうと。
だが無理だった。殺めたくて殺めたくてたまらない。年月を重ねることで辛抱できる時は少しずつ長くなろうとも最後にはその首を手折ってしまう。
しかし……それも終わる。
自分は、罰してもらえた。
自分が命を奪ったこの娘と同じところには行けぬかもしれぬがそれでも。
若者が笑う。刃をかざしながら彼は笑う。
「人を殺める忌み人ならば食しても構うまい。ああ、久方ぶりに食せる。なんとなんと有り難きめぐり合わせか」
楽しくて嬉しくてたまらぬというように。
赤にまみれながら若者は笑い続ける。
その顔は幼子が玩具を手にしたかのような輝きに満ちていた。
ためらいなどまるでないその顔を見、山貴は悟った。
神という存在を目で捉えることはできない。けれど……人を殺めることに愉悦を覚える者と、人の血肉をむさぼることを愛す者と。その両者を引き合わせ、双方の隠れた幸福を引きずり出したこの偶然をこそ。
山の神の御業と呼ぶべきものかもしれない。
「おらぬと見せかけてこのような御業をなす……神にこそたばかられておったということか」
すべてを知るのは洞を吹き抜けていく風ばかり……。
自分を慰め続けた風の声を耳に収めながら、山貴は目を閉じた。
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