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ストーカーは鏡にうつらない
上泉巴は正義の人であった。
義を見てせざるは勇なきなり、朝は電車で同級生を痴漢から救い、放課後は後輩からカツアゲ中の上級生に天誅を下し。
その佇まいは凛として、美人と呼んで差し支えのない整った顔立ちをしているが、恋愛対象として考えるには彼女はストイックすぎるのか、恋愛が最大の関心事という同級生も多くいる中、未だ恋人ができたことはない。
そんな彼女には、目下差し迫った悩みがあった。
「こんばんは。今日こそ、良いお返事を聞かせていただけるといいのですが」
一歩学校を出るとどこからともなく湧いて出るこの男。
どんな時間帯に出会ってもこんばんは、と挨拶してくる、黒いコートにハット、長身長髪の見るからに不審人物に、巴は数日前からストーキングをされている。
こんな人間が学校の周囲をうろついていて、誰も通報などしないのだろうか。甚だ謎だ。
ただ、今のところ怪しいことと鬱陶しいこと以外の実害はなく、巴もまたこの程度で怯えるようなごく一般的な女子でもなかったため、今回も目も合わせずに通り過ぎながら、何度目かの断りの文句を口にした。
「断固拒絶します」
そしてまたそのストーカーも、ごく一般的な神経ではないと思われ、絶対零度の視線を浴びるや喜悦の表情を浮かべて、勝手に巴の隣に並んで歩き始めるのだ。
「フフ…その蔑みの眼差しも私にとってはご褒美…!」
「………………」
「毎日好きでもない男につきまとわれるフラストレーションが頂点に達した結果、お情けを頂戴できれば幸いなのですが」
気持ちの悪い欲望をぶつけられ、巴のつんと結んだ口元が引き攣る。
男はストーカーの上、大層歪んだ性癖をお持ちのようだった。
事の発端は数日前。柄の悪い男達に絡まれている気弱そうなサラリーマンを助けた時のことだ。
薄暗い路地裏の入り口に夕日を背に仁王立ちし、チンピラ達の蛮行を咎めると、「おうおう」とアシカか何かのように突っかかってきたため、手が出たのはもちろん正当防衛だったのだが、この不審人物は野次馬に混じってそれを見ていたらしい。
難なくチンピラを制して制服のスカートを翻し立ち去ろうとする巴を引き留め、
「素晴らしい一撃でした。どうか、私のことも殴ってください!」
興奮気味に最低の告白をしてきた。
気持ち悪いのでもちろん無視したが、それ以来こうしてストーキングをされている。
「まあ、そう…無視されるのは、慣れているのですが」
しばらく並んで競歩していると、微かに諦観をにじませる声で男が呟く。
巴は黙ったまま、それは貴方のような不審人物と絡みたい人は少ないでしょうねと脳内で相槌を打った。
「実は…私はこの世の存在ではありません」
何を言い出すのかと思わず隣の長身を振り仰げば、長い前髪の隙間からのぞく切れ長の瞳と目が合う。
ストーカーは、よく見ると、大層整った顔立ちをしていた。
「こんなに不審な人物が貴女のような可憐な女子高生にまとわりついていて、誰も気にしていない。おかしいとは思いませんでしたか?」
「それは…、」
通報されていないのもおかしいし、そもそもこんなに怪しい風体の男が人通りの多い商店街を歩いていれば、通報まではしなくても二度見する人間がもっといてもいいのではと思う。
「(ていうか、不審人物の自覚あったの!?)」
自覚があるのなら少しは控えろよと言いたい気持ちしかない。
「…仮に貴方がお化けだったとして、私にどうして欲しいの?」
信じたわけではなかったが、幽霊話の行方が気になり、続きを促す。
男は、よくぞ聞いてくれたとばかりに答えた。
「貴女に殴っていただけたら、成仏できそうな気がするのですよ……!」
そんなわけがあるか。
ツッコミどころしかないものの、上泉巴は正義の人であった。
自分の常識にそぐわないからとすべてを否定し、拒否してしまうのは容易い。
だが、助けを求めている人(?)がいて、自分がその助けになれるのであれば、力を貸すべきではないだろうか。
幽霊だというのなら実体はないだろうから、殴る素振りをすればいいという事だろう。
「心の底から嫌ですけど、一度だけなら…」
「流石は巴さん!ありがとうございまぶふぁぁっ!」
教えた覚えもないのに名前を認識されている気持ち悪さに、言葉の終わりを待たずして殴ってしまった。
渾身の正拳突きに男は派手に吹き飛び、ドンガラガッシャンと激しい物音を立てて自動販売機のゴミ箱を薙ぎ倒しながら倒れ込む。
倒れるストーカーと己の拳を交互に見、巴は叫んだ。
「って…、普通に殴った感触あるんですけど!?」
「ふふふ……なんと素晴らしい拳!最ッ高に良い気分ですよフフフハハハ」
ゆらりと立ち上がったストーカーは、歌でも歌い出しそうなハイなテンションで、狼狽える巴に現実を突きつけた。
「別に実体がないとは言っていませんが何か?」
騙された……!
怒りに打ち震えていると、突然暴行を始めた女子高生と、殴られて悦な不審人物に、周囲の人の好奇の視線が突き刺さる。
巴は慌てて逃げ出した。
当然のように転倒したことにより若干薄汚れた男もついてくる。
「巴さん!次はハイキックで」
「次なんてありません!いいからついてこないで!」
叫ぶ彼女は、気付かなかった。
近くに停まっていた車の窓にも、ショーウインドウにも、男の姿が映っていないことに。
終
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