母と子

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「美味しい……」 「だろ」 その後は私たちはお金も時間も気にせずに楽しんだ。 食べたいものを食べて、遊びたいだけ遊ぶ。 まるであの子との思い出が蘇るようだった。 犬嶋は最初出会ったときのような嫌らしい笑みはもう見せてくれない。 あどけなく、素朴な笑顔だけを浮かべていた。 年相応……彼だってまだ子供だ。 私も口元が緩んでしまう。 「楽しいわね、犬嶋」 「ああ。楽しいよ」 犬嶋は背を曲げて、私の唇を奪った。 まわりには人がたくさんいるのに、彼は躊躇わずにキスをしたんだ。 私もそれに応えた。 彼の首を抱き、唇を押し付ける。 「……私のこと、好きなんでしょ?」 「ああ。好きだ」 私たちは手を結んだまま、人を避けて進む。 今だけは孤独が欲しかった。 2人ぼっちが欲しかったんだ。 夏祭り会場から離れた私たちは、誰もいない石段に座る。 今まであそこにいたはずなのに、離れた祭り会場の音が懐かしく感じる。 生温かい夏の風に唆されて、私はもう1度犬嶋とキスをした。 「俺のこと好きか?」 「ええ。気に入ってる」 「へへ。そうかよ」 「あんたのことは本当に好きよ。でも……」 「分かってる。お母さんの代わりになってほしいなんて頼まねぇよ」 「そう……」 「あんたはあんた。俺は俺。お母さんはお母さんだ……単純で簡単なことだよな」 「ええ、そうね」 「俺はあんたのことは好きだけど、恋人になりたいとは思ってない」 「そう。じゃあ近所のおばさん感覚?」 「へへ……へへへ!そうだな……でもよ、あんたのことを心から好きになれるかもしれない。そのときまで一緒にいてくれるか?」 「ええ。いいわよ」 「アコさんには世話になってばかりだな」 「大人に甘えるのも子供の仕事よ」 「きついなぁ」 犬嶋はポケットから煙草を取り出した。 それを私たちの間に置く。 「まだ吸ってんの?」 「ああ。でもやめようと思う。必要ないからな」 「それがいいわね」 「酒はやめられねぇけどな」 「まったく。まっそのくらいのやんちゃなら許してあげる」 「甘いな、あんた」 「叱ってばかりだとグレちゃうから」 「ああ……その通りだ。じゃあ戻るか?」 「いいえ。ここでいい」 「せっかく祭りにきたのに?」 「情緒が分かってないわね。ほんとに女好き?」 「おいおいおい……今の発言は聞き捨てならねぇな。俺は誰よりもセンチメンタルな男だぜ?あんたを気遣ったんだ」 「そうだったわね、ふふ」 私たちは距離を詰めて、肩を寄り添わせた。 空に瞬く星は綺麗だ。 「お母さんが恋しいよ……あの夜空の向こうにいるのかな?」 「きっといるわ」 「俺が追いかけまわしてた女性はたった1人だ。今だってそうだ」 「セックス……する?」 「おお。情緒を壊すなよ」 「ふふふ……喜ぶと思ったのに」 「気持ちは嬉しいよ。でも卒業するまでお預けされたからな。ちゃんと守るさ」 「そう。いい子ね」 「頭撫でてくれ」 「甘えん坊ね」 私は「クスッ」と笑って、犬嶋の頭を撫でた。 彼はゆっくりと私の体を抱きしめる。 「こんな姿ほかの女に見せられねぇ」 「まったくね」 花火が上がった。 暗い空がぱっと光る。 閃光の炎が弾けて、私たちは見惚れてしまった。 どこまでも続く空に想いを馳せて、互いの温もりを享受する。 「綺麗だよ……アコさん」 「花火見なさい」 「見てるよ、見てても分かってる」 「嬉しいわ……明日はどうする?私休みだけど」 「俺の部屋来ないか?なんか作って食わせてやるよ」 「ふふ、手伝おうか?」 「必要ない。俺の腕は三ツ星シェフ並みだ。俺はなんだってできるのさ……この才能も捨てたもんじゃない。アコさんを喜ばせられるから」 「ゆず子よ」 「え?」 「私の本名。ゆず子って言うの」 「へへ。そりゃ野暮ってもんだぜ」 「いいじゃない。お金貰ってないんだし」 「そうだな。俺のご機嫌取りなんてする必要はねぇ」 犬嶋は私の頬にキスをする。 私もお返しの口づけをした。 頬ではなく唇に。 別に惚れたわけじゃない。 誰かに惚れるには経験を重ね過ぎた。 それでも私は希望を抱いてしまっている。 恋人じゃなくたっていい。 彼と一緒にいて楽しいのなら、嬉しいのなら…… それだけで私は救われる。 ニッコリと笑いながら、私は私を許せるだろう。
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