Ⅰ.特定外来妖物

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Ⅰ.特定外来妖物

 自動小銃が火を噴く。  重い振動が腕から肩に伝わり、腹に響く。  銃口から排出された弾丸は雑木林の木立を掠め、その先にある「モノ」に当たった。  赤く長い毛皮が弾けて血飛沫が散る。  ……あんな異形でも、血の色は赤いのか。(かんなぎ)あおいは、ふとそんな事を思った。  銃を使うのは初めてではない。訓練では何度も射撃を行っている。  しかし、「実戦」というのは初めてだった。  ――赤い血。  やはり受けた傷は、痛いのだろうか。  彼らにとっても、「死」とは、恐怖なのだろうか。  「死」に直面した時、人の反応には二種類ある。  防衛大の頃、教官が言っていた。 「死の恐怖に囚われ、身動きが取れなくなる者。もしくは、死の恐怖をスリルと置き換え、殺戮を愉しもうとする者」  心理学にそんな理論が存在するのか、あおいは知らない。実際、死を間近にした現場になど身を置いた事はないのだから。  その教官は訓練の時、こうも言った。  ――自衛官とは、そのどちらであってもならない。死に囚われてはならない。死の快楽に酔ってもならない。  盾となれ。自分の背に、これまでの自分を作り上げてくれた家族、友人、恋人を背負え。彼らを自らの手で守れる事を誇りに思え。  倒れたら盾にはなれんぞ! 最強の盾であれ! 「――ま、また、き、来た! どどどどうする?」  そんな思いを遮るように、イヤホン越しに情けない声がした。  職場の先輩である野久保智(のくぼ さとる)だ。彼はあおいのすぐ横で、撃ち果たした拳銃を手に落ち葉にへたり込んでいた。 「マガジンの交換、やり方は聞きましたよね?」  再び小銃の引き金を引く。少し先で、赤い毛皮の奇妙な生きモノがもんどり打って倒れた。 「い、猪岡(いおか)主任に昨日聞いた。えええっと……」  ……駄目だ。  だがこれは、野久保が悪いのではない。  野久保が銃を使わなければならない状況に置いてしまった、坂口(さかぐち)課長代理の作戦ミスだ。  そもそも、野久保は事務職員。血なまぐさい現場に連れ出す事自体が間違っている。  あおいはそう思い、昨日の時点で進言していた。 「さすがに、訓練もなくいきなり現場は……」 「(なつめ)係長が定年退職してから、人手不足なんだ。それに、銃の扱いってのはな、体で覚えるモノなんだよ。何事も経験だ」  坂口は、彼女の言葉をそうあしらった。  彼は猟師でもある。その延長でこの職場にいる。だから、その理論を悪意なく、この現場に持ち込んだのも無理はない。  しかし、ここは猟場ではない。  戦場なのだ。  三頭、四頭、五頭。  体の大きさはツキノワグマくらい。前脚が長く、赤い毛皮が全身を覆っている。動きはそんなに早くはないし、群れで連携している様子もない。しかし、数が多い。倒しても倒しても、雑木林の不規則な木々の間から湧き出してくる。  これは、決して猟ではないし、「駆除」というには余りに生々しい。  急所を撃ち抜かなければ倒せない。一撃必中は、あおいには難しかった。一頭を倒すのに、三発、四発の弾丸が必要だ。  その間に、湧き出る「ソレ」らは徐々に距離を縮めてくる。  弾倉が空になり、あおいは歯噛みした。マガジンホルダーから換えを取り出すが、赤い毛皮の獣は、こちらの隙に乗じて一気に前進する。  ……この時、野久保の拳銃に何発かでも弾があれば、威嚇くらいはできたのだが。 「退がりますよ、先輩」  そう言ってあおいが野久保に目を遣ると、彼は頭を抱えて震えていた。  ――全く!  あおいは野久保の首根っこを捕まえて、落ち葉の上を引き摺り木陰へ導く。  マガジンを交換し、あおいは再び銃口を前に向ける。 「先輩、よく聞いてください」  あおいが強めに呼び掛けると、野久保はビクッと顔を上げた。 「先程から、通信に坂口課長代理の声がありません。返事ができない状態になっている可能性が高いです」 「ヒッ……!」  野久保は裏返った声で答えた。 「じじじじゃあ、どうすれば……」 「作戦は失敗です。退却がベストな判断かと思います」 「俺もそう思う」  イヤホンに低い声がした。もう一人のメンバー・猪岡だ。寡黙な一匹狼タイプなため、通信越しでもあまり会話に入って来ないが、着実に仕事をこなす実力者だ。  猪岡の同意を受け、あおいは野久保に指示をする。 「先輩、タブレットを持ってきてますよね? 本部の監視システムにアクセスして、敵の群れのおおよその位置を把握してください」  専門分野の具体的な指示を受けて、野久保は少し落ち着いたようだ。 「やってみる」  と答えるや否や、すぐにバックパックからタブレットを取り出し、操作を始めた。  あおいは腕に付けたモニターに目を遣る。 「それを見て、退路を確保します。……位置ポインタから推測すると、坂口課長代理は恐らく、滑落して負傷しているのではと思います。一番近いのは猪岡主任です。助けに行けますか?」 「任せろ」  猪岡はそう返答し、移動を始めたようだ。 「……さて、先輩が敵の位置を把握するまで、私が先輩を守りますね!」  あおいは小銃をフルオートに切り替え、引き金を引いた。  連射される弾丸が、迫り来る「アヤカシ」たちに次々と赤い穴を穿(うが)つ。……一体、何頭いるのだ。  これまでに出現した特定外来妖物(アヤカシ)の、一度に確認された数は、一頭か二頭だった。だから大抵、進行方向に待ち伏せ、腕利きのスナイパーである猪岡が仕留めて終わりだった。  ところが、これはどういう事だ?  ここにいるだけでも、十頭は下らない。猪岡、そして坂口も遭遇しているとなると、数十頭はいる計算になる。  まさか、自動小銃(アサルトライフル)をフルオートでぶっ放す時が来るとは。  ……しかし、彼女もまた経験不足だった。  目前の敵の殲滅に意識を集中させたため、「ソレ」が木に登れるという可能性に思い至らなかったのだ。  頭上すぐに殺気を感じて、あおいはハッと仰ぎ見る。  そして、目の前数メートルの距離にその姿を認め、息を呑んだ。 「――できた! 群れの位置を確認。今モニターに送信します!」  野久保の声が虚しく響いた。
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