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「困ったなぁ…」
スタッフルームから出てきたパートの高田が俊輔に聞こえるようにこれ見よがしに呟いている。
「どうしたんですか?」
自分に向かって言っているのだと分かって、内心苦笑いしながら俊輔は声を掛けた。
すると、困ってます…と言うアピールなのか、首を傾げ
「さっき帰った片山くん!財布忘れてっちゃって…。何回も電話してるのに出ないのよ…。店長もいないし、どうしようかと思って…。財布だからほっといて何かあっても嫌じゃない……?…」
そう言うと、チラッと俊輔の顔に視線を向けた。
要は届けてくれと言っているのだ。
「片山さんちってどの辺でしたっけ?俺、あと少しで上がりだから届けますよ」
笑顔で答えた俊輔に高田がホッとしているのが分かる。
煩わしいことに関わりたくないのだろう。
「ありがとう!いい?私仕事終わったら子供迎えに行かなきゃだから…」
「全然いいですよ。俺、暇だから」
そして同じ時間に上がるのに自分が行けない言い訳をしているのに俊輔は苦笑いした。
帰り際片山の住所を聞くと、以外と自宅からそう遠くない。
アプリで調べると帰り道の途中を少し入ったところだと分かった。
俊輔は内心ホッとしていた。
帰って夕飯も作らなければいけないし、勉強もしたい。
そして地図アプリの通りに行くと、大きな家の前に着いた。
邸宅と行っても言い過ぎではない程大きな家だ。
確かに表札には『片山』とある。
俊輔は躊躇いながら門についたインターフォンを押した。
少しするとインターホン越しに「はい」と返事が返ってきた。
「成瀬といいます。えっと………片山さん…バイト先に財布忘れて…届けに来たんですけど…」
「ああ…。成瀬くん?……入ってきて」
どうやら本人だったらしくホッとしていると、門が自動で開き出した。
「すげ…」
俊輔は小声で呟くと玄関へ向かった。
一瞬迷ってからドアを開ける。
すると既に目の前に片山が立って待っていた。
「これ…」
それにホッとしながら俊輔が笑顔で財布を差し出した。これで帰ることが出来る。
しかし何故か片山は受け取らず
「ありがとう。どうぞ……」
そう言うとさっさと奥の部屋へと姿を消した。
「───え……」
財布を渡してサッサと変える予定だった俊輔は、予定外の片山の行動に唖然として思わず言葉を無くした。
「──入ってきてよ」
すると奥から片山の声がする。
俊輔は軽くため息をつくと靴を脱いぎ
「…お邪魔します…」
片山の後に続いた。
リビングらしき部屋へ入ると、ちょうど片山が飲み物を手に別のドアから戻ってきたところだった。
「コーヒーでいい?」
片山がソファーに座りながら自分の向かい側にペットボトルのコーヒーを置いた。
“そこに座れ”と言っているのだと分かる。
「ありがとう…。でも…俺、これで…」
「まぁ、いいから座りなよ」
片山が言葉を遮りソファーに座るよう促し、結局俊輔は諦めてソファーに腰をおろした。
俊輔の家の倍以上はありそうな広いリビングに大きなテレビや調度品が並んでいる。
「………これ、財布」
改めて渡すと片山がやっと受け取った。
「ありがとう」
俊輔がホッとして笑顔になり
「じゃあ、俺これで───…」
「成瀬くんと話したかったんだよね」
帰ろうと腰を浮かせた俊輔の言葉を再び片山が遮る。
「……………」
そしてまた俊輔が黙ってソファーに座り直した。
話したいならバイト先でいくらでも話せる筈だが、全くそんな様子は無かった。
「成瀬くんて、東小学校だよね?」
どこか気まずそうな俊輔をよそに、おもむろに片山が話し出した。
「そうだけど…。片山さんも?」
片山という名前に覚えは無いがここに住んでいたのなら確かに同じ学区内だ。
「………5年6年て同じクラスだったんだけど…覚えてる?」
「え!?」
片山の言葉に焦った。『片山』なんて名前まるで覚えが無い。
小学校どころか中学でもない。
焦る俊輔にフッと笑うと
「前は望月って苗字だったんだ」
片山はそう言った。
「望月…」
記憶を巡らせる俊輔の脳裏に一人の少年の顔が浮かんだ……。確かに小学校の時に同級生でいた。
誰とも話さなくて、ちょっと暗い感じのその子はよくからかわれる対象になっていた。
「───望月…薫くん?」
俊輔が名前を思い出すと片山は初めて嬉しそうに笑った。
「覚えててくれて良かった」
忘れる訳がなかった。
授業で自由にペアを作るよう言わた時、学級長をしていた俊輔は、必ず余る望月と組むよう先生に言われていた。
別に嫌ではなかったが仲の良い友達と組みたいと思ったことも多々あった。
「なんだ…。片山さんて望月くんだったんだ」
しかし俊輔も屈託なく笑った。それ以外には別段“望月”に悪い印象は無かったからだ。
「もっと早く言ってくれれば良かったのに」
「もし、知らないって言われたらちょっとショックじゃん?中学は違ったしさ」
“望月 薫”は白瀬高校の附属中に行き、確かに小学校卒業以降会うこともなかった。
「そっか、もち…片山くん白瀬の付属行ったもんね」
言い間違えそうになった俊輔に
「薫でいいよ。中学入学してしばらくしてから親が離婚して片山になったんだ。別に望月って呼んでもらっても構わないけど」
そう言って笑った。
話してみると気さくな感じで、今までのイメージと全然違って俊輔はホッとしていた。
バイト中の片山とは別人のようだ。
「成瀬くん…特進に来るかと思ってた」
片山の急な言葉に俊輔が言葉に詰まった。
「6年の時、放課後一緒に勉強したの覚えてる?」
片山が俊輔を見つめる。
俊輔は再び記憶を手繰った。
放課後、生徒会のことで先生に呼び出されたのに、急な用事が出来たとかで少し待たされたことがあった。
教室に戻ると薫だけがいて勉強をしていて……
俊輔が一緒にやっていいか尋ねると薫は嬉しそうに頷いた。そして30分程だが確かに一緒に勉強をした。
───そうだ…。その時望月くんがしていた勉強が学校で教わる物とは全然違っていて教わりながらやったんだ。全然分からなかった問題が解けるようになるのが、それを望月くんが褒めてくれるのが嬉しくて、つい「白瀬高校に行きたいんだ」と親にも話していなかった事を話した───
思い出すと恥ずかしくて顔が赤くなるのが分かった。
「………俺…あの時白瀬高校行きたいって言ったよね…」
俊輔が顔を赤くして口を抑えながら薫に目をやる。
「そうそう。俺、本当成瀬くんすごいと思ったよ。あの時の問題、中学2.3年で教わる問題なのに少し教えるとすぐ理解してさ…。だから絶対特進だろうなって思ってた」
俊輔は「はは…」と笑うと
「特進目指してたんだけど……中々ね…」
そう返した。
ずっと目指していたが、結局自分には無理だった。
すると片山が明るい声で
「今度暇な時うちに勉強しに来ればいいじゃん?」
「え?」
人懐っこく笑う片山に俊輔が思わず声を上げた。
小学校の頃、同級生だったと言ってもここに来て思い出した事以外関わった記憶もないし、ましてバイト先ではほぼ話した覚えもない。
まさかこんな事を言われるとは思いもしなかった。
「もちろん、成瀬くんが嫌じゃなかったら…だけど」
「え!?全然嫌なんかじゃないよ!」
特進コースは勉強の仕方もカリキュラム自体も違うと聞いているし、興味があった。
まして、その中でトップクラスにいる薫に教えてもらえることに魅力を感じない訳がない。
「じゃぁ、決まり」
薫が嬉しそうに笑った。
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