75人が本棚に入れています
本棚に追加
「───俊輔!……俊輔!起きな」
何度も名前を呼ばれ、身体を揺らす手に俊輔は薄っすらと瞼を開けると
「ほら!タクシー呼んだから」
まだぼんやりとした視界に心配そうに笑う薫が映った。
「………ここ…」
「俺ん家!俊輔いきなり眠いって言い出して寝ちゃったんだろ?」
呆れて笑う薫にやっと記憶が蘇った。
───そうだ…。薫と話してたら急に眠くなって……
ベッドにどうやって寝たのかすら覚えてない。しかも時計を見ると2時間近くも経っている。
「……ごめん…」
ベッドから起き上がりながら、俊輔はまだ覚めない目を擦って無理に覚ました。
「葵くん…だっけ?心配するから帰んなきゃだろ?電話めちゃくちゃ鳴ってたぞ」
笑いながらそう言う薫にもう一度「ごめん」と言いながら立ち上がろうとしてとして、よろけた俊輔を薫が支えた。
まだ頭がぼんやりしている。
「大丈夫かよ?」
「本当ごめん……。こんな風になったことないんだけど…」
「気にするなよ。疲れてたんだろ」
笑顔で差し出されたコーヒーを口にすると、その濃さと口に広がる苦味で俊輔はやっと目が覚めた気がした。
外に出ると門の外には一台のタクシーが待っていて「え!?」と、驚く俊輔に
「よく使うタクシーだから気にすんなよ」
そう言って薫は無理矢理俊輔をタクシーに乗せた。
───今日1日薫に迷惑掛けてばっかだな…。
ため息を吐き窓の外に視線を向けると、車の揺れが妙に心地よくまた眠気が襲ってくる。
自分でも信じられない程の眠気に頭を軽く振って抗おうとするがどうしても勝てない……。
「着きましたよ」
運転手の声にハッと目を覚まし、また眠っていたのだと気付いた。
「すみません。いくらですか?」
慌てて財布を取り出すと
「もう頂いてますから」
と、運転手がにこやかに頭を下げた。
「───え…………」
思わず口をついて出るのと同時に眉をひそめた。
薫にここまでしてもらえるとも思っていなかったし、してもらう理由も見つからない。
礼を言ってタクシーを降りると
「…………次の時返さなきゃ…」
ポツリと口に出すと、俊輔は家の中へと入っていった。
「ただいま」
俊輔が入っていくと、Tシャツと短パン姿の葵がキッキンで料理をしている。
そして入って来た時からカレーのいい香りが届いていた。
「バカ俊!お前電話くらい出ろよ!じゃが芋買ってきてほしくて電話したのに出ないから、じゃが芋無しだからな!」
俊輔の顔を見るなり怒鳴りつける葵に
「……葵が夕飯作ってくれたんだ……ごめん……」
自己嫌悪のため息と共に口にしていた。
掃除や洗濯は手伝ってくれるが、普段葵は料理はしたがらなかったからだ。
「お前……最近バイトと勉強で忙しそうだったから…」
「そっか。ありがとう」
照れ隠しなのか、視線を逸らしボソッと呟くように言った葵に俊輔は嬉しそうに微笑んだ。
葵の気遣いが嬉しかった。
「もう少しだからソファーで座ってろよ」
「……うん……そうしようかな……」
葵の気持ちに甘えて俊輔はソファーに深く座りこんだ。
───バイト…少し減らしてもらおうかな……みんなに迷惑かけてんな…。
またぼんやりとしてくる頭をソファー預ける。
───少しだけ…眠ってもいいかな…。
そしてそう思った時には既に眠りの淵に落ちていった。
皿にご飯とカレーを盛り付け、サラダにドレッシングをかける。
我ながら中々の出来栄えに満足しながら
「俊!メシ!」
葵はソファーに座る俊輔に声を掛けた。
しかし返事も無ければ動く様子もない。
「俊!」
さっきよりまだ大きな声で呼んだが、それでも反応しない俊輔に少々イラつきながら傍まで来てやっと眠っているのだと分かった。
「…まったく…」
ため息と共に俊輔の寝顔を見つめる。
こんな風に寝顔を見るのはどれぐらい振りだろうか……。
幼い頃はよく一緒に眠ったし、夜中怖くなると俊輔のベッドへ潜り込むこともあった。
そして俊輔が発作を起こして不安がっている時、両親の目を盗んで一緒に眠ったりもした……。
しかしそれもここ1、2年は無かった。
寝息を立てる俊輔に手を伸ばした。
大好きな……大切な人……。
しかし俊輔の頬に触れる直前に、何か違和感を感じてその手が止まった。
イヤに胸元がはだけている。
いつもは外さないボタンまで外してあるのだと気付き、その胸元へ思わず視線を向けた。
するとハッキリと、首の付け根に赤いアザのようなものがつけられている。
葵はカッと頭に血が上る感覚に襲われ、鼓動が一気に早くなった。
「──このバカ…」
『俊輔は自分のものだ』と主張する印を過去何度か見ている。
「──俊!」
怒りにも似た感情のままに、葵が俊輔の耳元でどなった。
するとその声に驚き、飛び起きた俊輔が思わずソファーからずり落ちた。
「──なっ……なに!?」
何が起こったのか分からず目を丸くする俊輔に
「メシ!バカ俊!」
また怒鳴る様に告げると、葵はさっさとキッチンへ戻っていった。
テーブルにはカレーライスとサラダが並べられていて、空腹を煽るようないい香りがたち込めている。
しかしそれに不似合いな葵の仏頂面に「いただきます」と声を掛け、俊輔はカレーを食べ始めた。
「……うん。美味い」
にこやかに言う俊輔を葵は黙って睨みつけている。
「……………何怒ってんだよ?」
しばらくは気付かないフリをしていた俊輔も、諦めた様にため息と共に口にした。
葵は胸まで開いたシャツからちらちら見え隠れする『独占欲の証』に視線を見つめる。
バイト先で偶然小学校の頃の同級生と一緒になって…………。
もちろん、俊輔から聞いている。
自分も目指していた『特別進学コース』の人と一緒に勉強が出来ると……本人は気付いていないかもしれないが、すごく嬉しそうに話していた。
───だから俺も……嬉しかったのに……
「お前さぁ!──毎日何処で何やってんの!?」
怒っている様子のまま、言葉を投げつける葵に俊輔は「──え…………」と、目を丸くした。
葵には薫と勉強すると言ってあった筈だ。
「…何…いきなり……。だから…バイト先に小学校の時の同級生がいて…」
改めて説明しようとすると
「そんな嘘聞いてんじゃねぇよ!」
葵が声を荒らげた。
「その同級生が女で、また誘われて、ふらふらやりに行ってんの!?」
「──はぁ!? お前こそ何言ってんだよ…」
意味が分からないとでも言いたげに呆れた声を出す俊輔に、木製のラックに置かれていた小さな鏡を差し出した。
「首!見てみろよ」
葵の目が本気で怒っている。
俊輔はため息をつき、言われた通りに自分の首元を鏡に映した。
すると付け根辺りに赤いアザの様なモノがあるのが見えた。
「なんだこれ…」
シャツの襟元を広げ、俊輔はマジマジとそれを見つめた。
「虫か何かに刺されたのかな…」
そして今度は、葵がその様子に目を丸くした。
中学の頃、数回同じような跡をつけて帰ってきた時は、それをつっこむ度にしどろもどろになって顔を真っ赤にしていた。
俊輔の良い所でもあるが、嘘がとにかく下手だった。
「…………本当に身に覚えないの?」
葵の声からすっかり怒りが消えている……。
「ねーわ!だいたいその友達男だからな!」
俊輔は葵の怒りの元が勘違いだと分かって、ため息をつき、しかし少しホッとした。
改めて鏡を見る。
言われてみれば、確かにキスマークにしか見えない。
ポリポリと掻いてみたが別に痛くも痒くもない。
それにどこかにぶつけた覚えもない。
そして俊輔は、肩をすくめると鏡を置いた。
身に覚えがないのだから考えたところで仕方がない……。
「──ふぅーん……」
葵は納得したのか、しないのか…どちらともつかない様に鼻を鳴らすと
「お前………明日どうすんの?プールなんだから、それ丸見えだぞ……?」
そう言ってやっとカレーを食べ始めた。
「どうすんの?って何が?」
俊輔の言葉に再び葵の手が止まる。
「何がって……、あいつらに勘違いされるぞ?」
「なんで?北村さんの目的はお前なんだから別に関係ないだろ」
そう言って笑う俊輔を、葵は思わず見つめる。
そして初めて結衣への微かな同情心が湧き上がった……。
こんな鈍感………中々いない……。
「ま、俺には関係ないからいいけど…」
しかし葵はそう口にすると、何となく違和感の残る俊輔の首元に目をやりカレーを口へと運んだ。
最初のコメントを投稿しよう!