忌まわしい過去

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パンが焼き上がるころになってやっと、右手をシャツに突っ込み腹を掻きながら欠伸をする葵が姿を現した。 「今日も目玉焼き?もう飽きたんだけど……」 ダイニングの椅子に座りながら文句を言う葵に 「気に入らないなら自分で作ればいいだろ…。それよりちゃんと顔ぐらい洗ってこいよ」 皿にのせたパンを渡しながら俊輔も文句を返した。 どちらかと言えば『几帳面』な部類に入る俊輔と、どちらかと言えば『ずぼら』な部類に入る葵の、毎朝変わらないやり取りだ。 内容こそ違うが、お互いよく言い合っている。 しかし仲が悪い訳では無い。 と言うより、仲が良いから言い合えているのだ。 なんだかんだと言いながら、家にいる時は一緒にリビングで過ごし、お互いの話もよくしていた。 「いい。飯食ったらシャワー浴びるから」 悪びれもせず受け取ったパンに葵はこれでもかという程ジャムを塗っている。 「お前…よくそんなん食えるな…」 ───見ているだけで胸焼けしそう……。 その様子を見ながら甘い物が苦手な俊輔は眉を顰めた。 「バーカ。糖分取った方が頭が働くんだよ」 満足そうにパンに齧り付く葵を横目に、自分はバターを塗り俊輔もそれを口に運んだ。 葵は高校生活初めての夏休みをバイトに費やすことに決めていたらしく、休みになる少し前からバイトを始めていた。 お目当てはゲーミングPC。 中3で部活をやめてから、すっかりサッカーにも興味が無くなりゲームに夢中になっていた。 葵は少し長くなった前髪が、エアコンの風で揺れるのを、うっとおしそうに手でかき上げ、再びパンに齧り付いた。 すると、色素の薄い茶色がかった大きくて印象的な目が現れる。 真っ直ぐに伸びた鼻筋と、薄くて赤い唇。 どこか遠くの血が流れているのかと思わせる顔は、好き不好きは別として、大概の者に『美しい』だと思わせるだけの器量もある上に、どこか色気もあった。 しかし、葵本人にはそれもどうでもいい事の一つに過ぎない。 「お前今日バイト何時まで?」 「4時。なんか買ってくる?」 時計に目を向ける俊輔に、口の端のジャムを指で拭きながら、葵も何となく時計に目を向けながら答えた。 「晩飯何食べたい?」 「んー…。オムレツかオムライス」 「またか……」そう思いながら思わず苦笑いする。 葵にこの質問をすると、大抵同じ回答が返ってくる。 オムレツかオムライス。それかハンバーグか唐揚げ。 「じゃぁ、卵とひき肉買ってきて。あとトマト…だけでいいかな」 そう言い、パンを口に運ぼうとして葵の意味ありげな笑顔に気付いた。 「…なんだよ……」 「ケーキ買っていい!?」 「…………そんなことだと思った…」 俊輔は軽いため息をつき 「500円までな」 肩を竦め、今度こそパンを口に入れた。 甘いもの好きな葵に買い物を頼むと、必ず“お駄賃”を要求される。 そしてそれは大概却下され、時々…受理される。 「やった!」 喜びながら食べ終えた皿をシンクに運んで行く葵の背中を見つめる。 ───まったく……。 そう思いながらも、素直な性格が昔から変わらないと、無意識に笑顔になった。 風呂での衝撃のあと、しばらくぎこちなくなった俊輔に、葵は変わらず素直で慕っていた。 そのお陰で俊輔もどうにかその衝撃から立ち直り、今もずっと仲の良い兄弟でいられた。 「お前今日バイト?」 今度は葵がキッチンから声を掛ける。 「いや。今日課題やるつもり」 俊輔は答えてから最後のウィンナーを口に放り込んだ。 「なら帰ってきたら一緒にゲームやろう!」 「…………課題終わったらな」 口の中の残りを飲み込み俊輔が答えると 「……昼間のうちに終わらしとけよ」 そう言いながら、不服そうに浴室へ向かう背中に「……ホントに生意気になっちゃって……」思わず愚痴をこぼし、俊輔はシンクの中の洗い物に取り掛かった。 するとテーブルに置いたままのスマホが着信を知らせ、俊輔は慌てて軽く拭いただけの手で、表示された名前を確認した。 「結衣……?」 保育園から一緒の幼なじみだ。 「もしもし?」 『あ!俊輔?今日家行っていい?課題教えて欲しいんだけど』 電話の向こうから元気な声が聞こえる。 父と義母が一緒になる前からの幼馴染で、引っ越す前は家もすぐ近所だった。 父の帰りの遅い時は、結衣の母が保育園から連れ帰ってくれ、夕方までよく結衣の家で遊ばせてもらっていた。 「別にいいよ。俺も今日課題やるつもりだったし」 『じゃぁ10時頃行くね!何か買ってくけど、欲しいものある?』 「別にないかな…。あ、昼どうする?どうせうちで食うんだろ?」 しばらく話してる内にシャワーを終えた葵が下着姿でリビングに戻ってきたのが目に入った。 「……じゃぁ10時に…」 俊輔が電話を切ると、葵が髪を拭きながら面白くなさそうに俊輔に視線を向けた。 「あいつ…また来んの?」 「課題が分からないんだってさ」 俊輔は、葵の機嫌が悪くなっているのに気付かないフリで、キッチンへ戻った。 どうも葵と結衣は相性が悪い…。特に葵は結衣への敵意を隠そうともしない。結衣も結衣でそんな葵をブラコンとからかうから余計もつれる…。 「あいつ……絶対俺がいない時狙って来るよな……。本当ムカつく……」 俊輔は軽くため息を吐き“別にそんな事ないだろ”そう言おうとしてやめた。 どちらを庇っても、肩を持っても、ろくな結果にならないのをよくよく解っているからだ。 俊輔が何も言わない事が解ってもまだ、ブツブツ1人文句を言っいながら髪を拭く葵を視界の隅で捉えながら 『今日葵がバイトで、本当に良かった……』 と、胸の中で大きな溜め息を吐き、俊輔は再び洗い物へと手を伸ばした。
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