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変化
フロアから戻る葵の耳に「すみません、すみません」と謝る声が聞こえる。
カウンターで接客をしていた、3日前に入ったばかりの碓氷京花が床にこぼれたドリンクをペーパーで必死に拭きながら客に謝っているのだ。
しかしカウンターでは客がどうしたらいいか分からず困っているのが目に入り葵は急いでカウンターに入った。
「碓氷さん、俺拭くからオーダーやってください」
声を掛けてモップを取りに行く。
「───すみません!」
京花は今度は葵に向かって謝ると改めてオーダーを作り始めた。
まだ10時を回ったところだが店内は若い女性で賑わっていた。
葵がモップを片付けカウンターに戻るともう別の客が待っている。
「──いらっしゃいませ。ご注文は…お決まり………」
慌てて接客に入ると見慣れた顔に肩の力が抜けた。
「───なんだ……俊かよ」
「おいおい、なんだじゃないだろ?接客態度がなってないな」
と、俊輔が笑いながら立っている。
「あれ?バイトって言ってなかった?」
「これからだよ。バイト中の飲み物買いに来た」
「自分の店で買えばいじゃん」
俊輔との会話に葵も自然に笑顔になる。
俊輔のバイト先はコンビニで、しかもここに寄るには大分遠回りだ。
「お前の仕事ぶりを見にな」
俊輔がニヤっとイタズラっぽく笑った。
「バーカ。で、注文何にする?」
「アイスコーヒー、ブラックで」
「お前の店でも飲めるやつな」
葵は笑ってアイスコーヒーを作り始めた。
内心、俊輔の顔が見られてホッとしていた。
11時に他のスタッフが来るまで店を回すのがマネージャーと、バイトを始めてやっと2週間の自分と、3日目の碓氷京花の3人という何とも申し訳ないメンバーだったからだ。
それに加えて京花のミスの連続に葵まで焦ってきていた。
コーヒーを受け取ると大した話もせず「じゃあな。まぁ頑張れよ」と俊輔は店を後にした。
しかしそれだけでも有難かった。
俊輔の笑顔に自分が大分落ち着きを取り戻しているのが分かる。
「──よし、頑張ろ」
小声でポツリと呟くと、新たに入ってきた客へ「いらっしゃいませ」と笑顔を向けた。
「お疲れ様。昼行こう」
後ろからマネージャーに肩を叩かれ葵は慌てて時計に目を向けた。
いつの間にか1時半を過ぎている。
夢中で働いていて休憩時間になっていることに全く気付かなかった。
誰もいないスタッフルームで葵は俊輔の作ってくれたサンドイッチを広げ、片方だけイヤフォンをするとスマホで動画を見始めた。
するとそこに落ち込んだ様子の碓氷京花が入ってきた。
「……今日はありがとうございました。迷惑ばかりかけちゃって……すみませんでした」
そして葵の前まで来ると申し訳なさそうに頭を下げた。
「あ、全然大丈夫っす。俺も入ったばっか なんで、迷惑かけるのは一緒っすよ」
葵が慌ててイヤホンを外し笑顔を返すと
「成瀬さんも入ったばかりなんですか!?」
京花が驚いたように声を上げた。
「まだやっと2週間で…」
「え…全然そんな風に見えなかったです……ドリンクこぼしちゃった時も落ち着いて対処してくれたし」
「え!?全然焦ってましたよ!って言うか、俺も同じことやって…その時先輩がああやってくれたから…」
「成瀬さんも!?」
「俺、碓氷さんがしたミス、一通りやってます」
葵が苦笑いすると、京花が少し安心したように「そうなんだ…」と呟いた。
「2人ともお疲れ様」
スタッフルームのドアが再び開き、今度はマネージャーの藤井がトレーにテイクアウト用のドリンクを乗せて入ってきた。
「はい。2人とも頑張ったから僕からのささやかなご褒美」
そう言ってクリームがたっぷり乗ったキャラメルラテを葵へ手渡した。
「うわっ!美味そう!ありがとうございます!」
葵が素直に喜んで目を輝かせ、それを見ていた藤井が思わずクスッと笑った。そして京花にも「お疲れ様」と笑顔で手渡した。
「すみません…。私……邪魔ばっかりしてたのに…」
京花が申し訳なさそうに受け取ると
「いやいや。3日目なのにこんな無茶させて、こちらこそ申し訳なかったよ。今日、あの時間帯どうしても入れる人いなくてね」
その言葉に照れて俯く京花に、藤井が優しく「本当にお疲れ様」と微笑んだ。
バイト時間が終わった京花が帰ると、葵が嬉しそうにラテを飲み始めた。とにかくその顔が幸せそうで
「甘いの好きなんだね」
藤井が自分の昼を食べる準備をしながら笑っている。
「はい!クリーム考えた人マジで神だと思います」
そう言う葵にまた藤井が笑う。
「今日お友達きてたでしょ?あの後から大分落ち着いて仕事できてたね。……焦るとどうしてもミスに繋がるから、落ち着いてくれて本当助かったよ。僕も焦ってたから……葵くんを見て僕も落ち着けた」
そしてそう言うとまた優しく笑った。
「──え!? いや…そんな…」
確かに俊輔が来てから大分落ち着く事が出来た。
それをちゃんと見ていて気付いたのだ。
──こうゆうのが『仕事が出来る』って言うのかな…。
ラテを飲みながら視線を藤井に向けると藤井の昼食が目に入った。
「昼…それだけなんですか!?」
サラダを食べていた藤井が手を止める。
「あー……お腹いっぱいにしちゃうと働くの嫌になっちゃうんだよね。ただでさえ働くの嫌いなのに。だからちゃんとした食事は夜だけかな」
藤井が苦笑いする。
「マジすか!?」
葵が感嘆の声を上げだ。
藤井はこの店でおそらく一番動いている。
接客から調理、事務的な仕事に荷物の搬入の様な力仕事まで…。
「葵君は…手作りのサンドイッチかな?お母さん作ってくれるの?」
藤井の言葉に葵は照れたように頭を搔いた。
「うち、両親が海外行ってるんで兄貴が作るんです」
「お兄さん?」
今度は藤井が驚いて目を見開いた。
葵が手にしているサンドイッチは野菜や卵、ハムまで入った売り物にも負けず劣らず、栄養価的にも優れているように見えたからだ。
「あ…はい。実は今日来てたのも兄貴で……」
「…………そうなんだ…。仲が良いんだね。てっきり『仲の良い友達』かと思ったよ」
一瞬、藤井が微妙な反応をしたように見えた。
しかし笑顔は普段と何も変わらない。
勘違いかな…と首を傾げる葵に
「スマホ…さっきっから動画流してるけど…ゲーム実況?」
藤井が葵のスマホに視線をむけと
「え!?…あ…忘れてた」
葵が慌てて画面を消した。
「ゲーム好きなの?」
「大好きです!」
葵の反応に藤井が笑う。
「葵くんて反応が本当素直だよね」
「そうですか?」
首を傾げる。
「すごく良いことだよ。仕事を教える方もすごく教えやすい」
葵が褒められて照れたようにはにかむ。
「さっきの動画はバトロワ?」
「はい!今ランク上げに必死で。エイムが下手なんすよね。キャラコンはそこそこ出来てると思うんですけど…」
葵が真剣な顔をする。
「何でやってるの?PC?」
「え!?いや!プ〇4です。実はバイト始めたのゲーミングPC買う為で」
「そうなんだ。ゲーミングPCは高いからね。そこそこの買わないと面白くないしね」
藤井がうんうんと頷く。
「葵くんはどのPC買いたいの?」
二人はお互い昼を食べながらPCやゲームの話を続けた。
葵の周りにはそこまでゲームをやり込む友人がいなかったせいで、藤井との話にすぐに夢中になった。
「藤井さん、PC詳しいんですね」
「いや…。詳しいって言うか、好きなだけ。しかもゲーミングPCだけね。実は僕もゲームオタクだから」
藤井が苦笑いする。
「──そうなんですか!?」
ここで見る藤井はテキパキ動いて、優しくてスマートで。
何回か見た私服はめちゃくちゃオシャレで…。
若くて背も高い…。
まるで雑誌からそのままモデルが出てきた様に思えた。
本店で働いてた藤井がこの新店のマネージャーとしてきたから、オープンからずっと混んでるんだ、と前に本店から来た先輩に聞かされた。
つまりこの店の多くの客が藤井目当てで来ているんだと。
葵の中でそのイメージと『ゲームオタク』が掛け離れ過ぎていた。
「休みなんか着替えもしないで朝からゲームやってるから、よく恋人に怒られてるよ」
藤井がハハハ…と笑う。
「へぇ…。全然そんなふうに見えないっすね…」
葵は何だか信じられないと言いたげに藤井を見つめた。
中学の時はサッカーとゲームに夢中で、部活が終わってからはゲーム以外興味が無くなった。
私服も3着くらいをずっと回し着している。
俊輔によく『違う服も着ろよ』と注意される程だ。
そんなだからもちろん『恋人』なんてものもいた事がない。
もっとも、葵本人が恋愛に興味が無く、ゲームと甘い物と俊輔がいればそれで良し。としているせいだが。
「葵くんは彼女とかいないの?モテるでしょ」
藤井の言葉に葵は眉を顰めた。
「正直モテますけど、彼女はいないっすね。ってか面倒だしいらないっすね」
葵の返答に藤井が声を上げて笑った。
「葵くん、面白いね!」
「………?、そうっすか?」
当の葵はなぜウケたのか解らず首を捻っている。
「良かったら今度遊びにおいでよ。うちPC2台あるから一緒にやろう」
藤井の言葉に葵が目を輝かせた。
「いいんですか!?──マジで行きたいっす!」
「僕の休みで良ければ都合いい時おいで。僕は基本休みはゲームしてるだけだから」
その言葉に葵が嬉しそうにシフト表を取りに行く姿を、藤井は相変わらず笑って見ていた。
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