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部屋の時計でじきに7時になるのを改めて確認すると、藤井は起きていそうなスタッフから順々に電話をかけ始めた。
突然の店の休みに、気になりながらも返事だけ返す者、何があったのかを聞いてくる者、それに当たり障り無いように答えると、今日出勤するはずだったスタッフのリストを見て溜息を吐いた。
───残りは葵だけだ…………。
シャワーを浴びたままの濡れた髪が、エアコンの冷たい風に時々揺れている。
タイミングが悪く葵も10時からシフトに入っていた。藤井はもう一度溜息を吐くと、諦めたように葵へ電話を掛けた。
──起きてるかな…………
時計に目をやるとやっと7時半を回ったところだ。
「──はい…………」
電話で起こされたのがわかる程、眠そうな声が藤井の耳に届いた。
「朝からごめんね。藤井です」
「───藤井さん!?……どうしたんですか?こんな朝早く……」
驚いた声が、心配そうに変わった。
「今日…勤務になってたよね?急遽…店休になってね。申し訳ないんだけど今日お休みでお願いします」
藤井は出来るだけ淡々と告げた。
葵に自分のやってしまった事を知られたくなかったからだ。
「……何か…あったんですか?」
「いや……大したことじゃないから」
誤魔化す様に笑ってみせると
「じゃあ、よろしくお願いします」
葵の反応を待たずに電話を切った。
机に置かれたリストをもう一度確認すると、藤井は大きな溜息と共にソファーへ背中を預け天井を見つめた。
葵に隠したところで、耳に入るのは時間の問題だと分かっている。
「……カッコ悪…………」
思わず衝いて出た言葉に、無意識にまた溜息が漏れた。
葵はまだ覚めきっていない頭でベットから起き上がった。
バイトを始めてからこんな事は初めてだ。
──何があったんだろう……
藤井の口調が変によそよそしかったのも気になったが、仕事の話だったから…という気もする。
スマホを見るとまだ8時にもなっておらず一瞬迷ったが、眠れる気もしなくてリビングへと向かった。
俊輔と顔を合わせるのも気まずかったが、胸が騒いで落ち着かない。
するとドアを開けようと手を伸ばしたタイミングで中から俊輔が出てきた。
「…………あ……」
思わず声が出る葵に俊輔も立ち止まった。
「……おはよう…。今、起こしに行こうと思ったとこ……」
気まずそうに視線を逸らした俊輔に、葵もつい目を逸らした。
「……ん……」
するとテーブルにはちゃんと朝食が用意されていて、葵は小さくため息をついた。
──ケンカした次の日も朝食作って、起こしてやるとか…………俊らしいけど……。
「……昨日は───」
葵が謝ろうと口を開いた途端、手にしていたスマホが再び鳴り出した。
着信画面を見ると『上原』からだ。
「………はい」
あからさまに迷惑そうな葵の声に
『───葵!?』
気付かないのか、気にしないのか、朝とは思えない程テンションの高い上原の声が耳に響いた。
「……おはようございます。……朝からどうしたんですか……?」
それに負けじと葵も不機嫌な声を出した。
『お前んとこに藤井さんから電話行った!?』
「さっき来ましたけど……」
『店休の理由聞いた!?』
「いや……聞いてないっすけど……」
聞きはしたが藤井は何も答えなかった。
『昨日いた人から聞いたんだけど!───藤井さん、酔っ払いと喧嘩して店めちゃくちゃだってさ!』
「…………え……」
──さっき…大した事じゃないって……
「それ…本当なんですか!?」
『その場にいたヤツが言ってたんだから本当だろ!?警察とかきて大変だったらしい』
上原の声は他人事で、どこか楽しんでいるように聞こえる。
『あの人が喧嘩とか……想像出来るか!?しかも店めちゃくちゃとか……案外クビになったりしてな』
「まさか……」
『ま、さすがにそりゃねえか』
上原が笑った。
「あ……怪我は!?藤井さん…怪我は……」
『知らねぇけど、してんじゃねえの?2対1だったって言ってたし…。入院してたりしてな』
上原の言葉に鼓動が早くなって行くのが分かる。
───どうしよう………でもまさか……電話だってきたし…………
その後も何か話していた上原の電話を切ると、葵は急いで藤井にかけ直した。しかし話し中になっていて繋がらない。
「………何かあったの?」
俊輔の声に、葵は我に返るようにスマホから顔を上げた。
電話中の葵の言葉から『藤井』が関係していることは分かっていた。
「……あ…」
葵の態度から、それが只事では無いことも分かる。
「……藤井さんが……怪我してるかもしれなくて…………」
自分から視線を逸らし、辛そうにTシャツの胸の当たりを掴んでいる葵を見つめた。
その姿に胸が苦しくなる。
「───行ってあげなよ」
「でもっ……お前だって──発作起こしたばっかだし…………」
「俺だってバイトだし……葵がいたところで」
『関係ないから』そう言おうとして俊輔は言葉を飲み込んだ。
それを分かってか、短い沈黙の後
「ごめん…………俺、行ってくる……」
呟くようにそう言うと、葵はリビングを後にした。
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