76人が本棚に入れています
本棚に追加
「相変わらずバカね。高校の時から何も変わってないじゃない」
「…………分かってるよ……」
「しかも…こんな怪我までして……。千尋ちゃんが知らせてくれなかったらまた一人で我慢してるつもりだったんでしょ」
キッチンから漂ういい香りと共に届く小言に、藤井はため息をついた。
「大した怪我じゃないし……それと千尋くんにも言っとくよ」
「なにを?」
変わらない口調でそう言うと、莉央はキッチンから藤井を見つめた。
「私は離れないって言ったでしょ?」
透明なカップに入った琥珀色の液体を藤井の目の前に置くと、莉央は何度目かの同じ台詞を口にした。
「………ありがとう……でももう帰っていいから……お前だって仕事だろ……」
「こんな状態の直斗置いて帰れるわけないじゃない……本当…バカなんだから……」
付き合い初めてから10年近い間、これも何度言ったか分からない言葉だ。
「だから大した怪我してねぇって……」
そう言いながらコーヒーへ手を伸ばした藤井に莉央は小さくため息を吐いた。
こうなると昔からお互い引かない。
そして大体は自分が渋々引くのだが、今回ばかりはそうもいかない。力づくでも納得させて医者へ連れていくつもりだった。
藤井が手を伸ばしカップを掴む直前、ガラ空きになった脇腹を確認すると、痛々しく青紫に染まった肌目掛けて莉央は平手を振り下ろした。
「────いっったッ!!」
脇腹を押さえたまま身体を丸め、動けなくなった藤井に肩をすくめると
「……これで大した怪我じゃないとか…よく言えたわね。私が気付かないとでも思ったの?」
莉央はどこか勝ち誇った様に口にした。
「………………お前……昔っから思ってたけど、ホント鬼だな……」
痛みで顔を歪めながら、やっと言った藤井の瞳が僅かに濡れている。
「車出すからお医者行くわよ」
「……一人で行けるよ」
「行かないでしょ?」
「ちゃんと行きます」
藤井はふざけた様にそう言って立ち上がると
「……だからお前は帰れ。一人で行くから」
顔も見ずに着替える為か寝室へ向かった背中を見送りながら莉央は思わず溜息を漏らした。
結局どんな形であれ、自分が折れるのだ。今でも昔と変わらず直斗を愛してる。その瞳が自分1人だけを映すことなど無いと解っていてもだ。
それでも時々、甘えることすらしてくれない事に酷く寂しくなる。
「……ホント…昔から変わらなくて……大嫌い……」
藤井の背中に何度言ったかわからない言葉を、莉央はポツリと呟いた。
1人になった家で朝食を食べる気にもなれず、俊輔は用意した2人分の食事を全てゴミ箱に捨てた。
葵のいなくなった部屋が酷く静かに感じ、ソファーに寝転がると、僅かに躊躇ってからテレビのスイッチを入れた。
最近はそんなに話していたわけでは無いが、葵がいないと言う事実が俊輔を落ち着かせなくさせていた。
情報番組が朝にありがちな笑顔で、次々に芸能人のことや世界情勢をごちゃ混ぜに垂れ流しにしている画面に、視線だけを預けた。
───へえ……この人結婚したんだ……結構好きだったんだけどな…………相手の人……どんな人なんだろ
う…………。
テレビの画面には嬉しそうに微笑んだ若い女優が映っている。
──『藤井』って人は……どんな……人なんだろう………
思い出すつもりもなく電話をしていた時の葵が頭に浮かんだ。
傍で聞いていただけの俊輔にすら、途中からただ事では無いのが分かった。
───葵……慌ててた…………当たり前か…好きな人が怪我したってなれば…………。
ぼんやりと眺める画面が次々に移り変わり、色鮮やかなCMが軽やかな音楽と共に流れだし、俊輔はそれを見つめ続けた。
いつもなら何の関心も示さない自分には関係の無いその映像に……
何故か少し救われた気がしていた。
最初のコメントを投稿しよう!