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──『今日バイトの後来る?』
俊輔は薫のメッセージを開いたまま天井を見つめた。
昨日変な別れ方をしたばかりで当然行って謝るべきだとは分かっている。
しかし頭に残る、身に覚えの無い声がそれを躊躇わせていた。
薫が言うはずの無い言葉だと解るのに、あの時確かに“薫の声”が頭の中に響いた。
───どうして…………
するとまたメッセージの着信を知らせる音が響き、俊輔は怠そうにスマホに目を向けた。
───結衣からだ…………
『おはよう』の明るいスタンプの後に
───『今日バイト3時までだっけ?夕方そっち行くねー』
そんな簡単な文章が結衣らしくて気持ちが軽くなる。
───『昨日はありがとう。5時過ぎなら多分帰ってる』
───『りよーかい!』
すぐに戻ってきた返信にフッと笑うと、俊輔は薫からのメッセージを改めて開いた。
───『少し寄ろうかな』
送信し終わると無意識にため息が漏れた。たったこれだけのコトに酷く緊張していたのだ。
しかし返事を返せたことにも、答えを出せたことにもホッとすると、俊輔はやっとソファーから起き上がりバイトへ行く為に洗面所へ向かった。
「やっぱりちゃんと来て良かったですね」
診察も終わり、待合室の硬いソファーに座ると、葵は藤井の耳元で小声で囁いた。
「そうだね、ありがとう」
案の定肋骨にヒビが入っていて、暫くの間は“安静”にするようにと医師に告げられた。
これも藤井にすれば予想通りだったが、自分の返事に満足そうに微笑んだ葵に、来た甲斐があったと思えた。
「我慢ばっかりしててもダメですよ?」
また小声で言った葵に、思わず笑顔が漏れる。いつもとは違う会話も、葵自体も、処方された痛み止めより余程効きそうだ。
「分かりました」
仰々しく言った藤井に、葵はまた満足気に笑った。
近所にある、そう大きくはない整形外科。一人で行けると言う藤井を無理矢理黙らせ、葵は強引に着いてきていた。
「後、喧嘩も」
こんな他愛の無い会話に、朝まで抱えていた不安が嘘みたいに消えていく。
「何か買って帰ろうか?葵、どうせ朝から何も食べてないんだろ?」
藤井の言葉に、葵は俊輔が作ってくれた朝食を食べずに出てきたことを思い出した。
「…あ……まぁ……」
あの後、俊輔はちゃんと朝食を食べただろうか……そんなことが頭を過ぎる。
「今日は……作ってやれなくてごめんね」
しかし、申し訳なさそうにそう言った藤井に“ニッ”と笑うと
「今日は俺作りますよ!あ……でも………大した物は作れないけど……」
俊輔を頭の隅へ追いやった。
今は藤井のコトを優先するべきだと思えたのだ。
莉央の為にも、藤井の為にも、そして、俊輔の為にも。
昨夜も自分が冷静でいられたら、しなくていい喧嘩だった。
薫への嫉妬さえ無ければ、俊輔を傷付けづに済んだハズだ。
───もっと……藤井さんだけを……好きにならなきゃ…………
胸の中でそう呟くと、受付に呼ばれ席を立った藤井の背中を、葵はただ見つめ続けた。
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