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高校生の頃「輪廻転生って言葉を知っていますか」という問いを、午後の無気力さが漂う教室の中に放った教師がいた。あたしの高校は学区内でとびきりのバカで有名だったから、格ゲーの必殺技みてえ、とか寝言みたいなことを言う男子の声がへだらな放物線を描いて教壇のほうへ飛んでいくだけだったけれど、あたしは以前耳にしたことがあった。でも「知っている」とは言わなかった。
命は何度でも生まれ変わる。どいつもこいつもまるで自分の目で見てきたように言う。本当にそうだろうか。そうだとしても、あたしという人格はきっと、いま存在しているこの身体にしか紐づけられない。使い込まれた鉛筆の先みたいななで肩、大きさがまだ物足りない胸、二口ぶんくらいほじられたプリンのようにいびつな臍、通学中のバスで何度か痴漢に触られたお尻。気に食わないところも多いけれど、でもそれも含めた全てがあたしを形作っている。
こんな存在が何千何万回生まれ変わったところで、他者より優れた存在になれるとは思えない。鳥になれば一羽だけ色が違うとか、魚になったならきっとマンボウみたいにすぐ死んでしまう、か弱い種類になるだろう。何度生まれ変わっても不完全で、いてもいなくても変わらないというなら、今のままでいい。人間であるあたしの命が終わった瞬間に、全ての歩みも時も止まって、綺麗さっぱり忘れてくれて構わない。
ただ、もしも生き物でなく花に生まれ変われるのなら、桜の花がよかった。春の訪れとともに、あらゆる終わりとはじまりを連れてくる花。寒さがゆるみ、ぽかぽかとした陽気の中でピークを迎える花。少しずつ花びらを散らせて、鮮やかな色が消えていく様子すらも人々に有難がられる花。そんなふうに人々からあたたかく迎えられる、桜の花になりたかった。ちなみにあたしは暑いのが嫌いだし、少しずつ俯いてゆくのが嫌だから、向日葵にだけはなりたくない。
こうしている間も一分一秒着々と、あたしは若さを失ってゆく。肌はざらつき髪は傷み、声はしゃがれて頬もおっぱいもたるんでゆく。人間である限り、こうやってあたしが熟してゆくのを嬉しく感じてくれる人は目減りしてゆくばかりだろう。
そう思うと、やっぱり桜の花がいい。枝から切り離されて、最後のひとひらが地面に滑り落ちるその時までを、皆があたたかく見つめてくれる存在になりたかったのだ。
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