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ああ、わかった。あたし、今となってはもはや桜の花が嫌いだ。全部根絶やしにしたいくらい嫌いだ。この国の春の風物詩はスギ花粉一色にしてやりたいくらいに嫌いだ。彼の視線も心もSDカードの中身も独占するあのピンク色の花が嫌いだ。木の根元の50cmくらいだけ残して全部チェーンソーで切り倒したい。あんたさえいなければ……なんて、勘違いしたASMR音声みたいな金切り声をあげながら。
かつて、桜の花になりたいと本気で思っていた自分を恥じた。あたしは人間なのに、どうしてあれに勝てないんだ。花も所詮は植物の生殖器官なのに、衰えてきたとはいえ一日に何百何千人とポコポコ増え続けている人間がどうしてそれに勝てないの? 人間は花のように美しくないから? どいつもこいつも好き勝手に喚いて、静かにしていられないから? 自分の種を増やすためなら他の存在を平気で傷つけられるから? 何もかもがわかんなくなってきた。そもそもあたしはさっきから口にも出さずに頭の中で何を言っているんだろう。
ワシントンが桜の木を切った話は嘘らしいし、あたしの声は低すぎて、上ばかり見つめている男の心をつかめない。今の彼だって初めて会ったとき「ハスキー通り越してかっこいいね」って言ったし。
あの言葉いまでも忘れられないよ。大丈夫? あんた、あたしのこと男友達だと思ってない? 怖くて訊けないよ。「あっ」とか言われたら、完全に萎れて地面にぶっ倒れてる向日葵みたくなりそう。
もういい。あたしはどうせ花になんてなれないし、美しい鳥にも魚にもなれない。だからってまた人間っていうのもなあ。辛いことばっかりだからなりたくないよな。他の命は何度でも生まれ変わっていいけど、あたしはいいや。令和何十年になるかわかんないけど、名前と死んだ日が御影石に刻まれた瞬間、命のループも全部終わってくれていい。誰でもいいからこのメビウスの輪にハサミ入れてくれよ。
そもそも、今も白球を追いかける野球部員のごとく、あちこちに目線を移している彼は、そんな概念を知っているのだろうか。
善は急げとばかりに、さっそく訊いた。
「あのさ」
「ん?」
「輪廻転生って知ってる?」
「あー。昔そんな感じの名前のゲーム流行ったなあ」
あんたもゲームかよ。まさか人生に残機があるとか思ってないだろうな。仮にあったとしても、あたしたちの関係は一度死んだらゲームオーバーだからな。わかってるね?
大げさにがっくりと肩を落としつつ、あたしは質問を変えた。
「じゃあもうひとつ。……もし一度死んだあとで生まれ変われるとしたら、また人間になりたい?」
「なりたいね。また俺に生まれたい」
「どうしてよ」
「だって、またカスミに会いたいもん」
なっ、と口に出して驚いたあたしを、彼の放ったシャッター音が撃ち抜いていった。一瞬だけ彼の言っていることの意味がわからなくなって、完全に呆けていた。戦場で棒立ちになっていたへなちょこ兵士も同然だった。
そのとき彼が至近距離にいて、これ幸いとばかりに素早くカメラをこちらに向けて、あたしの眉間あたりを綺麗に撃ち抜いたというわけで。
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