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心なしか、彼の頬が赤らんでいるのには気づかないふりをしようと決めた。彼はこうでもしなきゃ恥ずかしくて、あたしの写真を撮れなかったんだろうな……と思ったから。
自分だけでカメラの写真を確認した彼は、してやったりな顔で笑った。
「やー、いい顔してる」
もっと気の利いたことを言いなさいよ、ばか。あたしが気づかないふりしようとしていた気持ちを返せ。利子付けて。さもなきゃその一眼レフ、明日にでもリサイクルショップに持っていくからな。そしてその金で、帰り道でビッグマックみたいに幾重にも重なったパンケーキ食ってやるわ。
とはいえ、ほのぼのと過ごしている家族連れもちらほら見受けられる公園を、ドロドロに溶けた昼ドラの舞台にするわけにもいかない。
きわめて冷静を装いながら、あたしは言った。
「あのさ」
「ん?」
「撮るならもっとちゃんと予告して撮りなさいよ」
「用意してきた澄まし顔じゃなくて、ふだんのカスミの表情のほうが、俺は好きだよ。そういう意味ではいま撮ってる風景の写真と同じだ」
「ってことは、被写体が誰でもそうやってだまし討ちみたいにして撮るわけ」
「へへ、違う違う」
彼は普段から、いつでもニコニコと笑顔を浮かべている。でも少しだけ気取った感じで「へへっ」と声をあげて笑うときは、直後に何か恥ずかしいことを口走るときのサインだった。
「いずれ人物を撮るなら、被写体はカスミにしようと決めてたんだ」
あのさ。
そんなこと言われたら、こんな無駄な命のループさっさと終わってくれ……ってさっき願ってしまったあたしはどうしたらいいの。
あーちょっと待って今のナシで……って願えばいい? この人が肝心なこと言うの遅かったんでいやーどうもすみませんね、って付け加えて。どうやら彼は桜の花を撮るフリをしながら、あたしを画角におさめるタイミングを窺ってただけらしいんですよ。いやあご迷惑をおかけしました。撮りたいなら撮りたい、好きなら好きって言えばいいのにね。
そうだよな。そうだと思う。
そうだって言え。
「あのねえ……それだったら」
「だったら?」
「さっきから桜ばっかり撮ってないで、もう少しあたしのことも撮りなさいよ」
「だって、これから撮るよ、って言ったら意識するじゃん」
「ちゃんと意識してない顔をして撮られてあげるって言ってんでしょ、ばか」
ぷい、とそっぽを向いて歩き出す。さっきまで本気で切り倒してやりたかった桜の木へ、一歩、また一歩と近づいてゆく。
相手には求めるくせに、自分は思ったことをなかなか素直に口にできなくて、どうしてもこんなふうにぶっきらぼうになってしまう。そんな自分のことを、昔から好きになれなかった。
今でも少し、彼にとってはファインダー越しにあたしを覗くことより、物言わぬ花を相手にひたすらシャッターを切るほうが幸福なのかもしれない……と思ってしまう。
それでも。
「ねえ、あたし、どこに立っていればいい?」
「ちょっと行き過ぎちゃったから、三歩くらいこっちに戻ってきてから、振り向いてくれないか」
「うん」
花は毎年咲くけれど、あたしはいつまでもあなたの傍で咲いているとは限らないよ。
今もそう思ってはいても、望んで枯れてしまおうとは願わなくなった。
むしろ、可能な限り永く――。
そういうところがあなたは人間らしいもの、私になんかなれないよ。
ゆるい風に吹かれユラユラ揺れている桜に、そう笑われている気がした。
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